「サンキュー、チャック」終末に現れた謎のメッセージ
スティーヴン・キングの作品はホラー系と感動系に分けて語られることが多い。しかし、彼の作品に触れれば触れるほど、その境目は曖昧になっていく。どの作品も<喪失・死・時間>の残酷さが根にあり、「避けられない終わり」に向かって人間がどう在るかを描いているからだ。
5月1日(金)より公開中の『サンキュー、チャック』で最初に描かれるのは、世界の終わりだ。天変地異であらゆる国が崩壊していく中、突如、そこかしこに現れる「チャールズ・クランツに感謝します。素晴らしい39年間に、ありがとう、チャック」というメッセージ。
コーヒー片手にスーツ姿というスマートなチャックが何者なのかは、誰も知らない。だが、無情にも世界――どころか、宇宙が崩壊。全てが無に帰そうとしていた。
その後に語られる、チャックという男の人生。これは一体どういう意味を持つのか?
『サンキュー、チャック』© 2024 DANCE ANYWAY, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
トム・ヒドルストンが語る、驚きと挑戦
本作の監督を務めたマイク・フラナガンは、物語を魔術的な映像で彩る鬼才だ。何が魔術かというと、全てに境目がないのだ。記憶と現実、若さと老い。それでいて観客が混乱させるようなことはしない。とりわけ素晴らしいのは、既視感の演出だ。どこかで作中での不思議な”繰り返し”や”繋がり”を感じさせる。
人はよく言う。「何気ない瞬間の積み重ねで人生はできている」と。本作は、フラナガンのマジックでそんな安っぽい言葉を「お前に起きることは何気ない瞬間でできてはいない、全ては特別な出来事の積み重ねなのだ」と、逆にぶった切る。
人生に対する観点は人によりけりだ。本作のチャックは「終わりが分かっている人生を精一杯生きようと」した男だ。では、それを演じた、トム・ヒドルストンはどうだろう? 短時間ではあったが、彼の人生観について聞いた。
『サンキュー、チャック』© 2024 DANCE ANYWAY, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
「多くの人はレールの近くを歩いていく。でも時々そこから弾けていい」
――S・キングといえばホラーのイメージが強いですが、本作はひと味違う印象を受けました。この企画に惹きつけられた理由を教えてください。
大きく二つあります。まずは、この映画が伝えようとしていること。フラナガン監督がキングの原作を通じて描こうとしたのは、一人の男の物語であると同時に、全ての人間の物語です。
人はそれぞれの内側にユニークな宇宙を持っていて、場所、人、記憶、物――実在するものも想像されたものも含めて、無数の繋がりを紡いでいる。その人が亡くなっても、紡がれてきた関係性は失われない。だから人生はマジックなんです。痛みも損失も悲しみもある。でも本質的に、喜びに溢れている。
フラナガンはその真実を、ミステリーとして、終末から逆算する形で描いている。その語り口に「こういう描き方があるのか」と驚かされました。
もう一つは、チャックというキャラクターを演じることへの挑戦です。中年のビジネスマンで、柔和で、淡々と生きている男が、突然ブリーフケースを地面に置いて踊り出す。あの自然発生的な喜びの爆発――じつは誰もが持っているはずのものだと思うんです。多くの人はレールの近くを歩いていく。でも時々そこから弾けていい。チャックはそれを体現しています。
『サンキュー、チャック』© 2024 DANCE ANYWAY, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
「どんな経験も一言では語れない。全ての人がユニークな命を持っている」
――チャックは出会う人を大切に、好きなことを愛して生きた。作中、小学校の先生がチャックに言う「出会いを大切に、見るもの全てを取り入れて」という言葉がずっと彼についていたわけですが、トムさんが思う「豊かな人生」とはどんなものでしょうか。
この質問への答えは、最近変わりました。昨日まで10代だったような気がするのに、もう30年も前の話なんですよね(笑)。人生が永遠でないことは昔からわかっていた。でも今は、より切実にわかっています。この肉体でできることには限りがある――速く走る、踊る、馬に乗る、山に登る、スカイダイビング……永遠にはできない。
チャックの話に戻ると、先生があの深淵な言葉を贈るのは、彼がすでに両親を失って祖母と暮らしている時なんですよね。そこでダンスが好きなおばあちゃんと、数学が大好きなおじいちゃんを見て、先生の言葉のおかげで気づく。人生とは経験の集大成なのだと。どんな経験もその人だけのものであって、一言では語れない。全ての人がユニークな命を持っている。
僕にも、10代の頃に種を植えてくれた先生がいます。スポーツも音楽も演劇も好きだった僕に、「演じることは、本当にやりたいなら生涯続けられる」と言ってくれた。それまでそんな風に考えたことがなかった。だからこうしてあなたと話しているのも、ある意味その先生のおかげです。この作品は、先生に向けた弔辞かもしれません。
『サンキュー、チャック』© 2024 DANCE ANYWAY, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
「この作品は、先生に向けた弔辞かもしれない」
ここでトム・ヒドルストンという俳優について、少し書いておきたい。
彼は名門イートン校からケンブリッジ大学、そしてRADA(王立演劇学校)へと、英国エリートの王道を歩んだ人間だ。父は製薬会社のマネージングディレクター、母方の血筋には海軍中将まで遡る。そんな彼が、なぜ「ブリーフケースを地面に置いて踊り出す中年男」を演じることに、これほど深く共鳴できるのか。答えはインタビューの最後の一言に凝縮されていた。
「この作品は、先生に向けた弔辞かもしれない」
ケンブリッジで舞台に立っていた学生時代、エージェントの目に留まり、役者への道が開けた。スポーツも音楽も演劇も好きだった少年に「演じることは、本当にやりたいなら生涯続けられる」と言った先生がいた。その一言がなければ、トム・ヒドルストンという役者は存在しなかったかもしれない。
『サンキュー、チャック』© 2024 DANCE ANYWAY, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
チャックもまた、先生の一言で人生が定まった男だ。「出会いを大切に、見るもの全てを取り入れて」。すでに両親を失い、祖母と暮らしていた少年への、その言葉。チャックとトムは、構造的に同じ場所に立っている。
だからこそトムは言ったのではないか。人生が永遠でないことは昔からわかっていた、と。でも今はより切実にわかっている、と。エリートコースを歩んだ男が、レールから外れて踊り出す男に共鳴する。
その逆説の中に、本作が問いかける核心がある。人は、「決められた終わり」を知った時に初めて、本当の意味で生き始めるのかもしれない。
『サンキュー、チャック』© 2024 DANCE ANYWAY, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
チャックの人生は逆算で語られる。終わりから始まる物語。それはトムにとっても他人事ではなかったはずだ。39年間が逆算で語られた後、残るのは問いだ。あなたの人生は、何で満たされているか。誰かの記憶の中で、あなたはどんな「繋がり」として残るか。
『サンキュー、チャック』は、「ありがとう」と「さようなら」を同時に語る映画だ。
5月1日(金)より全国公開中
