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池原義郎(1928~2017年)の最初期の建築「つるや」。東京・都立家政駅のすぐ近くにある喫茶店兼オーナー住居(1969年完成)だ。宮沢洋の近刊『画文で巡る!最強TOKYO建築図鑑』でも、東京を代表する建築50件の1つとして掲載した。

▲地面と同一面に設定されたテーブル面
つるや/所在地:東京都中野区鷺宮1-27-3/設計:池原義郎/施工:鹿島建設/構造:鉄筋コンクリート造/階数:地上2階/延べ面積:不詳/竣工:1969年(昭和44年)/交通:西武新宿線・都立家政駅から徒歩1分/定休日:水曜日、木曜日

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つるやは建築ツウ(&喫茶店ツウ)の間では池原作品として知られているが、作品録を見ても見つからない。本書の取材を進めるなかで、その“発見者”が池原の教え子で事務所OBの加藤詞史氏(加藤建築設計事務所主宰、池原設計事務所1991-2002年在籍)であることを知った。本書をほぼ書き終わったあとで加藤氏からいただいた説明資料があまりにも面白く、かつ史実として貴重に思えたので、発刊のPRを兼ねて掲載させていただくことにした。(ここまでBUNGA NET)

▲エントランスを見返す。ガラスブロック向こうの植栽が道路レベル

本文とスケッチ、写真解説:加藤詞史/写真撮影:宮沢洋

1|空間を読み解く

一歩踏み込むと、まず天井に目を奪われる。
しかし、この空間の魅力はそれだけではない。いくつかの要素が静かに重なり合い、全体を支えている。

床は700mm掘り下げられている。
庭との目線が近づき、大地との距離が身体的に意識される。

それによって、天井は3mを超え、小さな喫茶店でありながら、どこかセミパブリックな空気を帯びるのはそのためだろう。個人経営の店でありながら、住宅スケールを超え、社会に開かれた場所としての意味が感じられる。

▲外観、セキュリティゲートは後年の改修。南正面いっぱいの開口部にガラスブロックや入口、植栽などの多様な要素が統合されている

構造もまた、この空間の骨格を静かに規定している。
4本のRC柱による強い骨格をもつ。構造システムが、この建物を「住宅の延長ではないもの」へと引き上げている。

奥行き13m強の建物に対し、約9mの大スパンによって桁行いっぱいに開かれた開口部。
それは庭と同じ幅を持ち、内部化された外部とも言える庭との一体感を強く結びつけている。

▲間口いっぱいの開口は木製建具によるもの。劣化は無くクリープに対応したディテールが準備されている

これらの構造的特徴や庭との関係性は、ことさら主張され表現されることはない。
むしろ、感じさせない小さなシーンの連続で、かたちを空間に溶け込ませている。その統合性こそが、この建築の強度であり設計者の手法の一端でもある。

細部に目を向けると、RC大スパンのクリープとガラスの関係にも丁寧な配慮がなされている。
技術としてのディテールが、顔をのぞかせる。

現存する図面を見ると、地面下700mmの腰壁は石積みのように傾斜した石貼り仕上げとして計画されている。
これは翌年の「巌窟ホール」と同時期に構想されたと推測され、初期の「大地」をテーマにした池原義郎の思いを読み取ることができる。

砕石やアスタイルによる地層的な表現、地盤面と同レベルに設定された連続するテーブル。
それらが実現していれば、まるで大地の湯船に浸かるような、よりコンセプチュアルな体験が立ち現れていたはずだ。

(イラスト解説:加藤詞史)

実施段階のどこで変更されたのかは定かではない。
ただ、この表現は「あえて抑えられた」のではないか・・・建築が表現の手段ではない、その様な考えが図面と実物の間に顔を出す。

▲コンクリートの構造体と小幅木の天井、躯体と仕上を分ける表現は後年、大きく展開する

方向性の強い天井は、同時に柔らかさも持つ。
抑揚がリズムのように感じられ、どこか楽器の内部に身を置くような感覚だ。

後年、唐戸市場のPCaPCの屋根に「加藤君、関門海峡に楽器が転がった様だね。」とあまり褒めたことがない池原が評した一言につながる。
建築を楽器に見立てる、そんな捉え方を再確認できる。

60年を迎えようとする小さな喫茶店。
その持続性は、三代にわたる店主の営みと叔父池原への思いに加え、建物の構え、
つまり、池原が構想した強い構成とそれを感じさせない空間のつくり込み、そこからくる社会へひらかれたセミパブリックな性格による。

そこには、いまなお建築の力を信じることのできる場所がある。

2|池原建築の背後にあるもの

はじめてこの場所を訪れたのは、偶然だった。
1990年頃、先々代がカウンターに立っていた時代である。

大学院を修了、池原の設計事務所に入って間もない頃。
学生時代に所属していた茶道部の稽古場が近くの寺にあり、その帰りの懇親の場として連れてこられたのが、この喫茶店だった。

▲エントランスで進む向きを90度変えるためのアフォーダブルなピヴォットデザイン

▲近自然工法の崩し積みの様なアプローチ階段、こちらも視線の力学

入口をくぐった瞬間、ただならぬ雰囲気に息をのむ。
視線に導かれるように階段を下り、その先にあの天井と庭が現れる。

茶道の師範は店主と親しげに注文をしていたが、「何にする?」と声をかけられるまで、そこが喫茶店であることすら忘れていた。

コーヒーと、揚げたてのとんかつサンド。
その味に話題が移った頃、おそるおそる尋ねた。

▲正面開口の奥は小庭であった。建具が残され履歴のオーセンティシティが尊重された改修。池原は手前左側の場所に好んで座ったという

「この建物は、どなたが設計されたのですか」

少しの間のあと、こう返ってきた。
「君は知らないと思うけど、早稲田に池原義郎という先生がいてね、その人が設計したんだよ」と

言葉を失った。
そして思わず、「その先生のもとで働いています」と返した自分がいた。
店主が設計者の兄であること、家族で店を営んでいること。
時折、本人も立ち寄ること。
いくつかの断片を聞き、その日は店を後にした。

それから半年ほど後。
事務所で図面を描いていると、背後に気配が立つ。

「加藤くん、君、行ったの? あれは僕の作品じゃないからね」
振り返るまでもなく、何を指しているのか判かった。

周囲のスタッフには意味が通じなかったようだが、自分には十分だった。
名前を出す必要もない。そうした師弟の関係性こそが、池原デザインの根幹にあるものだった。

作品歴に載っていない理由は語られていない。
設計上の逡巡があったのか、大切な親族との距離感ゆえか。
推測することしか許されない。

▲地窓左右がL型柱となる

ただ後年になって、別の理解に至る。
地域に根ざした小さな喫茶店を、過度に公的な文脈にさらさないための距離の取り方。
もちろん時代も今とは異なり、社会的な関係も親密で小さかった。

何を公にし、何を私に留めるかという判断。
そこには設計者池原なりの倫理もあったのではないだろうか。

それでも、この空間を秘しておくことは難しく
その後も、価値を共有できる人と一緒に、足を運んだ。

▲土曜の午後などに訪問されてはいかがだろうか。高田馬場から15分程度

この空間で、一杯のコーヒーを飲む
池原建築が身近になる場所、
特別な意味を持ち続けている場所だ。
(加藤詞史)

▲諸要素が統合された開口は、連続する面としてデザインされている

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