刀ミュの派生公演、三浦宏規さんが演じる髭切の6年ぶり出陣になる髭切単騎出陣を見てきました。
現地での観劇2回、配信を見ての感想まとめです。
■ミュージカル「刀剣乱舞」髭切 単騎出陣 ~夢幻泡影~とは
「ミュージカル『刀剣乱舞』」(以下刀ミュ)では、“単騎出陣”“双騎出陣”“参騎出陣”といった少数の刀剣男士で出陣する公演が、シリーズ本公演とは異なる形で上演されている。三浦宏規扮する髭切は、2019・2020年に刀ミュ「髭切膝丸 双騎出陣」で膝丸と共に“曽我兄弟の仇討ち”を演じたが、今回は初の単騎出陣となる。2017年より出陣を重ねてきた髭切が、どんな集大成を見せるのか期待しよう。なお本作では、音楽監督を和田俊輔が担当する。
https://natalie.mu/stage/news/650512■ストーリー
髭切に纏わる数多の逸話をモチーフに、髭切自らが語り手となり、物語の流れの中で次々と役柄を自在に行き来しながら演じ分けるミュージカルと、華やかなライブによる二部構成となっている。
https://natalie.mu/stage/news/661960■会場・座席
今回は大阪からの公演スタートで、大阪公演の会場はBrillia HALL 箕面 大ホール<座席表>、東京公演は刀ミュではお初のパルテノン多摩 大ホール<座席表>。
大阪・東京でそれぞれ1公演ずつ行くことが出来まして、大阪は前回の夜半で良席を引いたもののそう毎度上手く行くこともなく今回は2階席、、でしたが、西のブリリアは東のブリリア@池袋と違って音響も良く、手すりが視界の邪魔になることもないし、地底をのぞき込むような距離感でもないのでとても見やすかったです。
公営の施設らしくロビーや会場外にも座る場所がたくさん。ただ駅周辺ががらんとしていてあまり飲食店もないので、晴れていて気候のいい日は開場前も外でなんとなく時間が潰せるけれど、荒天や酷暑では早めに行っても居場所がないかもという感じではありました。
東京公演のパルテノン多摩は都心から距離があり平日8時間勤務後ソワレはほぼ不可能ですが、周辺飲食店が充実していてマチソワ観劇は過ごしやすそう。
こちらも音響が良くて見やすい劇場。1階席のみでキャパ約1,100席なので2階席がなく1階席が長細い日本青年館ホールといった印象でした。
<観劇回>
2026年2月28日(土) 13:00 2階4列4*番
2026年3月13日(金) 18:00 X列*番
■感想
髭切単騎が発表になった当初は、この時期にわざわざ髭切の単騎出陣をやるのは三浦君のスケジュールがようやくここで確保できた(そして多分今後はもうまとまっては取れてない)ことが大きくて、内容は村正双騎的な抽象的な世界観、刀ミュ全体のストーリーに大きく関わるものではないと思っていました。
が、前作「静かなる夜半の寝覚め」観劇後は、劇中で俄かに存在感が増してきた強すぎる想いが影を生む話、そして刀ミュ審神者にその影を生む気配が示されたことから、それに続く話に鬼を斬る刀である髭切が登場とするとなると、実は結構ちゃんと本編に絡む…?というのが私を含め刀ミュファンの大方予想になったと思います。
そして結論としては話の方向性予想はそのまま大正解、でもその内容、表現が予想を上回って本当に素晴らしく、俳優・三浦宏規だからこそ出来ること、そしてこの役者にこういうパフォーマンスをしてもらいたいという各所クリエイターの創作魂がぶつかった、奇跡のような作品でした。
・髭切という刀を取り巻く曖昧さ
冒頭一振りで敵と戦う髭切。
ここは君(=刀ミュ審神者)の夢と現実の狭間で、鬼の形をした影は僕が切り伏せる、だって僕は鬼を斬る獅子だから、と歌います。
