水鈴社代表の篠原一朗さんは、大手出版社在職中、ベストセラーを送り出しながらも、もっといい本にできたのではないか、もっと多くの読者に届けるためにできることがあったのではないか…。そんな思いが募っていったという。独立までの経緯や、本を読者に届けていくための取り組みについて聞いた。

    もっと1冊に関わりたいとの思いで独立

    独立を考えるようになったきっかけは何ですか?

    篠原 大手出版社の編集者は、売り上げを立てるために、たくさんの本を作り続けることが求められます。みんなすごく忙しいし分業制も進んでいますから、1冊を作り終えたらすぐ次の企画に取り掛からざるを得ない。もっといい本にできたのではないか、もっと多くの読者に届けることためにできることがあったのではないかという気持ちが募っていきました。

     できることなら本を作った後の届け方も、映像化も、もっと細かなことを言うと部数や定価の決定も自分で考えて決めたい。その権限を持つ編集者になりたかったのですが、権限を持つには管理職にならなければならない。でも管理職になると現場での本作りができなくなるし、偉くなることは望んでいなかったので、このまま会社にいるとしんどい日が来るんじゃないか、というのが大きかったですね。

     とはいえ、文藝春秋は限りなく自分の好きなことをやらせてくれる会社で、企画にNGを出されたことはありませんでした。「よく分からないけれども、お前がやりたいんだったらやればいい」、と言ってくれる上司が多かった。ですので、最初は文藝春秋に流通を担っていただくという形で独立することにしました。今は円満な形で業務提携を解消しましたが、文藝春秋には本当に感謝しています。思い切ったことをしたねと言われることは多いのですが、失敗したところで死にはしない時代ですし、独立しないほうがリスクは高いと思いました。

    篠原一朗
    水鈴社代表取締役

    1978年生まれ。東京都出身。小学生時代をスリランカで過ごす。大学卒業後、ゼネコン勤務を経て幻冬舎に入社。雑誌「papyrus(パピルス)」編集長などを務めたのち、2014年文藝春秋に転職。2作の本屋大賞受賞作の編集担当をはじめ、数多くのベストセラー小説や人気ミュージシャンの小説・エッセイを世に送り出した。20年に水鈴社を設立。

    作家との関係性、信頼が生むヒット作

    水鈴社の刊行数は年3~4冊と少ないですが、立て続けにヒット作を出されていますね。

    篠原 これはもう、運と縁に恵まれたとしか言いようがありません。その前提の上で、一作一作に時間と手間とお金をかけています。これまでの出版業界は、本は刊行して初速を見るまでは静観することが多かったと思うのですが、水鈴社では企画段階からスタッフと届け方を模索しています。当社は、人数こそ少ないですが、パブリシティの専門家とSNSなどを運営してくれるスタッフと二人の営業がそれぞれプロの仕事をしてくれていて、1冊の本をどう届けるかを全員で議論し、行動しています。

     そのため、本ができるまでに時間がかかることもありますし、著者の方にもさまざまなお願いや提案をします。今、水鈴社が仕事をさせていただいているのは、長年の関係性があって、作品に対して踏み込んだことまで気兼ねなく話ができる作家の方ばかりです。新しい著者の方とのお付き合いも始まってはいますが、現時点では仕事だけでなくプライベートのことまでよく知る方と、納得のいくまで時間をかけて作品をブラッシュアップすることができていると思います。

    リソースを一点に集中投下

    「水鈴社で本にしたい」と言われることも、増えていますか?

    篠原 少人数でやっているので、今ある企画を形にするだけで精一杯で、泣く泣くお断りさせていただく、ということは増えてきました。企画をお受けるする時は、水鈴社で出すことが作品にとって合理的だと自信を持って言える本であることが前提です。出版するだけなら、水鈴社よりもいい条件の出版社はたくさんあるので、そういう企画は、「これは別の版元で出されたほうがいいと思います」と、正直にお伝えしています。やれば利益になるだろうなという気持ちもありますが、出版することだけを考えるなら、当社よりもシステムがきちんとできあがった大手老舗出版社で出したほうが、著者にとってもメリットが多いように思います。これは水鈴社から刊行したほうが面白いことになるのではないか、と思うことができる企画だけを厳選していきたいです。

     水鈴社の基本戦略は「一点集中、えこひいき」です(笑)。たくさん出して、平均的に全部売るのではなくて、少数の作品に会社のリソースとお金を集中投下する。そんな作戦に向いている作品を送り出したいですね。昨年刊行した『
    8番出口
    』(川村元気著)はまさにそんな企画で、取次さんや書店さんともタッグを組んで、いろいろな展開ができたと自負しています。そのために、映画の製作委員会にも入れていただいて、映画の宣伝とも連携しました。大変でしたが、映画も小説も大ヒットしましたので、そのやり方が間違っていないという確信を持つことができました。

    『8番出口』(川村元気著、水鈴社)/画像クリックでAmazonページへ

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    「一点集中、えこひいき」の基本戦略に、向く作品かどうかはどうやって見分けているのですか?

    篠原 もちろん、作品として面白いことが一番です。作品が高いポテンシャルを持っていることに加え、仕掛けがいのある作品でしょうか。作品の内容が奇抜であることを求めているのではありません。『
    スピノザの診察室
    』(夏川草介著)は、派手な仕掛けのある本ではないのかもしれませんが、長年にわたり医療の最前線で人の命と向き合われた夏川さんだからこそ書けた素晴らしい作品で、作中に、京都の長五郎餅や阿闍梨餅、緑寿庵清水の金平糖といった和菓子がたくさん出てきます。
     パブリシティの担当スタッフが「和菓子屋さんとコラボレーションができないか」というアイデアを出して動いてくれて、今、長五郎餅さんで本作とのコラボ商品を販売中で、映画の制作にも協力を約束してくださっています。二次展開と言われてすぐに思い浮かぶのは映像化やグッズ化だと思いますが、こういうこともできるんだという発見があって面白かったです。
     同じことを大きな出版社でやろうと思ったら、いろいろな部署の担当者が連動することになると思うのですが、水鈴社では基本的にパブリシティ担当者が一人でやっています。僕はそれに「いいですね!」と言って、GOを出すだけ。小回りが利く会社ならではの強みだと思います。

     さまざまな方法で、著者とオーダーメイドのように本作りをしています。小説雑誌に連載をして本にするというのはよくできたレディメイドのシステムですが、水鈴社は一作一作、その作品に合った形で本を作って送り出すということを今は意識しています。それも、時代や状況とともに変わっていかなければならないと思っていて、あまり型を決めずにやっていきたいと考えていて、来年、再来年はまったく違うことを言っているかもしれません(笑)。

    取材・文/中城邦子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス) 写真/鈴木愛子

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