昭和41年(1966年)の開場以来、伝統芸能の上演だけでなく、演劇・芸能関連の資料の収集と活用に努めてきた国立劇場。美術的に優れた名品から歴史的に貴重な資料まで、多岐にわたる所蔵資料から、担当者が「これを見て!」という一押しを紹介するのが、毎月末日に公開する美術展ナビ×国立劇場コラボ連載【芸能資料定期便】です。
今月の芸能資料定期便は、国立劇場が所蔵する「デスマスク」を皆様にお届けします。
デスマスク……。言葉は聞いたことがあるかもしれませんが、実際にご覧になったことはありますか?
デスマスクとは、死者の顔に溶かした石膏を塗って型をとり、その型からつくる顔面像のことです。西洋での起源は古く、古代ローマやエトルリアでは葬祭や祖霊信仰のために制作されました。ルネサンス期以降は、著名な人物(=英雄や天才)を記念するための制作が一般化します。有名なところでは、ナポレオンやゲーテ、ベートーヴェンのデスマスクが作られました。その制作技術が日本にもたらされたのは明治期のことです。日本最初の官立美術学校「工部美術学校」が明治9年(1876年)に設立されます。そこでお雇い外国人教師として教壇に立っていたイタリア人彫刻家・ヴィンチェンツォ・ラグーザ(1841~1927年)によって伝えられたようです。以降、デスマスクは日本でも盛んに制作されるようになりました。日本では、夏目漱石のデスマスクが一番有名かもしれません。
伊井蓉峰の舞台写真(国立劇場蔵)。芸名の由来は「良い容貌」のもじりだとも云われる
国立劇場が所蔵するのは、明治・大正期に活躍した新派俳優・伊井いい蓉峰ようほう(1871~1932年)のデスマスクです。新派とは、歌舞伎を「旧派」とみなして明治に生まれた演劇ジャンルの一つで、大衆的な現代劇として発展しました。伊井は、その端麗な容姿と写実的な演技で、今日の新派の礎を築いた人物です。『不如帰ほととぎす』の武男や、『金色夜叉こんじきやしゃ』の貫一などが当たり役でした。
デスマスク開封!
それでは、さっそく伊井蓉峰のデスマスクを見ていきましょう。こちらの資料は、昭和63年(1988年)に伊井義太朗氏より寄贈を受けたものです。伊井義太朗氏は、伊井蓉峰の養子である伊井友三郎(1899~1971年)に入門し、平成期まで活躍した新派俳優です。
デスマスクが納まる木箱
デスマスクが入っている木箱の表には、「伊井蓉峯氏之面」と書かれています。
箱書き(蓋裏)
箱の裏には、「昭和七年八月十五日 清水三重三写」とあります。昭和7年(1932年)8月15日は、伊井が逝去したその日です。清水三重三しみずみえぞう(1893~1962年)は、大正・昭和期の彫刻家で、挿絵画家としても活躍した人物です。後には、作家・川口松太郎(自作小説の脚色や演出、劇団の主事を務めるなど新派に深く関わった)の小説の挿絵も手掛けており、当時から新派俳優たちと親交があったのかもしれません。いずれにせよ、彫刻家としての技術を乞われて、清水が伊井のデスマスクの制作を担ったのでしょう。漱石のデスマスクも、彫刻家の新海竹太郎が制作にあたったものです。日本では、石膏という素材に慣れ親しんだ彫刻家が、しばしばデスマスクの制作を請け負っていました。
伊井蓉峰のデスマスク
布をひらくと、金属製のデスマスクが現れます。型からブロンズで鋳造されたもののようです。持ってみるとずっしりとした重みを感じます。計ってみたところ、1キロ強の重さがありました。
伊井蓉峰のデスマスク
苦悶の表情はなく、静かに眠っているような死に顔です。額の皺や、頬の毛穴、眉の毛の流れ、口からすこしのぞく歯など、細かなところまで写し取られています。
伊井蓉峰のデスマスク
見る角度によって、顔の印象も異なります。
伊井蓉峰のデスマスク(裏面)
デスマスクの裏面を写真に収めてみると、彫刻的な処理のされていない生々しい容貌がふっと浮かび上がって、ドキッとするものがありました。
伊井の最期は、慢性腎臓病の加療中のところを、隅田の自宅で没しました。享年62歳でした。伊井とともに新派を牽引した俳優・初代喜多村緑郎(1871~1961年)がその日のことを日記に残しています(『新派名優 喜多村緑郎日記』として書籍化されています)。8月15日の日記には、喜多村を含め新派の関係者が次々と伊井の自宅を訪れ、葬儀の相談を始める様子が記録されています。デスマスクはその日に制作されているはずですが、それについての記述は見つかりませんでした。喜多村は、その日の日記の最後に、ただ以下のように書き残しています。「何んだか、どう考へても伊井が世を去つたといふことが、本当らしくなく思へてならなかった」。
その後、昭和13年(1938年)に、伊井の七回忌に合わせて歌舞伎座で追善興行が催されます。その折に歌舞伎座で制作されたと思われる伊井のデスマスクが早稲田大学の演劇博物館に所蔵されています。デスマスクは国立劇場の所蔵品と同じもののようですが、演劇博物館のものは、黒地に金で装飾された仏壇に収められています。仏壇の裏には金字で、「昭和十三年七月 伊井蓉峯七週忌追善興行 木挽町 歌舞伎座」と記されています。国立劇場の所蔵品も、あるいは同じタイミングで石膏の原型から鋳造され、一部の関係者に贈られたものなのかもしれません。
今月の芸能資料定期便は、新派俳優・伊井蓉峰のデスマスクをご紹介しました。ちなみに、国立劇場にはもう1点デスマスクが所蔵されています。「エノケン」で知られる喜劇王・榎本健一(1904~1970年)のデスマスクです。そちらはまた次の機会にご紹介したいと思います。(国立劇場 調査資料課 横山陽一)
※参考文献:『デスマスク』 岡田温司(岩波新書)/「日本近代デスマスク小史―石膏型取りと彫刻のあいだをめぐって」 喜夛孝臣(静岡県立美術館紀要)/『新派 SIMPA―アヴァンギャルド演劇の水脈』(早稲田大学坪内博士記念演劇博物館)/『新派名優 喜多村緑郎日記』 喜多村緑郎(八木書店)
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