熱量の高い展示で存在感

    人気の「ロン・ミュエク」で賑わう森美術館(東京・六本木)の一角で、「ディアスポラ・メモリー  ―境界を越えて生きるコリアンアーティスト」という展示が開催中です(9月23日まで)。韓国から異国へと渡った、または韓国にルーツを持つ3名のアーティストに注目した内容で、小規模ながら熱量の高いキュレーションが来場者の注目を集めています。担当した同美術館の趙純恵アソシエイト・キュレーターに狙いを伺いました。(聞き手 「美術展ナビ」編集長・岡部匡志)

    コンパクトな会場ながら、内容は盛りだくさんです
    ディアスポラ、それぞれの人生にそれぞれのストーリー

    ――とにかく展示の文字数が半端なく、作品やスケッチなどの展示もあり、それぞれのアーティストの生い立ちや制作にまつわるエピソードなど、見はじめると止まらないドラマチックな中身。比較的身近であるはずのコリアンの方々の歴史や暮らしに関わることながら、初めて知ることばかりでワクワクしました。

    趙さん 一般の来場者の方々からは肯定的な反応をいただいており、一石は投じられたのではないかと思っています。

    ――タイトルの「ディアスポラ」とはある民族が故郷を離れ、あちこちに散らばっている状態を指し、歴史的にはユダヤ人の離散が代表的なイメージですが、近年は必ずしもネガティブな意味合いに使われるとは限らない言葉ですね。

    趙さん 現在では移民や難民なども含む幅広い越境的現象や離散民などを指します。そしてこの言葉が指し示す経験は、なぜ故郷を離れ、いかに異国へ移住・定住したかという経緯を含め、それぞれの人生の数だけ異なります。そこを知ってもらいたかったので、展示がおのずと膨らみました。

    (上)クァク・インシク「無題」1961年 ギャラリーQ (下)クァク・インシク「無題」1978年 ギャラリーQ
    周縁的な人に強い関心

    ――そもそも趙さんがこうした企画を考えた経緯は。

    趙さん もともと社会の周縁的な立ち位置の人に強い関心がありました。大学時代からディアスポラのアートに興味を持ち、修士論文もこのテーマでした。昨年、森美術館へ移る前に福岡アジア美術館で9年間勤務した際に、アジア美術やディアスポラ美術の研究を継続したことがこの企画の根底にあります。自分自身が在日コリアン三世であることも、「周縁的な立場の人々や複数の物語を持つ存在が世界を豊かにする」という考えに繋がり、ディアスポラというテーマへの関心に結びついたのかもしれません。

    森美術館らしさも

    ――国際的な視点を重視する森美術館らしさも強く感じました。

    趙さん 森美術館がある港区は日本国内でもトップクラスに在日外国人が多い街で、美術館としても多文化共生を強く意識しています。展覧会の英語対応もその一環ですし、この企画も美術館の方針と合致していると感じます。

    ――展示で取り上げた3人のアーティストの境遇はそれぞれドラマチックです。大邱生まれのクァク・インシク(1919-1988)は植民地時代の1937年に日本へ留学。アレクサンダー・ウーガイ(1978-)はロシア極東から中央アジアに強制移住された朝鮮系ディアスポラ「高麗人」の3世。また全羅南道出身のソン・ヒョンソク(1952-)は1972年、看護師として当時の西ドイツに渡ったのち、アーティストに。

    趙さん 小企画という予算と期間の制約から、実現可能性と世代の多様性を考慮して3名に絞りました。

    クァク・インシク
    アイデンティティへの問いと制作、分かち難く

    ――クァク・インシクは日本の現代アート史にも足跡を残した人ですね。

    趙さん 朝鮮戦争のあおりで帰国ができなくなり、日本に留まりました。真鍮板やガラス、自然石といった工業素材そのものと向き合った作品は、同時代の「もの派」と共鳴しています。アイデンティティへの問いと制作が深く結びついていて、心を打たれる作品ぞろいですが、日韓とも美術史の文脈からは外れた存在でした。近年、韓国では再評価が進んでいて、回顧展も開催され、主要作品は韓国の国立現代美術館に収蔵されています。日本でも国立国際美術館(大阪)には重要作品があり、コレクション展などで紹介された際はぜひ注目してほしいです。

    アレクサンダー・ウーガイ
    多様な自己を象徴する作品

    ――アレクサンダー・ウーガイの展示で驚いたのは、スターリン時代の旧ソビエトが1930年代後半、極東に暮らしていた朝鮮人たちを中央アジアへ強制移住させていた、という史実です。「約17万人」という規模に目を疑いました。

