2026年6月15日
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鑑賞方法:映画館
泣ける
興奮
ドキドキ
昭和43年生まれの私にとって、1980年代とは、多感な思春期のすべてであり、「マイケル・ジャクソン」はその中にいた大きな存在であった。
私が中学2年の冬にリリースされたアルバム『Thriller(スリラー)』。MTYのビデオクリップを何度も見返して心躍らせたことを昨日のことのように覚えている。学校の廊下で、靴下の底を滑らせて必死にムーンウォークの真似事をしたあの頃、私にとってマイケルは、ただのアーティストではなく「未来から来た神様」のようだった。
本作『Michael/マイケル』は、そんな僕ら世代にとって、単なる「よく出来た伝記映画」の枠を完全に超えていると感じた。
監督のアントワーン・フークア氏が仕掛けた映像マジックは、見事というほかない。何より、マイケルの実の甥であるジャファー・ジャクソンがスクリーンに現れたとき、言葉を失った。骨格、立ち姿、そして何よりも、あの「指先ひとつ」にまで宿る、 shiver(身震い)するような色気とキレ。生前のマイケルの魂が、本当に彼に乗り移ったのではないかと錯覚するほどのクオリティだ。
映画は、ジャクソン5時代のきらめきと影から、僕らが熱狂した80年代の黄金期、そして『Bad』へと至る、あの凄まじい「熱量」の裏側を、テンポ良く一切の手加減なしに描いていく。
特に、私たちの世代の涙腺を直撃したのは、あの誰もが知るパフォーマンスの「再現度」だ。ただ形を真似ているのではない。スタジアムを埋め尽くす大歓声の中、つま先立ち一発で世界を平伏させた、あの時の空気の震えまでが劇場に蘇っているのだ。映画館のDolby Atmosの音響から響く「Billy Jean」のベースラインが、60歳に近い僕の古い鼓動を、当時と同じ速さで脈打たせる。気がつけば、暗闇の中で足でリズムを刻み、涙を浮かべていた。
しかし、この映画の真の価値は、私たちがマスメディアを通してしか知らなかった、あるいは「見ようとしなかった」、彼の孤独と人間的な痛みに深く踏み込んだことにある。
世界中から浴びせられる常軌を逸したバッシング、孤独、そして純粋すぎるがゆえの悲劇。スーパースターという名の檻の中で、彼がどれほど傷つき、それでもなお「愛」と「ステージ」にすがりつこうとしていたか。あの頃、ただ華やかなパフォーマンスに熱狂していた自分の若さが、少しだけ恥ずかしくなり、同時に、彼への愛おしさが何倍にも膨れ上がっていくのを感じた。
2009年6月、彼の訃報を知り私はひとつの時代が終わった絶望を感じた。あれから時が経ち、2026年の今、こうして劇場のスクリーンで彼と「再会」できたことの意味はとてつもなく大きい。
この映画は、マイケル・ジャクソンという不世出の天才への極上のラブレターであり、同時に、「あの1980年代を彼と共に駆け抜けた、私たち自身の青春への鎮魂歌」でもあると思う。
同世代の諸兄には、ぜひ劇場の一番いい席で、爆音で観てほしい。あの頃、私たちの心を震わせた「King of Pop」は、今も私たちの中で、一歩も退かずに踊り続けている。映画が終わったとき、きっと誰もが心の中でこう呟くはずだ。
――「マイケル、僕らの時代にいてくれて、本当にありがとう」と。
Michael マイケル
