「神の値段」などのアートミステリーで知られる小説家、一色さゆりさんの最新刊「モナリザの裏側」(新潮社)が発売されました。アートそのものというミステリアスなタイトルで、新作がどんな中身なのか気になります。そこで「美術展ナビ」では一色さんにインタビューしました。誰もが知る名作や巨匠をモチーフにドラマチックなストーリーが描かれ、アートの素晴らしさを改めてかみしめる短編集です。(聞き手 美術展ナビ編集班・岡部匡志)

「短編ながら調査や取材は長編なみの時間に」
――新作は5編の短編からなります。ムンクの『叫び』、フランツ・マルクの『青い馬の塔』など美術史に燦然と輝く名作が重要なモチーフとして登場します。
一色さん 創作の出発点は、美術品が歴史の中で特別な働きをしたエピソードを集めることでした。魅力的なミュージアムや人々を惹きつける名画との出会いを物語の核として、アートが時代を動かす、あるいは人の人生を変える、というストーリーを描いてみたかったのです。
――新著の表題にもなった「モナリザの裏側」はタイトルが示す通り、ルーヴル美術館が重要なモチーフ。まるで登場人物と一緒にルーヴルを歩いているかのような描写にワクワクしました。ムンクの『叫び』が登場する「オスロで光の種をまく」も、オスロの街やムンク美術館、そして『叫び』が織りなす静謐な雰囲気が行間からじわじわと伝わってきて、主人公の内的世界と響きあっていました。
一色さん 短編ながら一編一編の調査や取材には長編並みの時間をかけました。現場をみたり、図書館に通ったり。そのため着想したのは2021年ごろなのですが、一冊として完成するまでに予想外に時間が掛かってしまいました。
オスロにあるムンク美術館
オークションの場面、自身の経験も活かす
――「富士山のハンマープライス」はフィクションですが、ゴッホの名作を高額で落札した大昭和製紙の齋藤了英氏(1916~1996)のエピソードが下敷きになっていると、アートファンなら気付く方も多いでしょう。齋藤さんと言えばゴッホ作品を落札した際、「死んだら(ゴッホの絵を)棺桶に入れてもらうつもりだ」という発言が伝わり、世界的な批判を受けたことで有名です。そして一色さんのストーリーは二転三転の思わぬ展開を見せ、驚きと興奮の連続でした。
一色さん 齋藤さんは静岡の出身で、私も現在、静岡に住んでおり、図書館に調べ事で行くと齋藤さんに関係する書籍や資料が豊富にあり、じっくり読む機会がありました。するとあの「棺桶」発言から受けるイメージとはちょっと違う、魅力的な人物像を知ることになりました。人には様々な面があるのでどちらが正しいとか間違っている、ということではありませんが、それでも齋藤さんのような複雑な人物を描いてみたいと思いました。
ーーその「富士山のハンマープライス」では、ニューヨークで行われるオークションの場面がクライマックス。ゴッホ作をめぐって超高額で競り合う展開にはドキドキさせられました。とてもリアルなシーンでしたが、あれも取材ですか。
一色さん あの場面は自分の体験です(笑)
ーーそれはすごい!オークションの当事者だったという方に初めてお会いしました。そうした経験も作品のリアリティを支えているのですね。
一色さん そんな大したことではなくて、ギャラリーに務めていた時にオークションに参加し、代理であの「パドル」という札を挙げたことがあります。自分が買うわけではありませんが、ドキドキしました(笑)
ーー主人公が子供との関係で苦労するエピソードも心に染みました。
一色さん やはり自分が子育ての当事者になったことで、力が入る場面になりました。
自作について語る一色さん(撮影 新潮社)
生まれ育った京都の描写にはこだわり
――「青い馬はどこへ」はナチス時代のドイツが舞台。戦争の足音が近づいてくる中、一部の芸術が露骨な弾圧の対象になり、権力によって翻弄される人々の姿に胸が痛みました。ファシズムとの対峙というサスペンスとしての緊迫度も強烈。クライマックスでは思わず手に汗握りました。
一色さん もともとナチスと「退廃芸術」をめぐる弾圧の歩みや、密告やスパイがつきものというあの時代に強い関心がありました。アートを愛していただけなのに、誰もが追い詰められる立場になり得る、という恐ろしさです。戦争が絶えない現代の社会の状況ともどこか通じます。
ーー「千年のあこがれ」は戦前の京都が舞台です。画家を目指す当時の女性が置かれた厳しい状況は読んでいて実に辛いものでした。折々挿入される、女性画家の先人としてのベルト・モリゾのエピソードも印象的。背景として描かれる京都の街やそこに暮らす人々の描写も見事でした。
一色さん 京都は生まれ育った街なので、京都らしいちょっと「いけず」な人々のあり様とか、鴨川の描写などにはかなりこだわりました。
エドゥアール・マネ 《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》 1872年 オルセー美術館
ーー舞台は京都ですが、ストーリーとしては三岸節子さんと長谷川春子さんの関係を連想させました。
一色さん 直接あの2人を描いたわけではありませんが、アイデアの下敷きにはなっています。戦争に巻き込まれていく中で、2人の関係が変わってしまうところがよく注目されますが、短編として切り取るなら当時の女性アーティストとしての苦しみと、彼女たちの間で友情が深まっていく過程を描いてみたい、と。ジェンダー論など現代にも通じるテーマですし、時代を超えて今の読者にも響く内容になっていたら嬉しいです。
アートへの惜しみない愛、そして共感
――全体を通じてアート作品や美術館、それぞれの時代背景などのリアルな描写から、「えっ」と驚かせるフィクションへの展開が鮮やかでした。アナログなアートの世界とは一見無縁な、近未来的なテクノロジーへの言及もあるなど、仕掛けやアイデアも豊富です。
一色さん どこまで嘘をつくか、ということが最大の難所です。作品やアーティストについて、書き手の都合で改変したら読み手は興ざめしてしまいます。事実をしっかり描く部分と虚構の境界をどこに設定するのがいいのか、常に悩む部分です。
ーー何といっても、どの作品からも一色さんのアートへの惜しみない愛が伝わってきます。そして作品を通じて、読み手としても自分自身の美術鑑賞体験の興奮や感動がよみがえってきます。
一色さん 美術鑑賞はとても個人的な体験だと思います。感想や感動というのもシェアし難い部分があります。もちろんシェアして楽しいものもあるんですが、「私にしかわからない」みたいな部分が作品に込められたらいいな、と。誰かが評価してるからそれがいいというのではなく、自分自身にとってかけがえのないもの。それが美術鑑賞の面白さの核だと思います。
撮影 新潮社
一色さゆりさん 1988年、京都府生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒。香港中文大学大学院修了。2015年、『神の値段』で第14回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、デビュ一。著書に『音のない理髪店』『モネの宝箱 あの日の睡蓮を探して』『ピカソになれない私たち』、『コンサバター 大英博物館の天才修復士』をはじめとする「コンサバター」シリーズ、『光をえがく人』『カンヴァスの恋人たち』など。
「モナリザの裏側」
三上唯/装画、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 240ページ
ISBN 978-4-10-356861-2
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 2,145円
電子書籍 価格 2,145円
電子書籍 配信開始日 2026年5月20日
お買い求めは、新潮社のサイト、アマゾンなどへ。
