「テート美術館 YBA&BEYOND 世界を変えた90s英国アート」の展示風景

    京都市京セラ美術館で「テート美術館 YBA&BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展が9月3日まで開催中だ。本展は1980年代から2000年代の英国を拠点に制作された、50人を超える作家による約90点を通じて、この時代の創造性が、いかにアートやカルチャーに影響を与えたのかを検証するものだ。

    サッチャー政権下で生まれたYBA

    1979~1990年まで英国で首相を務めたマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)は、国営企業の民営化や社会保障費の削減を推進した。自由市場経済と個人主義を軸とする社会改革の中で格差が拡大し、不平等感が高まるなど、社会には緊張感が漂っていた。またサッチャー政権は、異性愛者による核家族を社会の安定の基盤と位置づける一方、移民やIRA(アイルランド共和軍)、炭鉱労働組合、同性愛者などを社会秩序への脅威として捉える姿勢を示した。HIVの感染拡大により、男性の同性愛者への差別が増大したのもこの時代だ。同政権は88年に「セクション28」(政府が地方自治体や教育現場に「同性愛を助長すること」を禁止する地方自治法28条)を制定。これに対して各地で抵抗運動が巻き起こったが停止までは10年以上の月日を要した(「セクション28」は2000年にスコットランドで、その後03年に英国全土で停止)。

    こうした社会状況の中で、若い芸術家たちは、アイデンティティや社会における自身の立場、地域共同体の在り方が揺らぐ時代を創作のテーマとした。従来とは異なる、DIY(Do It Yourself)的なアプローチを取り、自ら手を動かしながら試行錯誤を重ねて、実験的で革新的な手法で表現したのがYBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)と呼ばれる世代である。

    テート美術館キュレーターが語る「なぜ今、YBAなのか」

    人間として生きる「難しさと喜び」を映し出す作品群

    PROFILE: テッド・マクドナルド=トゥーン/テート美術館国際連携部長テッド・マクドナルド=トゥーン/テート美術館国際連携部長

    PROFILE: メルボルン出身。ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで美術史の博士号を取得。テートではシニア・プロジェクト・キュレーターとして国際展覧会を統括するほか、大英博物館やロンドンのナショナル・ポートレイト・ギャラリーでの国際巡回展を担当。世界各地の美術館・文化機関と多数のプロジェクトを手掛けてきた。ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ政治学・国際関係学科で教鞭と執った経験を持つ

    本展示でプロジェクト・キュレーターを務めたテート美術館のテッド・マクドナルド=トゥーン(Edward=Ted McDonald-Toone)国際連携部長になぜ今改めてYBAを取り上げるのかを尋ねた。

    「1990年代は冷戦終結後の時代であり、英国の文脈で言えば、サッチャリズムの影響がある。サッチャー時代は大きな社会変革と活力をもたらしたが、その一方で混乱や困難も伴った。そしてもう一方には、2001年の9.11以降に始まる、まったく異なる地政学的な世界がある。つまり90年代は、その2つの時代の狭間に位置している。この展覧会を準備し始めた2022年、90年代とはすでに十分な歴史的距離が生まれていたと同時に私たちが生きる現在と極めて密接につながっている。重要なのは90年代を代表する芸術家たちの作品は、社会や現実世界に深く根差していること。彼らは現実の社会に関わり、それを描き出し、その中で生きることそのものを作品化した。この展覧会は、人間として生きることの難しさと喜び、その両方について語ろうとする芸術家たちの姿を映し出していると同時に、彼らが生きた世界の現実、その世界がどのように見え、どのように感じられたのかを伝えるものでもある」。

    「現実社会に関わり、その中で生きることそのものを作品に」

    コーネリア・パーカー《コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ》 
    1991年 テート美術館蔵 Photo: Tate © Cornelia Parker. Courtesy Frith Street Gallery, London

    コーネリアス・パーカー(Cornelia Parker)の「コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ」(1991)が制作されたのは、IRAによる爆破事件が相次いでいた時代。パーカーは英国陸軍に庭の物置を中身もろとも爆破するように依頼し、その残骸を用いたのが同作品だ。「社会における『爆発』という概念とその切迫した状況がどこかひどく象徴的なものに見えたのです…」とパーカーは説明している(テート美術館HPから)。

    デレク・ジャーマン《運動失調―エイズは楽しい》 1993年、テート美術館所蔵
    Photo: Tate ⓒ The estate of Derek Jarman. Courtesy of The Keith Collins Will Trust

