奈良弁の若者言葉の万葉集シリーズが大ヒットしている万葉社の佐々木良さん。本の利益の多くを寄付する一方で、地域活性化や創業支援に関する講演、即応予備自衛官としての活動にも取り組んでいます。これらの活動の背景には、利益の最大化ではなく、納税と寄付を重視する明確な意思がありました。「万葉社編」第2回は、佐々木さんの社会とのかかわり方について話を聞きます。

    地方局のニュースから、全国のメディアへ

    ご自身の結婚式の引き出物を兼ねて2022年に制作した、奈良弁の若者言葉による万葉集『
    愛するよりも愛されたい
    』が、12刷・17万部を記録しました。その後『
    太子の少年
    』(2023年)、『
    式部だきしめて
    』(2024年)、『
    愛のかまたり
    』(2025年)を出版し、シリーズ累計27万部に達しています。佐々木さんは、この広がりをどんなふうに受け止めていますか?

     前回の記事「
    万葉社・佐々木良 失業状態から出版社を立ち上げ、27万部の大ヒット
    」でお話ししたように1冊目はもともと引き出物として配っていたので、最初から在庫処分の感覚でいました。結婚式に出席してくれた方の中に地方局のアナウンサーがいらして、ご祝儀のつもりで、テレビで『愛するよりも愛されたい』を紹介してくれたんです。すると初版が一気に売り切れてしまいました。もともと売れると思っていなかったので増刷は考えていなかったのですが、「欲しい」という声が増えてきて、1000部増刷してAmazonで販売したら、すぐ完売しました。

     その後、定価1000円の本がメルカリで、8000円で取引されているのを見て、この状況は嫌だなと思い、5000部、1万部と増刷を重ねていきました。そこからは、13カ月連続で前月比の売り上げを更新し続けていて、ずっと階段を上り続けているような感覚です。

    奈良弁の若者言葉による万葉集シリーズは4冊を刊行。左から『愛のかまたり』『式部だきしめて』『太子の少年』『愛するよりも愛されたい』

    奈良弁の若者言葉による万葉集シリーズは4冊を刊行。左から『愛のかまたり』『式部だきしめて』『太子の少年』『愛するよりも愛されたい』

    大きく広がる転機は何だったのでしょう。

     メディアでの取り上げられ方が変わっていったのが大きいと思います。最初は朝日新聞の香川版で紹介されたのが、全国版に掲載されるようになって、テレビも地方局で紹介されていたものが、全国放送で「地方でこんな面白いことが起きている」という文脈で取り上げられるようになりました。

     切り口も多様になっていきました。新型コロナウイルス禍の特別定額給付金を元手にひとり出版社を立ち上げたという話から、元号の由来である万葉集が読みやすい本になったこと、ローカル出版社の本が売れていること、取次に頼らない流通の仕組みなど、いろんな角度から紹介していただきました。

     ちょうどコロナ禍で明るいニュースが少ない時期だったので、万葉社の取り組みはポジティブな話題として扱いやすかったんだと思います。メディアに取り上げてもらいやすい引き出しの多さを狙っていた部分もありますが、ここまで広がるとは想像していませんでした。

    規模が広がっても、直取引で

    累計27万部に達しても、取次を通さず直取引を行っているのですか?

     すべて直取引で対応しています。最初に注文をいただいたのがジュンク堂書店と紀伊國屋書店です。紀伊國屋書店は初回に7000部を発注してくださって、印刷所までトラックで引き取りに来てくれました。梅田本店では納品から1週間で660冊を販売したそうで、これまでに紀伊國屋書店だけで約2万部を扱ってもらっています。

    「取次は通さず、すべて直取引をしています」と佐々木良さん

    「取次は通さず、すべて直取引をしています」と佐々木良さん

     メディアで紹介されると、それを見た方が書店に問い合わせをしてくれるのですが、万葉社の本を取り扱っていない店舗も多く、「なぜ置いていないのか」とお客様から怒られることがあるそうです。お客様にとっては取次を介した業界の仕組みは関係なくて、欲しい本が本屋にないことが不思議なんですね。なので、町の書店や独立系書店から連絡をいただくたびに、すべて直取引で卸しています。

    それだけの規模になると、作業もかなり大変そうです。

     主要な大型書店と直取引の契約を結んでいたので、途中から取次と契約しても双方にメリットが見込めない状況でした。ですから、現在も直取引を続けています。立ち上げ当初は1日に50件も電話がかかってくることがあって、そのたびに伝票を書いて、発送するという作業を繰り返していたんです。負担が重なったある日、脳脊髄液減少症(のうせきずいえきげんしょうしょう)という病気を発症してしまいました。いきなり意識を失って1カ月ほど病床にいました。今でも、その間の記憶はほとんどないんです。