そこへ後ろから鬼丸国綱(アンサンブルさんによる扮装ですが、体格含め林光哲さんの佇まいそっくりなのでびっくりしました)が登場すると、夢の中はお前の領分なのに来るのが遅い、そんなだから僕がお前の物語を食ってしまうんだと、心なしかちくちくした言い回し。
ここで鬼丸国綱と髭切についての情報整理を。
「鬼丸国綱」とは
・第五代執権 北条時頼の命で粟田口国綱が打った太刀
・天下五剣の一つに数えられる
・名前の由来は「太平記」から
- 北条時頼(または時頼)が夢で小鬼にうなされており、お告げをうけて国綱の太刀を寝床の傍に立てかけておいた
- その太刀が倒れ掛かり、その先の火鉢の鬼の細工を切り落としたところ、夢に小鬼は現れなくなった
- 以来本刀は「鬼丸」と命名された
・北条家の重宝とされたが北条高時自刃後は新田義貞→斯波高経→足利将軍家と変遷
・所有者が悉く戦に敗れ一族も没落したため不吉の刀とされる
・豊臣秀吉へ贈られるが、京都本阿弥家の本阿弥光徳に預けられる
・明治天皇に献上以来、皇室御物
・御物のため国宝や重要文化財の指定を受けていない
「髭切」とは
・文化庁による重要文化財指定名称は「太刀 銘安綱(鬼切)」
・最上氏(清和源氏の足利氏の支流で三管領の一つ斯波氏分家)の伝来品だったが北野天満宮に奉納、現在も同所蔵
・髭切に言及する物語は複数存在する
①「剣巻」(15世紀頃成立・平家物語or源平盛衰記の付冊?)中の「髭切」
- 源満仲が天下守護のため打たせた
- 筑前国にいた唐国細工師が八幡大菩薩の加護を受けて二振りを鍛え、罪人の試し切りで一振りは髭まで切り落としたので「髭切」、もう一振りは膝まで切り落としたので「膝丸」と呼ばれる
- 髭切・膝丸は息子の源頼光に受け継がれる
- 髭切は頼光の部下・渡辺綱がこの太刀で一条戻り橋の鬼を切ったことで「鬼丸」となる
- その後「獅子の子」「友切」と名前を変える
- 源義朝が所持していた際、名を髭切に戻すと刀に霊力が戻り戦に勝利
②「太平記」(14世紀頃成立)中の「髭切」
- 伯耆国の刀匠大原安綱によって打たれた
- 源頼光が伊勢神宮参拝時、夢に出てきた神仏のお告げに従いこの太刀を譲り受けた
- 大和国宇陀郡の森に人を食らう妖者(鬼)が出るといわれ、源頼光は渡辺綱に鬼を討つようこの太刀を与えた
- 渡辺綱は鬼の腕を切り落としたが、逃げた鬼は腕を奪い返しに来た
・安綱の銘は最上義光の時代に国綱銘に改ざんされている(「童子切安綱」の登場により同じ安綱では比べられてしまうから、「国綱」の名にあやかって価値を高めようとした、などの説)
▼参考資料▼
名前の由来となる伝承が複数という自分を形作る物語の揺らぎ、同じ「太平記」に同じ鬼を斬る刀(鬼丸、鬼切)が出てくる紛らわしさ、そして髭切の銘が国綱に改ざんされているあたりが「物語を食ってしまう」発言の元でしょうか。
ただ食ってしまう、というと髭切が鬼丸の物語や名前を乗っ取ったようなニュアンスを感じるので、整理してみるとそれとはちょっと違うんじゃという気もしていて(鬼丸と髭切の物語は鬼という共通点以外に被るところはないので)、鬼斬りの物語とより強く結びつき、鬼斬りの刀の代表格になっているのは僕、という意味合いなんですかね…。私の理解が浅いのでしょうが、ちょっとよくわからなかった。
初っ端から髭切さん難しいぞ、と思ってしまったのですが、その後の台詞と歌詞はとても明確に、髭切をメインに据えてこの物語を紡ぐ意図が表されているように思えました。
呼ばれる名前が変わるだけで変容し