    デレク・ジャーマン(Derek Jarman)の絵画「運動失調—エイズは楽しい」(1993)は、作家がエイズで亡くなる1年前に制作された。視力が低下したジャーマンが絵具を指で直接塗り伸ばして制作されたという。ジャーマンは映画監督として、同性愛者の権利のための活動家としても知られている。

    トレイシー・エミン《なぜ私はダンサーにならなかったのか》 1995年、テート美術館所蔵 © Tracey Emin

    トレイシー・エミン(Tracey Emin)の初めての映像作品「なぜ私はダンサーにならなかったのか」(1995)は、10代初めにエミンが体験した屈辱的な体験について作家本人が証言するものだ。エミンは自らの身体と感情を率直に表現することを通じて、愛や痛み、癒やしを共有することに取り組み、女性の体験にまつわるタブーを破り続けている。

    ファッションとアートの相互作用

    マックイーンらに与えた影響

    ヴォルフガング・ティルマンス《ザ・コック(キス)》 
    2002年 テート美術館蔵 © Wolfgang Tillmans, Courtesy of Maureen Paley, London; Galerie Buchholz; David Zwirner, New York

    90年代の英国ファッションに目を向けると、アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)やフセイン・チャラヤン(Hussein Chalayan)といったデザイナーが台頭していた。いずれもロンドンのセントラルセントマーティンズ出身であり、YBA世代のアーティストから影響を受けていたと考えられる。

    マクドナルド国際連携部長も「特に印象的だったのは、ファッションとアートの関係で、その両者をつないでいたのが、写真や写真家たちの仕事だった。90年代から2000年代初頭のファッション写真を見ると、多くのファッションフォトグラファーが、当時生み出されていた現代アートから大きなインスピレーションや影響を受けていたことがわかる。そして私は、ファッションの世界にも非常に興味深い共通点や響き合いがあったと確信している。芸術の普遍的なテーマとして『セックスと死』があるが、アレキサンダー・マックイーンの創作世界全体を貫くテーマでもあったと思う」と語る。

    ティルマンスがファッションに与えた影響

    ヴォルフガング・ティルマンス《座るケイト》 1996年、テート美術館所蔵
    © Wolfgang Tillmans, courtesy of Maureen Paley, London; Galerie Buchholz; David Zwirner, New York

    また本展で紹介している写真家ヴォルフガング・ティルマンス(Wolfgang Tillmans)の仕事はファッションとアートの相互作用を象徴すると強調する。「ティルマンスは、強い関心を寄せていたクラブやストリートのカルチャー、ファッション、そして人々のあり方に新たな「可視性」を与えた。撮影や見せ方における彼の新しい視点、その視覚表現は、当時のファッションにも大きな影響を与えた」。ティルマンスの作品は90年代の雑誌を通じて広く紹介された。

    「今回の展覧会に参加するアーティストたちには、ジェンダーや女性の身体表象、あるいは女性の身体がどのように社会によって管理・規定されているのかといったテーマへの関心も見られるが、これらは90年代のファッションにおいても重要なテーマだった。ジャン=ポール・ゴルチエ(Jean-Paul Gaultier)やアレキサンダー・マックイーンは、女性らしさや権力性について問い続けたし、ステラ・マッカートニー(Stella McCartney)もその文脈で語ることができるデザイナーの一人だろう。アートとファッションの間には非常に豊かな創造の場が存在していた。クィアな美学やゲイ・レズビアンのテーマについても、同様のことが言える。アートとポップカルチャー、アートとファッションの関係性の築き方など、その多くは90年代という創造的な時代から生まれたものであり、現在も私たちの中に生き続けている」。

    YBAが提示したのは新しい表現手法だけではない。社会と関わりながら創作し、自らを発信する芸術家像そのものだった。その影響はアートにとどまらず、ファッションやポップカルチャーへと広がり、30年以上を経た今なお私たちの創造性の基盤を形づくっている。

    ◾️「テート美術館― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」
    会期:2026年6月3日(水)~9月6日(日)
    休館日:月曜日(祝日の場合は開館)
     会場:京都市京セラ美術館新館東山キューブ
    住所:京都市左京区岡崎円勝寺町124
     開館時間:10:00~18:00(入場は閉場30分前まで)
     入場料:大人2300円、大学生1500円、高校生900円、中学生以下無料
     電話:075-771-4334

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