    万葉社の目的は、利益追求の先にある

    佐々木さんは、万葉社の運営に加えて、講演で全国を回っていますね。どんな意図があるのでしょうか。

     万葉集に詠まれている土地ではあるけれど、ほかに大きな観光資源がない地域は少なくないんです。万葉集を切り口に地域おこしをしたいという自治体からの声がけで、万葉集の専門家として各地域に呼んでいただく機会が増えています。

     また、コロナ禍の特別定額給付金10万円で起業して、そこから累計27万部を発行する出版社になった過程がメディアで紹介されたことで、経営者の方から相談を受けることも多くなっています。菓子店の開業や弁護士事務所の立ち上げなど、業界に関係なく創業の相談に来てくれます。僕の経験を共有することで、これから何かを始めようとする人の後押しになっているなら、出版社の運営と並行して講演の活動を続けようと思います。

    2026年3月12日の官報で、佐々木さんへの紺綬褒章授与が発表されました。公益のために私財を投じた方に授与される褒章ですが、創業から5年での受章とは、大きな評価ですね。

     万葉集の舞台の多くが奈良県なので、万葉社の利益の大半を奈良県に寄付してきました。多額の寄付の実績が評価されて、奈良県から文部科学省に推薦していただいたそうです。

     『愛するよりも愛されたい』シリーズは、本文ページに表紙で使われるような上質紙を使っていて原価は高めです。ただ、著者印税は発生しないし、デザインも自分でしていて、取次を介さない直取引なので、流通コストが抑えられています。書店には70%で卸し、残りの利益の多くを寄付してきました。僕は、特に利益を最大化したいと思って万葉社をやっているわけではないんです。

    それだけの資金が動くと、手元に残しておきたいという欲が出てきそうですし、人よりも良い生活をしたいと思うのが人の性(さが)だと思います。

     創業時に掲げた「納税1億円」の目標は、多くの方に注目していただいているので、そのプレッシャーから早く解放されたいという気持ちもあります。それに、万葉社は一人で運営しているので、人件費がかかりません。主な経費は印刷費と倉庫の保管料くらいで、利益の多くは納税に回るんです。もともと、初版の500部が売り切れたら十分だと思っていました。26万9500部も上乗せされたのは“おまけ”のようなものなので、予定通り納税します。

     そもそも、僕はあまりお金に関心がないんです。普通に暮らしていければ、それでいい。ただ、納税や寄付と生活費のバランスについて、今朝も妻に怒られたところです。お金の不安がまったくないわけではないけれど、『愛するよりも愛されたい』シリーズは今後も売れていきそうな手応えを感じていて、なんとかなると思っています。

    佐々木さんのそういう利他的な姿勢は、もともと持っている価値観ですか?

     こうやって話していると順風満帆に人生を歩んでいるように見えるけれど、振り返ると、順調だった実感はないんです。高校も大学も受験で失敗して、大学院に進めなかったから就職を選びましたし、万葉社を立ち上げる以前は仕事も続きませんでした。僕みたいにうまくいかない経験をしている人は多いと思うので、自分一人でやっていることが、誰かの選択肢として示せればいいなと思っています。

    今は一人でできることの幅が広がっていますね。

     コロナ禍で同級生とほとんど会話をしないまま卒業したとか、修学旅行に行けなかったという話をよく聞きます。食事中は黙食が当たり前で、友だちと何気ない話をすることも制限された世代がいて、そういう話を聞くたびに「なんだそれ」と思うんです。そんな状況の中で、僕が一人で出版社を続ける姿勢を見せることに、少しでも意味があればいい。

     人を雇って営業や広告を強化すれば、累計50万部まで伸ばすことも可能かもしれないけれど、コロナ禍で機会を奪われた若い人たちに対して、小さくてもスタートできることを伝えたいです。だから、ひとり出版社という形にはこだわっていますね。

    即応予備自衛官として活動されているのも、佐々木さんなりの社会貢献の一環ですか?

     以前、通り魔殺人事件の現場に居合わせたことがありました。あとから振り返ると、僕にできることがあったのではないかという思いが消えなくて、美術館で働いていた頃から人の役に立つ活動に関心を持っていました。それで、東日本大震災のときに予備自衛官に志願したんです。それから訓練を重ねて、現在は即応予備自衛官として活動しています。

     ずっと人命救助の訓練を受けてきたので、実際に行動できるようになってきました。先日も、頭から出血していた高齢の方の応急処置をしました。ようやく、自分の行動が誰かの役に立っている実感を持てるようになってきました。

    取材・文/石川歩 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス) 写真/木村輝

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