語られる時代が違うだけですりかわる
あやういよね 物語も歴史も それが夢の中なら影があるから鬼があるのか
鬼が出たから影となるのか鬼を斬り 夢を結ぶ
印を切り 縁を結ぶ
夢と現に線を引く知ってるかい
光が差すから影が落ちる
揺れる心に鬼が宿る僕と鬼が切り結ぶ
君の夢と切り結ぶ
ミュージカル「刀剣乱舞」髭切 単騎出陣 ~夢幻泡影~ 歌詞一部抜粋
夜半の中で、山姥切長義は山姥切国広のことを「俺がいてこそ生まれた光」と言及しました。
夜半では二振りが、本物(存在していいもの)・偽物(存在してはいけなもの)という対立構造から解き放たれ、互いが互いの存在なしには成り立たない、つまり互いを線引きすること=互いを認め合うこと、に落ち着いたと思っていますが、髭切単騎では、今の刀ミュ審神者はまだ自身の中の影に完全に自覚的でない=線引きが出来てはいない。
けれど、それを線引きすると鬼としての形がはっきりしてしまう、つまり人ではない化け物になってしまい、化け物斬りの刀にとって斬るべき対象になってしまう。
つまり今回の「線引き」が成立するとそれは悪い方向に作用する、山姥切たちの場合とは対極の意味合いに。
「線を引く」というのはずっと刀ミュ本丸を語るキーワードで、夢の中というあやふやな世界、影に無自覚というあやふやな状況、そのあやふさやな靄が晴れた時に審神者はどうなっているのか、それを見極め、その結果斬ることになるかもしれない、だからもしかしたら引いた線の向こう側に行くな、鬼になるなという、ある種の警告のために主の夢の中に出陣してきたのが髭切。
自身もあやふやさを内包し、長い間そのあやふさと付き合ってきた髭切がその役割にふさわしい、そういう物語なのかなと感じました。
そしてその手段として、髭切は己のはっきりとしない由来と来歴、その中で大きな割合を占める鬼にまつわる物語、そもそも鬼とはどのような存在なのかを巡る旅を主の夢の中で展開していきます。
まずは刀が打たれるところから。
「刀鍛冶の神様は一つ目なんだそうだよ」という髭切の台詞が印象に残っていて、これは日本神話の製鉄と鍛冶の神、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)を指していると思いますが、ふとギリシャ神話の鍛冶の神(へパイトスではなくキュクロプスの方)も一つ目だったな、と思い出しました。
鍛冶職人は片目を失明しやすい職業というのは古くから東西共通の認識だったのかもですが、それが神話の設定としても共通しているというのは面白いなと思います。
続けて「願った通りの刀ができないこともあるよ。だからって自分を責めることはない」と髭切は言うのですが、これは刀ミュ審神者が過去に自分のことを「落ちこぼれだった」と自虐したこと、初期刀を折ってしまったこと、そういうことを全部含んでの発言かな。
ずばっと突き刺しつつフォローしてるのか何なのか結果的によく分からない感じが兄者らしい台詞です。
ここで髭切の姿のまま舞台上手端にある机(講談では釈台というのだそう)の前に座り、そこからは講談スタイルで髭切がナレーションを担う、頼光四天王の物語がスタート。
三浦君こんなことも出来ちゃうんだ、恐ろしい子…はまだまだ序の口で、物語の語り手だけではなく、劇中劇で複数の役も演じちゃう。
ふわっと打掛を羽織るとたおやかな橋姫(橋にまつわる伝承に登場する女神、鬼女)になり、「綱様は鬼を一体どのようなものとお考えです。…人とは違う異形の化け物。わらわは違うでしょ」と渡辺綱を惑わせようとするところは、東京では大阪以上に色っぽい表現に深まっていて、源氏双騎での花組芝居・加納さんの演技を間近で見ていたことや、ミュージカル「ジェイミー」でドラァグクイーンを目指す高校生を演じて得たフェミニンさの表現も活きているように思いました。
