武道館の熱気には驚かされた。本人の弁によれば、「三回に一回は解散しそうになってた」というほどバンド内の人間関係に影響が出ていた全国47都道府県ツアー、それを乗り越えたからこそ生み出せたにちがいない、強力なアンサンブルにグルーヴ。映像や炎を駆使した演出にも目を奪われたけれど、不意をつかれたのはやはりアンコールだった。交流のあるアーティストたちが代わるがわるステージに上がり、ワン・コーラスずつかましていく局面、向井秀徳から鎮座DOPENESSまで入り乱れるその様は、少なからぬ人びとが自分の趣味、島宇宙に閉じこもりがちな現代にあって、GEZANの存在が文化的な結節点になっていることの象徴のようでもあった。価値観が異なっていても、目指す方向がばらばらでも、ぼくらはいつか出会いなおす(し、きっといっしょにやっていける)──そうしたコモンな感覚は最新作『I KNOW HOW NOW』の冒頭、穏やかなアコギに導かれ、メンバー全員が「ぼくは北を前だと思った」「オレは東を前だと思った」とマイクをまわしていく “beat” によくあらわれている。
通算7枚目となる最新作はGEZANのひとつの到達点だ。5枚目『狂(KLUE)』(2020年)でダブを導入し一気にサウンドの幅を広げ、6枚目『あのち』(2023年)では高らかにバグパイプを鳴り響かせてみせた彼ら。昨秋の炎上はことさらフロントマンの政治性が強調される結果となってしまったかもしれないが、しかし『I KNOW HOW NOW』はなによりもまずGEZANというバンドが繰り広げる音楽的冒険の、さらなる深化を示している。
驚くべきは、その静かさだろう。サイレンスという意味ではない。たとえば “HAPPY HIPPIE” や “BEST DAY EVER”、“予感” で存在感を放つバグパイプは、もはやこの民族楽器がGEZANのシグネチャーとなっていることを証明している。もちろん彼らがもつハードコアやハード・ロックの側面が失われたわけではない。重厚なギターもあればデス・グロウルもある。ただ、これまでのアルバムがみせてきた激しい表情と比べてみたとき、新作はだいぶ落ち着いた印象を受けるのだ。マヒト当人は「台風の中心は静か」と表現していたけども、それを成熟と呼んでしまうのは性急だろうか? “Amrita” では「イーグルに子どもが生まれた」と歌われる。すぐさまそれは「どうやって説明すればいい?/あの飛行機はね/ひとを殺しにいくところ」と冷酷な現実へと接続されるわけだが、こうした親の観点は従来のGEZANにはなかったものではなかろうか。
異色なのは先行シングル “数字” だ。これまた以前のGEZANのイメージを裏切る軽快なビートに貫かれた同曲は、グランジふうギターを挟んだりしながら終盤一気に加速、カオスを出現させる。最終曲 “予感” では(前作収録曲 “TOKYO DUB STORY” 同様)切り刻まれたような声の使い方がされていて、これはおそらくエレクトロニック・ミュージック由来の着想だろう。あるいはポスト・ロック/マス・ロックを想起させる “HOWL” のギター&ドラムス、青葉市子を招いた “BEST DAY EVER” で効果的に用いられる5iveのシンセ。これら数々の創意工夫に耳を傾けていると、クラブ・ミュージックから実験音楽までさまざまな「現場」で彼らがインプットしてきたもの、その絶妙なハイブリッドがこの『I KNOW HOW NOW』なのではないかという気がしてくる。「べつに吸収しようとかはぜんぜんなくて」とマヒト本人であれば否定するだろう。しかし彼ほどアンダーグラウンドのギグやパーティに足を運んでいるアーティストはほかに思い浮かばない。そうした好奇心、雑食的態度こそ、GEZANを文化的ハブたらしめているのではないだろうか。なにせ彼らはウガンダのニェゲ・ニェゲともつながったのだ。マヒトゥ・ザ・ピーポーという人間の懐の深さ、器の大きさをかんがみるに、GEZANは今後も止まることなくさらに進化していくにちがいない。
この「アンダーグラウンド」は「アウトサイダー」といいかえることもできる。全感覚祭のDIY精神、あるいは映画『i ai』にもあらわれていたように、「まっとうな」道だけが正解じゃないんだぜと、GEZANの今回の新作もまた教えてくれているのだ。レールから外れる生き方がかつてなく困難になった時代にあって、それを勇気と呼ばずにいることは非常に難しい。
小林拓音
