アナ・ロクサーヌ(Ana Roxanne)の新譜『Poem 1』は、天国と現世が交信するような、とても美しい音楽だ。声。アンビエント。クラシカル。その絹のように柔らかな音。その折り重なり——。
     アナ・ロクサーヌは、フィリピン系アメリカ人で、現在はロサンゼルスを拠点に活動するアーティストである。2019年に〈Leaving Records〉から発表した『~~~』、2020年に〈Kranky〉からリリースした『Because of a Flower』によって現代アンビエント/ドローン音楽を語る上で重要な存在となった。
     その音楽は、ひとつのジャンルへ還元されることを拒む。ニューエイジ、ミニマリズム、教会音楽、クラシック、ジャズ、エレクトロアコースティック。それらが音楽的要素が淡く溶け合い、かすかな芳香のように空間へ広がっていく。幾重もの音楽的要素を繊細に編み上げるアナの作品は、「自己」という輪郭がゆっくりと解けて、世界と溶け合っていく瞬間を音楽として結晶化したもののようである。

     本作『Poem 1』のリリースは、『Because of a Flower』と同じく米国の老舗実験音楽レーベル〈Kranky〉だ。1990年代以降、スターズ・オブ・ザ・リッド(Stars of the Lid)、グローパー(Grouper)、ティム・ヘッカー(Tim Hecker)、ラブラドフォード(Labradford)、パン・アメリカン(Pan American)、ウィンディ&カール(Windy & Carl)らを送り出してきた〈Kranky〉は、ドローンやアンビエント、スロウコア以降の実験音楽の深い森を育て続けてきた名門である。
     この『Poem 1』もまた、その豊かな系譜の先に咲いた作品といえよう。同時に、本作はグローパー以降のシンガーソングライター作品にも通じる親密さと温度を帯びている。
     これまでのアナ・ロクサーヌの音楽においても、声は常に重要な存在だった。それは霧のなかへ溶け込み、電子音やドローンと見分けがつかなくなるほど曖昧な輪郭を持っていた。しかし本作『Poem 1』で初めてその声は音楽の前景へと歩み出る。削ぎ落とされた音の中心で、脆さと儚さをまといながらも確かな存在感を放つのだ。
     アルバムの幕を開ける1曲目“The Age of Innocence”から、その変化ははっきりと感じられる。持続するドローンの上を漂う歌声は、かつての超越的な浮遊感というよりも、むしろ身体に宿る呼吸そのものに近い。わずかなヴィブラート、息継ぎの気配、声の震え。その細部が露わになることで、本作はアンビエント作品でありながら、きわめて親密なシンガーソングライター作品としても響き始める。
     続く2曲目“Berceuse in A-flat Minor, Op. 45”では、抑制されたピアノとベースが静かな骨格を形づくり、その上に彼女の声がそっと置かれる。ここで印象的なのは、音楽がどこかへ向かって加速しないことだ。アナ・ロクサーヌは劇的なカタルシスを求めない。静止寸前のテンポ、持続する和音、ほとんど動かない旋律。その内部でのみ揺れる感情を、彼女は丁寧にすくい上げていく。
     3曲目“Keepsake”は本作の核のひとつと言えるだろう。まるで古びたバーの片隅で、ひとり静かにピアノを弾いているような音の質感。乾いた残響のなかで響く声は、記憶そのものが歌っているかのようだ。ここでのアナ・ロクサーヌは、ニューエイジ的な透明性から少し距離を取り、ジュリー・クルーズ(Julee Cruise)のドリームポップや、グローパーのアンビエントポップにも通じる親密な陰影へと近づいている。4曲目“X”では静かなドローンが持続し、その上に霞んだ音が降り重ねられていく。ボーカルなしのインスト曲だが、静謐ながら本作の「響き」のもっとも純粋な状態のように思えた。
     アルバム中盤の5曲目“Untitled II”では、夢幻的なアンビエンスが姿を現す。ゆっくりと引き延ばされたリズム、葬送曲のようなピアノ、霞のように漂うシンセサイザー。その音像はどこかデヴィッド・リンチの映像世界を思わせ、現実と夢の境界線が薄れていく感覚をもたらす。この楽曲において彼女は、過去の作風と現在のソングライティングを自然に結び合わせることに成功した。
     さらに特筆すべきは、6曲目“One Shall Sleep”で試みられたロベルト・シューマンの歌曲「ユスティヌス・ケルナーによる12の詩(12 Gedichte von Justinus Kerner)』Op. 35」の第10曲目の再解釈である。19世紀ドイツ歌曲の旋律を、ドローンとアンビエントの時間感覚で静かに包み込みながら再構築する手法はとにかく見事のひとこと。そして19世紀の詩人ユスティヌス・ケルナーの詩を朗読するアナの声の存在感。この曲では「古典」と「現代」は対立することなく溶け合い、あたかも遠い時代の幽霊が現在の空気のなかへ静かに漂い込んできたかのような感覚を生み出している。7曲目“Wishful (draft)”ではクラシカルなドローン/アンビエントに重なる鐘のような乾いたリズム。この“X”と同様にインスト曲だが、音の深遠さ、幽玄さはアルバム随一だ。
     アルバム終盤の8曲目“Cover Me”から9曲目“Atonement”へ至る流れは筆舌に尽くしがたい。コーラスの柔らかな響きに抱かれたあと、彼女の声はわずかに前方へと歩み出る。アルバム全体を覆っていた静かな悲哀は最後まで消え去らない。しかし残されるのは絶望ではなく、長い道のりをなお歩み続けようとする微かな意志の灯である。

     以上、全9曲、本作が扱うのは喪失であり、傷であり、癒えない記憶だ。だが『Poem 1』はそれらを感情の爆発として描こうとはしない。むしろ沈黙と余白を守り続ける。声も音も旋律も、静謐な空気のなかをゆっくりと漂う。感情は霧のように蒸発する。しかしその消えゆく過程そのものが、本作に透明な悲しみを与えていると思う。
     このアルバムは感情で空間を埋め尽くすための音楽ではない。聴き手を立ち止まらせ、心の深い場所へ静かに沈めていくための音楽なのである。アナ・ロクサーヌは本作で、アンビエントの奥底に眠っていた「歌」をそっと掬い上げた。その歌は決して声高ではない。だが、水面に落ちた一滴の波紋のように、静かに、そして長く響き続けるだろう。

     『Poem 1』は、これまでアナ・ロクサーヌが探求してきた「身体から遊離する音楽」を、もう一度「身体」へと呼び戻していく旅路=過程の記録である。声、呼吸、沈黙、残響。そのすべてを極限まで削ぎ落とした先に、本作は静かな密度を獲得した。そこには音楽というより、一篇の祈りにも似た時間が流れている。

    デンシノオト

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