その後、斬り落とした腕を安倍晴明が封印する間、謹慎している綱のもとを訪ねてきた老婆(母親)の声も演じる三浦君。ここでのしわがれた声の変化もすごい。
・「鬼」とはもののけ姫でありエルファバでもあり
劇中劇で今度は渡辺綱になった髭切、斬った鬼はどんな鬼かという問いに、
「美しい姫の姿をした美しき鬼」と言い、髭切自身はそれに対して「彼には(鬼が)美しく映ったのだね」と述べます。
その辺りからおぉ…?と思っていたのですが、綱が鬼(茨木童子)と対峙した時に吐露した「やはりそなたは美しい」、それを聞いて茨木童子が驚き飛びのいてそのまま逃げていくところは「もののけ姫」のアシタカとサンを連想しない方が難しい。
三浦君はアシタカじゃなくてハク様(舞台「千と千尋の神隠し」のオリジナルキャストなので)なんだけどな、アシタカも似合うし出来そうだけどと一瞬思ったのは完全に横道ですが、アシタカは陸奥一蓮でも描かれた大和朝廷に従わない「まつろわぬ民」の末裔。サンは人間に捨てられ、そのまま人間社会や文明に馴染めなかった故に権力者施政者からスケープゴートにされた存在。
逃げていく茨木童子の落とした飾り櫛を拾った髭切は、鬼がこの櫛を手にしていたら誰もが真っ先に殺した人間から奪ったのだと思うだろう、でも
どうしてだろう、愛しい親兄弟がいるかもしれないのに、と髭切は言います。なんというか不良が金目のものを持っていたら買ったんじゃなく盗んだのかと疑われる、みたいなやつ…。
「鬼」と呼ばれてきたものの正体は突然現れた異形のモンスターではなく、元は同じ人間なのに何かが普通と違い、普通の人が恐れを感じる存在だったことで、コミュニティの不平不満を引き受ける悪役にされてしまったもの、スケープゴートとして歴史に埋もれていった敗者、弱者だとすると、これまで刀ミュが描いてきた、三日月宗近が手を差し伸べようとしてきたものにも近いのかもしれません。
物には心が宿る、この櫛にはどんな物語があるのだろう、で、茨木童子誕生の振り返りが始まります。この物を媒介に過去を遡る導入の仕方はすごく刀剣乱舞ならではな感じがして好きですね。
幼い頃の茨木童子は人形浄瑠璃文楽調に、人形を操りながら三浦君が子供の声で演じます。
この演技のふり幅もまたすごいのだけど、講談といい日本古典芸能がこれでもかと取り入れられてるのがまたすごい。
そして鬼の誕生秘話に迫る、というのは昨年の今頃開催されたサントリー美術館「酒呑童子ビギンズ」にも通じるもの。
この展示自体もすごく面白くて、刀剣乱舞ファンの端くれとしてもやっぱりあれは見ておいて良かったと改めて思いました。
茨木童子は母の胎内に16ヵ月宿り続け、歯は生えそろい、髪は垂れた鬼子(親に似ていない子供、異様な姿で生まれた子供)として生まれ、母の死後は父親に疎まれ、母の形見の飾り櫛のみを持たされ捨てられる。
ここは「ウィキッド」のエルファバも想起させる設定で、日本で「鬼」と呼ばれた存在は、キリスト教に基づく西洋文化ではきっと「魔女」だったのでしょう。
森の中の水辺で、水面に映る醜い姿に絶望した茨木童子は同じように鬼の風貌のもう一匹(酒吞童子)と出会います。
「一つが二つに、一人が二人に」、天涯孤独だと思った自分に仲間がいると知った時の、絶望の中の小さな光。