    趙さん 異民族コミュニティに対して、そうした事が当たり前のように行われていた時代だったのかもしれません。3世のアレクサンダーはソビエト的な空間で生まれ育ちましたが、家の中では旧正月を祝い、鍋料理やキムチを食べていたといいます。周辺にはカザフ人やドイツ人、ギリシャ人など様々な背景を持つ住民がおり、多民族的環境で育ちました。

    アレクサンダー・ウーガイ「10万回を越えて」2019-2020年

    現在、アレクサンダーはカザフスタンを代表するアーティストとして国際的に評価されており、ソウルと行き来しながら制作を続けています。作品にはいずれも一つの視点にまとまらない、自身の多様なアイデンティティを象徴しているように見えます。

    ソン・ヒョンソク
    情念とルーツ、作品に色濃く

    ――ソン・ヒョンソクの人生もドラマのようです。

    趙さん 1970年代に韓国政府の政策で看護師としてドイツへ派遣されました。アートには縁がなかったのですが、配属先の精神病院で絵画に触れたことをきっかけに創作を始め、3年間の契約期間を終えたのちもドイツに残り、アートに専念しました。さらに後に韓国へ留学し伝統絵画を学び直しました。実家が養蚕も営む米農家だったことから「蚕」が重要なモチーフとなっています。兄の死をきっかけに、悲しみを癒す巫の祈りなどを取り入れ、個人的な情念やルーツとの繋がりを作品に色濃く反映させています。

    ソン・ヒョンスク「1の筆触の上に8の筆触 2004年5月5日」2004年 森美術館

    ――3氏の人生に驚き、作品の力にも刺激を受けました。

    趙さん 作品そのものだけでなく、作家の人生や物語に焦点を当てるアプローチを採用しました。作品至上主義的な現代アートの展覧会ではあまり流行らない手法かもしれませんが、ディアスポラという経験が作品の背景にあり、必然性のある作品を生み出している点を伝えたかったのです。鑑賞者の知的好奇心を刺激したのであれば嬉しいです。

    ソン・ヒョンスク「アーティストの母と父、そして弟より」1977年
    近い将来、このコンセプトで大規模展も

    ――今後の展開に期待したいです。

    趙さん 森美術館では数年後に移民の美術に関する大規模な展覧会を計画しており、今回の展示はその流れへと合流する性格のものです。今回はコリアンにフォーカスしましたが、来たるべき大規模展では全世界を視野に、様々な背景を持つアーティストを紹介することになると思います。

    ――分断や差別、戦争の時代にあって意義深い取り組みになりそうですね。

    趙さん このようなマイノリティの小さな声を拾い上げ、一つの大きな物語として社会に提示することが、美術館の使命であると信じています。


    趙純恵(チョウ・スネ)森美術館アソシエイト・キュレーター
    東京生まれ、東京在住。2016年から2025年まで福岡アジア美術館に勤務後、現職。歴史の力に押し出されるように、あるいは生きるための選択として、生まれた土地や国を離れ異国へと移住・定住した人々やその子孫である「ディアスポラ」をめぐる美術表現の調査を続け、その声が美術を通じていかに形をなすかを研究している。

    MAMリサーチ012:
    ディアスポラ・メモリー - 境界を越えて生きるコリアン・アーティスト

    会場:森美術館(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53階)

    会期:2026年4月29日(水・祝)~9月23日(水・祝)

    開館時間:10:00-22:00(火曜日のみ17:00まで、ただし5月5日[火・祝]、8月11日[火・祝]、9月22日[火・祝]は22:00まで) ※入館は閉館時間の30分前まで

    休館日:会期中無休

    主催:森美術館

    企画:趙純恵(森美術館アソシエイト・キュレーター)

    企画協力:金恵信(南城美術館館長、沖縄県立芸術大学客員教授)、上田雄三(Gallery Q)

    【料金】
    ※「ロン・ミュエク」展のチケットで入館可。
    ※()=オンラインチケットの料金
    ※日時指定枠に空きがある場合は、当日、窓口にてチケットをご購入いただけます。
    事前予約制(日時指定券)
    【平日】一般:2,300円(オンライン2,100円)、学生(高校・大学生):1,400円(オンライン1,300円)、シニア(65歳以上):2,000円(オンライン1,800円)
    【土・日・休日】一般:2,500円(オンライン2,300円)、学生(高校・大学生):1,500円(オンライン1,400円)、シニア(65歳以上):2,200円(オンライン2,000円)
    ※中学生以下は無料。

    アクセス:
    東京メトロ日比谷線「六本木駅」出口1C直結
    都営地下鉄大江戸線「六本木駅」出口3から徒歩4分
    都営地下鉄大江戸線「麻布十番駅」出口7から徒歩5分
    東京メトロ南北線「麻布十番駅」出口4から徒歩8分

    詳細は、森美術館公式サイトまで。

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