(CNN) それはスマートフォンを1日に何度もスクロールしているうちに見過ごしてしまうような類いのセレブのスナップ写真だ。サッカーのスター選手とその恋人のポップ歌手が手をつないで夜の街を出歩いている。そこには夏の気軽さが漂い、日焼けしたふたりはカジュアルな黒のトップスとズボン、サンダルといういでたちだ。
ただし、その選手とは世界的に有名なデービッド・ベッカム氏で、腰には柄物のサロンを巻いていた。1998年当時の英国で、この写真は1面を飾った。
英紙サンは、ワールドカップ(W杯)のためにフランスを訪れていたベッカム氏とビクトリア・アダムス氏の全面写真とともに「ベッカムがポッシュのドレスを着ている」と報じた。当時ビクトリア氏は「ポッシュ・スパイス」との愛称で呼ばれていた。
念のために言うと、これはただの服ではなかった。このジャンポール・ゴルチエのラップドレスは、トップクラスの男性サッカー選手がどう見えるべきかという伝統的な概念に異議を唱えるもので、英国のタブロイド紙は過度な反応をみせたのだ。

ベッカム氏が腰に巻いていたサロンはタブロイド紙から嘲笑の的となった/Harry Page/The Sun/News Licensing
それから30年ほどを経て2026年のワールドカップが開幕した今、「サロン・ゲート」として知られるようになったこの出来事は、変化の途上にあった1990年代後半の英国文化を鮮明に切り取った1場面でもある。新たなタイプの「メトロセクシャル(強い美意識を持つ男性)」な男性と有名な婚約者が、サッカーの超男性的なラッド・カルチャーと交差した瞬間だった。タブロイド紙はただちに容赦なく論争をあおった。
「ワイルド・ウェスト」なタブロイドの世界
その写真が撮られたのは、ダイアナ元妃が亡くなった翌年のことだった。「突然、新しい王室一家が現れた。それがベッカム夫妻だった」と、英紙テレグラフのメンズスタイル編集者で、長年にわたりベッカム氏に何度もインタビューしてきたスティーヴン・ドイグ氏は語る。この「ワイルド・ウェスト(19世紀開拓時代の米西部地方)」なタブロイドの世界には「このマシンに燃料を投下する2人に対して、かつて目にしたことがないほどの大衆の渇望」があったとドイグ氏は付け加えた。
「あのような男性が新たなメトロセクシャルの動きの一部としてジェンダーの境界線をあいまいにすることは、人々にとってかなり衝撃で刺激的だった」とドイグ氏は語った。ベッカム氏のデートの夜を捉えたタブロイドの報道は、当時の英国の「一般男性的」文化を如実に示していた。スカートをはいた男性に対し、ひどく眉をひそめるという文化だ。
毎週末に行われている少年サッカーの試合から、パブに押し寄せイングランド代表が出場するワールドカップを観戦する群衆まで、サッカーは英国民の心理に深く根付いている。そうした背景から、国民には最も重要な人物らに対する所有感のようなものが生まれる。

ふたりは頻繁にペアルックを着ている。写真は1999年にロンドンで行われたヴェルサーチェの開店記念イベントでのレザーコーデ。今や象徴的なルックとなっている/Justin Goff Photos/Getty Images

同じく99年にロンドンで撮影された夏らしい装い/David Abiaw/Shutterstock
全国紙から地方紙まで、あらゆるメディアがサロンについて論じ、年齢を問わず誰もが論争に加わった。「男がスカートをはくのは好きじゃない。ズボンをはくものだと思う」と、8歳のアレックス・トンくんはヨーク・プレス紙に語った。
「ブランド・ベッカム」
当時23歳だったベッカム氏は、メディアが大騒ぎする様子を笑って受け流しているようだった。最近公開されたネットフリックスのドキュメンタリー番組で改めて取り上げられた映像の中で、記者たちに当時のことを尋ねられたベッカム氏は「まだまだこんなものじゃないよ」と、ぎこちない笑みを浮かべて語っている。少なくとも父親のテッド氏は肯定的だった。「気に入った」と、テッド氏は同番組の中で息子に伝えたと振り返る。「かっこいいじゃないか」
ベッカム氏は長年、サロンについて後悔はないと強調し、過去のファッションはすべて自分で選んでいたと主張している。むしろこの出来事は、ブランド・ベッカム神話の一部となっている。それはベッカム夫妻のファッションの先進性とメディア対応の巧みさを示す初期の兆候であり、今日の数百万ドル規模のスポーツ・美容・ビジネス帝国へと発展していった。
「彼はよくわかっている」とドイグ氏は言い、サロンについて話すときベッカム氏はいつも「少し笑いながら」だったと付け加えた。「90年代に2人が非常に大胆なファッションを選択し、世界中のあらゆる新聞の一面を飾らなかったら」ブランド・ベッカムの今日の成功はなかっただろうとドイグ氏は指摘する。

1998年ワールドカップでイングランドは早々に敗退が決まった。最終戦でレッドカードを受け退場となったベッカムは国民の失望の矢面に立たされた/Richard Sellers/Allstar/Getty Images
ファッションの先駆者
今日では、トップクラスのサッカー選手が大胆なデザイナー服を着ることは決して珍しくない。元アーセナルのエクトル・ベジェリン氏は2019年にルイ・ヴィトンのランウェーで鮮やかなピンクを着用し、レアル・マドリードのエドゥアルド・カマビンガ氏は22年にバレンシアガのランウェーに登場した。今回のワールドカップをみると、スタイリッシュなフランス代表チームはすでにファッション王者との呼び声が高い。
男性のサロン、あるいはスカートやキルト、さらにはドレスという点でいえば、俳優のブラッド・ピット氏やハリー・スタイルズ氏、ラップ歌手のエイサップ・ロッキー氏らがこうした流線形の衣装を取り入れているのが見受けられる。
1998年からは大きく進歩したが、すべてが変わったわけではないと語るのは、英紙ガーディアンのシニア・ファッションライター、ローレン・コクレーン氏。英国人選手のドミニク・カルバートルーウィン氏が近年さまざまな雑誌の撮影で派手なスカート風の衣装を着たことで受けたSNSでの誹謗(ひぼう)中傷を指摘した。
ベッカム氏が「たとえ嘲笑の的になってもファッションで新しい試みに取り組んだことは称賛に値する」とコクレーン氏は語り、次世代の男性が服装を通じて慣習に挑戦する助けになったかもしれないと言い添えた。
◇
原文タイトル:Remember when David Beckham’s sarong seized a nation?(抄訳)