酒呑童子は茨木童子が落とした母の形見を拾い、「大事にしろよ」と声を掛けるのですが、茨木童子はここで初めて「大事なもの」という概念を得たのか、それは多分大事にされてきた記憶が彼の中にないことの表れでもあって、たどたどしく「大事」という言葉を繰り返す茨木童子の姿はとても胸を突きました。
これは深読みすぎかもですが、落ちこぼれだった刀ミュ審神者は茨木童子、初めて仲間になった初期刀歌仙兼定は酒呑童子と見ることも出来る気がする。
鬼の成り立ちを振り返っている髭切、ここで下手サイドのオケピ(でいいのかな)に近づいていき、水分補給しながら演奏担当の皆さんに話しかけていきます。
ずっと舞台上出ずっぱりだからやむを得ない、もそうなんですが、普通に舞台上で飲み物を飲んだり演奏者と話したり、第四の壁を突破してくるこういう演出は私はすごく好きで、夢の中だからこそ何でもできる、荒唐無稽で不条理な感じも表すことができていいなと思います。
ここからはちょっとだけ日替わりフリーパート。
鬼とはなんだろう。人を殺すなら人間だって殺すし、人を食うなら人間だってそうせざるをえないこともある、よね?と怖いことを言い出す髭切に、ピアノや弦楽器の不協和音で応じる演奏者さんたち。
さっきまで綺麗だったのにどうしてそんなに汚い音が鳴るのーとか、質問が怖かったんだ?とか反応する兄者が可愛い。
三浦君って本当にナチュラルボーン髭切みたいなところがある。
人と鬼に実はそんなに違いがないなら、それは人は鬼、鬼は人ってことになるけど。それって見る角度によって全く違うものに見える、月と同じ、で三日月宗近に話が繋がっていく流れは、個人的にはそんなに三日月宗近をねじ込まなくてもな、という感じは一瞬しましたが、一方でやっぱりこれは夢なので、言葉や情景の断片から連想してシーンやカットが唐突に繋がっていく感じは夢の展開らしくてリアルかも、とも。
繋がりでいうと、髭切は「君(=刀ミュ審神者)の夢は次にどこに繋がるのかな」といい、「何しろ鬼の話は増えるから」とこれまたちくりと鬼斬りの話が複数、矛盾を孕んで存在することを示唆します。
そして劇中劇の中で、渡辺綱は帝の命で都で狼藉を働く酒呑童子を倒すため、そして拾った飾り櫛を持ち主である茨木童子に返すため、山伏のふりをして大江山にやってきます。
髭切曰く「ここに繋がるんだ」、つまり「剣巻」の話から「太平記」の話に繋がったということで、自分にまつわる逸話をすごく他人事のように冷めて、でもどこか面白がっているようにも見える描写。
鬼の惣領、酒呑童子を演じるのもまた三浦君で、巻き舌口調の柄の悪い演技がこれまでの演じ分けとはまた違ってかっこいい。
この櫛を落とした女子がいるはずと綱に言われ、「そんな女ここにはいない。ここの女はみな醜女さ。見目麗しければ最初に食っている」なんて暴言すらかっこいいのはどういうことなんだろう。笑
この先髭切曰く「怒涛の山場」になって、大江山での酒呑童子討伐の大立ち回りがあり、首を刎ねられた酒呑童子が最後に首だけになって反撃をしかける場面があるのですが、そこで酒呑童子が「にくい、にくい、にくい」と恨みをぶちまける、これは夜半で直冬の影が言っていたものと完全に同じ。
やっぱり影=鬼、刀ミュ審神者が影を生んだらそれは鬼って構図が成立してしまうんだというのが改めてはっきりしました。
戦いの後、渡辺綱は残された茨木童子に対して「都に来い」と言います。
これもまた「もののけ姫」彷彿というか、アシタカとサンの最後に重なる。
サンもそうですが、「ウィキッド」のエルファバも、自分を線引きして迫害した人間サイドに対して一定の理解を示すものの、同じ場所で共存することは拒否して最終的に姿を消します。
一度「鬼」のレッテルを貼られてしまってはのこのこ友好関係に戻れないのはそれはそうで、「鬼」になったら・されてしまったら最後、一部の誰かが「それでもお前は美しい」と生き様を認めてくれたところで、こちら側には戻れない。
人と鬼の違いは些細なこと、お前が鬼なら自分も鬼かもしれない、でも一度鬼になってしまったらもう人へは戻れない。戻りたいとも思わなくなるのかも。
髭切が自身の複数の逸話を絡めながら見せてくれた夢は、そういうことを刀ミュ審神者に伝えたかったのかもしれません。
・弟の名前を呼ばない理由と「境界」に対するスタンス
綱と対峙した酒呑童子は「都の女が殺されるのは許されないが、俺(=鬼)を殺すのはいいのか」、鬼かどうかではなく、人に害するから斬る、と言われれば「人こそ人に害するものではないか」と怒りを露わに詰りました。
勝手に線を引いておいて滑稽だな
人になれず人にあらず人であることを許されず
こちらとあちらに分けた
なぜ線を引く
お前らが何を見殺しにしてきたか
ミュージカル「刀剣乱舞」髭切 単騎出陣 ~夢幻泡影~ 台詞一部抜粋
そしていよいよ綱vs酒呑童子の戦か、と緊迫した雰囲気になったところでまさかの夢の主である刀ミュ審神者が目覚める=客電がつく演出。
これも第四の壁突破というか、夢の中の物語だからこそ、舞台だからこその演出ですごく好きだし面白かったですね。
こんなところで目が覚めちゃったの、盛り上がるのこれからなのに!と客席側にちょっとぷんぷん気味な髭切も可愛いし、電気点いちゃったから戻りままーす、とばかりに他の出演者の皆さんがすたこら捌けていくのも面白くて、えぇー待ってよーと残念そうな髭切がまた可愛い。
刀ミュ審神者が眠りから覚めてしまったことから、もうすぐ夜が明ける、その夜と朝に浮かぶ名残月を見て、夜と朝、光と影、表と裏、線のこちらとあちら、その境界は曖昧だけど三日月宗近は、僕たちはどっちなのだろうと髭切。
「鬼」とは普通の人とは違うことでスケープゴートにされた存在と前述しましたが、酒呑童子も「鬼」は意図的に線を引かれた存在だと怒りを露わにしていて、これは酒呑童子の台詞だけど、それを髭切が演じることでこれって髭切の怒りでもあるのかなぁ、と。
劇中劇で髭切が演じる時と、演じないでナレーションや髭切本人に戻るタイミングがあるけれど、髭切が役を演じている時、その役が吐く台詞は髭切の考え方と近い時なのかも。
そう思ったのは髭切が名前というものに対して「名前って不自由でやっかいってことさ。本当に大切なことにはきっと名前なんてない」、「色んなものに名前をつけてことあるごとにつけかえる」、「名前ほど強い縁はない」と言及していたことにあります。
髭切というキャラクターの特徴として、弟刀の膝丸の名前を呼ばない(覚えていないのか、わかっていてあえて呼ばないのか)、それは自分も弟も名前もその由来も色々あって、原作台詞にある通り「千年も刀やってるとね、大抵のことはどうでもよくなってくるんだ」という感覚から、名前で定義することに重要性を感じていないのだと思っていたのですが、
この発言を踏まえると名前の重要性は分かっているからこそ、人間の都合でそれが度々書き換えられることに煩わしさを感じている、弟のこともどうでもいい大抵のものの中に含めているわけでなく、むしろ大切に思っているからこそ、元々同じ玉鋼から生まれた対の刀だったのに、まず試し切りの逸話で分断され、鬼斬りの強い逸話を与えられて分断され、どんどんどんどん勝手な都合で弟との境界が太く、明確にさせられていくことが嫌で、その象徴である名前を呼びたくない。
髭切という刀剣男士はそういうかなりはっきりした「したくない」の感情に基づいていて、とにかく勝手な線引きに対して強い嫌悪感があるから、ここでの酒呑童子にリンクしたのだろうと解釈しました。
一方で、夜と朝、光と影、表と裏等、元々あってしかるべき境界は受け入れているし、それが曖昧でも強固なものでも、そのままでいいとも思っている。
だからわざわざ名前をつけて曖昧なものの輪郭をはっきりさせたがる、曖昧なままだと不安になってしまう人間は不思議だね?と思っている(曖昧ならずっと一緒なのに、なんで分けちゃうの?みたいな感じ?)し、「僕は君を疑わない。君に何も求めない。君と僕は違う。間には線がある」と一見突き放すようなことが言えてしまう。
でもこれ髭切が刀ミュ審神者に冷淡なんじゃなくて、他の刀ミュ本丸の古参刀たちが初期刀消失以降ずっと負の感情に支配され続けていたのに対して、君の不安や恐れや悲しみに僕は左右されないでマイペースであり続けてるよという、ある意味安心してほしいとか、励ましの表明なんじゃないかと思います。
君(=刀ミュ審神者)はまだ探し物をしているんだね、という髭切は、当然刀ミュ審神者が初期刀の歌仙を追い求め続けていることを知っている。
朝、目覚めた審神者に対してわざわざ「風流」とか、「歌を詠みたい」というキーワードを出していることからもそれは明らかです。
物語の最後に刀ミュ審神者に向けた言葉、「過ぎたことに想いを馳せるのはいい」、これは君の考えは君のものだからそれは尊重するし邪魔はしないということ。
「でもその心に名前をつけてはいけない」、これは境界をはっきりさせてしまったら鬼になってしまう、そうなったら僕は僕の役割としての鬼斬りを全うするということ。
分かりやすい形ではないけれど、自身の本丸の審神者を髭切なりに尊重し、でも厳しく、そして大切に思っている、そういう姿を見せてもらった作品でした。
▼インタビュー記事▼
・2部ライブパートについて
ライブパートは新曲、既存人気曲メドレー形式、お着換えの間のダンサー紹介パート、MC、一緒に踊れる客降り曲、劇中曲のリプライズ、最後にメインテーマ刀剣乱舞のクラシック生演奏アレンジ!と盛り上がらないわけない最高構成で、既存メドレーとか客降りがある辺りはこちらもとても楽しかった村正双騎のライブパートに近く、大成功の方程式。
MCは膝丸から手紙が送られてきて、その内容に沿って兄弟切磋琢磨対決としてゲームをするという内容。
髭切単騎に膝丸の関わりがゼロなわけもなく…音声だけでも高野君の膝丸の声がきけたの嬉しかったですし、手紙で心配しまくる弟にちゃんとやってるのにーな感じでコメントを入れていく兄者も微笑ましかった。
私の観劇回では大阪でけん玉対決、東京でしりとり対決で、しりとりではお題が「キラキラしたもの」だったんですが 「僕の笑顔」 「弟の笑顔」 「弟の瞳」 「みんな」って続いたのが良すぎました。弟の要素が二つもあるよ…。
あとこれは東京だったと思いますが、MC中にボタンが落ちているのを見つけたようで、「僕のかも?」って徐に後ろ向いて衣装の裾をがばっと捲って確認する大胆さがあまりにもらしくて、ほんとに三浦君ってなんでこんなに髭切そのものなんだろうって思ってしまいました。
衣裳も大優勝で、第1形態の往年の松田聖子さんのようなふりふりプリンセス衣装も似合っててさすが、私は第2形態のツイード素材のダブルジャケットがすごく好きでした。
三浦君の厚みがちゃんとある体格だとダブルにも負けないし、白やベージュのイメージがある髭切にあえて黒で来る感じがいいし、写真で見返すとインナーのシャツとタイが一緒だから、上をがらっと変えることで衣装替えの時間短縮の効果も考えてのナイス選択。
二部では一転して華やかで妖艶な姿から、膝丸の手紙に和ませてもらう時間、そしてクールな表情へ。大きな振り幅の中で、髭切という存在の奥行きを感じさせてくれました。大千秋楽記念、ゲネプロ写真です。
(4/5)#刀ミュ #刀剣乱舞 pic.twitter.com/F45K7flasr— でじたろう@ニトロプラス (@digitarou) March 18, 2026
加州清光のソロ曲で、膝丸もソロで歌った「情熱のSymphonia」をアレンジ違いでやるのもびっくりかつ嬉しい目くばせだし、メドレーで「静寂の闘志」、「Surrender」が来たときは会場全体も自分自身もテンションぶち上がりでした。
東京公演で男士キャストが観劇に来ている回だと「Surrender」前でその男士の台詞を言うアドリブがあったようですが、私の時は男士キャストは来てなかったようで(三浦君大親友いくみんがいた模様)、代わりに激似のど低音・腹から発声の「兄者~!(高野君物真似)」が聞けたので大満足です。
■観劇グルメ
大阪では前回の夜半と違って週末の観劇だったので、予約なしでカフェに入るのは厳しい気がして観劇後はアフタヌーン・ティーを予約してみました。
季節限定の苺たっぷりの紅茶が美味しい。
ケーキは店内のショーケースから選べます
セイボリーにキッシュがあるATが好き
ただこの日は夕方予約なしでふらっと入っても大丈夫そうではありました。
クラシカルな店内でお茶も食べ物も美味しかったので、また大阪観劇の時に再訪してみたいです。
■作品情報
ミュージカル「刀剣乱舞」髭切 単騎出陣 ~夢幻泡影~

日程・会場
2026年2月27日(金)〜3月6日(金)
大阪府 東京建物 Brillia HALL 箕面(箕面市立文化芸能劇場) 大ホール
2026年3月12日(木)〜18日(水)
東京都 パルテノン多摩 大ホール
上演時間
1部 約65分
休憩 20分
2部 約40分
キャスト
髭切 三浦宏規
渡辺綱 田中しげ美
源頼光 伊達康浩
笹原英作 鹿糠友和 千葉恵佑 佐藤一輝
佐藤誠一 齊藤大士 滝山翔太 長浜諒介
篠田大樹 井尻翼馬 友松克太
ピアノコンダクター 森 俊雄
ヴァイオリン 粟津 惇 谷口亜実
チェロ 白佐武史
クリエイティブ
【原案】「刀剣乱舞ONLINE」より (DMM GAMES/NITRO PLUS)
【演出】茅野イサム
【脚本・作詞】浅井さやか
【音楽監督】和田俊輔
【振付・ステージング】本山新之助 桜木涼介
【演出補佐】桜木涼介
【音楽】和田俊輔
【美術】石原 敬(BLANk R&D INC.)
【殺陣】清水大輔(和太刀)
【照明】鈴木健司(ルポ)
【音響】山口剛史(東京三光)
【音響効果】青木タクヘイ(ステージオフィス)
【映像】O-beron inc.
【衣裳】小原敏博
【ヘアメイク】糸川智文(STRINGS)
【ライブ衣裳】農本美希(エレメンツ,アッシュ)
【電飾】茂木 至(テルミック)
【大道具】俳優座劇場
【小道具】田中正史(アトリエ・カオス)
【歌唱指導】カサノボー晃
【演出助手】井口綾子
【舞台監督】辻 泰平(DDR)
【技術監督】堀 吉行(DDR)
【音楽制作】ユークリッド・エージェンシー
【宣伝美術】江口伸二郎 奈良友里花(SENRIN)
【宣伝写真】三宅祐介
【協力】一般社団法人 日本2.5次元ミュージカル協会
【制作協力】アンデム
【制作】ネルケプランニング
【協賛】ローソンチケット
【主催】ミュージカル『刀剣乱舞』製作委員会
(ネルケプランニング ニトロプラス DMM GAMES ユークリッド・エージェンシー)
