Interview: Takuto Ueda
Photos: 小財美香子
独奏、トリオ、合奏など多種多様な形態でライブを行う君島大空。そんな彼の新たなアートフォーム“管弦楽形態”によるステージが、クラシック音楽の可能性を切り拓く音楽家、水野蒼生とのコラボレーションによって実現する。
さまざまなアーティストの楽曲制作やライブに携わり、2019年からソロ活動も本格始動させた君島は、2026年1月に合奏形態で自身最大規模となる東京ガーデンシアター公演を開催。一方、2018年に老舗名門レーベル〈ドイツ・グラモフォン〉からデビューした水野も、精力的なリリースを重ねながら、葉加瀬太郎や小室哲哉のオーケストラ・ツアーに参加するなど、大きな注目を集めている。互いにリスペクトとシンパシーを送り合い、私的な交流も重ねてきた二人の念願ともいえる共演は見逃せない。
──お二人の初コラボは、2021年にリリースされた水野さんの「献呈 feat. 君島大空」(3rdアルバム『VOICE – An Awakening At The Opera -』収録曲)ですよね。それ以降も交流はずっと続いていたんでしょうか?
水野蒼生:わりと定期的に会っていたよね。
君島大空:うち来たり。
水野:そう、遊びに行ったり。
君島:二人とも夜型なので「朝活しよう」と決めて、朝9時に喫茶店に集合したりとか。
──プライベートでも関わりがあるんですね。
水野:「最近この人は何してるんだろうか」みたいな興味があって。個人的には音楽制作の面でも影響を受けているし、ことあるごとに相談したりするけど。
君島:めちゃくちゃ頻繁に会うわけじゃないけど、会ったときにお互いのモードを確認する感じ。「最近は何が好きなの?」みたいな。
──実際どれくらいの頻度で会っているんですか?
水野:年3回くらい?
君島:そうだね。
水野:コアな話ができる人ってあまり多くないんですよ。
君島:音楽やっている同士でもね。
──お二人にとっての“コアな話”というと?
水野:最近買ったプラグインの話とか。
──要は機材関係とかマニアックな話題?
君島:たぶんミュージシャンから見てもマニアックなんだろうけど、僕たちは音楽に生活が浸食されている感じが近しい気がしていて。
水野:自然体でそういう話ができる人はかなり稀有な気がしますね。
君島:構えなくていいというか。「このローの処理、どうしてる?」とか急に具体的な話ができる。
水野:そう。「デュフフ」って笑わなくていい。
──お互いに良い刺激を与え合っている。
君島:そうですね。どちらもDAWを使って、一人で制作と向き合っているのが共通点としてあるけど、根本にあるのが蒼生ちゃんはクラシックだし、僕はもっとガチャガチャしている音楽だし、それぞれの手癖みたいなものがあるから面白いんですよ。
水野:だから「my_fancy_world_ending」は、ミックスは自分でやったけど、ギターの音作りに関しては今まであまりコミットしたことがなかったので、一回おうちにお邪魔して「ここ、どういう音作りにしたらいいと思う?」とか、いろいろ相談しながら作らせてもらって。「マジで真逆やん」みたいな作り方をしていたりするんですよ。お互い第2言語で話している感じがする。
君島:良い例えだ。
──ギター/コーラスで君島さんが参加した「my_fancy_world_ending」は、水野さんが2025年8月にリリースしたEP『& fancy.』の収録曲。あのEPはどんなふうにして作り上げていきましたか?
水野:今思うとぬるっと作り始めていたなって。下北で一回さ、飲んだじゃん?
君島:うん。
水野:そのときも制作についていろいろ話していて。コンセプチュアルなものを作るというのが自分にとって指針の一つだったので、今まで出してきたフルアルバムはがっちりとコンセプトを考えて、プロットを用意したうえで「じゃあ、どういう曲が必要?」みたいに作ってきたものばかりだったけど、「EPを作ろうと思う」と話したときに「コンセプトを取っ払って、ガチャガチャの蒼生ちゃんを見てみたい」と言ってくれて。それで気が楽になったんですよね。一回、無責任に好き放題やってみてもいいかなって。今まで自分がリスペクトしてきたものだったり、自分自身の責務だったりを全て外したうえで作ってみたいものを考えながら出来上がっていった感じ。
──まさに君島さんとの会話がきっかけだったんですね。
君島:それもさっきの手癖の違いみたいな話で、僕の場合はコンセプトって後から勝手に立ってくるんですよ。すでに何曲かあって、それらを貫いている景色に対してアプローチしてみたり、テーマが出てくるまで待ってみたり、そういうことを僕はしているので。蒼生ちゃんは全く違って、クラシックというバックグラウンドをすごく大切にしているけど、僕はそういうものがあるようでない感じで、ぐちゃぐちゃなんですよ。いかにぐちゃぐちゃに、いろんな壁を取っ払ってやれるかを考えるタイプ。そういう話をしましたね。それで聴かせてくれたあの曲……
水野:「Wrong Place Wrong Moment」かな。
君島:そう。うちで一緒に聴いた。
水野:遊びに行ったときに聴いてもらったらずっと爆笑していて。
君島:「うわー、好き勝手やってる。気持ちいい」って思った。
水野:だいぶ好き勝手やった。クラシック音楽を再定義するという責務を取っ払おうと思いながら作った曲だったけど、結果的にそれをやったからこそ「こういうアプローチがクラシックの世界でもできるんじゃないか」とか、新しい景色が見えたりしたので必要な作業だったのかなと感じていて。
──4曲入りのEPですが、核になった曲を挙げるとしたら?
水野:全部が今まで作ってきたものとは全く違う毛色なんですけど、「もうマジでクラシック忘れよう」って一番思ったのは、それこそ一緒にやった「my_fancy_world_ending」でした。中学生のときからクラシック畑にどっぷりだったんですけど、それとほぼ同時期にクイーンにも出会っていて。すぐに全アルバムを制覇して、あらゆるライブ映像も見て、本当に俺のロックスターだったんです。ずっとクラシックを聴いていた耳にもめちゃくちゃ聴きやすいんですよね。
──クイーンの音楽にはオペラの影響も色濃いですよね。
水野:年代ごとにサウンドが全然違うじゃないですか。例えば『Another One Bites the Dust』を聴いていなかったら、ああいうブラック・ミュージック寄りのグルーヴも俺はたぶん知るのがもっと遅くなっていたと思う。いろんなジャンルの音楽を、クイーンというフィルターを通して知れたし、クラシックと同時期に出会えたからこそ境界線がない状態で育つことができたんですよ。
──幅広い音楽に触れるきっかけになったわけですね。
水野:クラシックをずっとやっている人って、クラシック音楽とポップ・ミュージックを全く違うものとして捉える傾向があって。逆のパターンもあるかもしれないけど、どちらにしろ「恐れ多いからそっちはできません」みたいな。俺はそこが良い意味でバグっていると思っていて。そういう背景もあって、自分にとってクラシックとは別の大きな柱であるクイーンと向き合いながら、いろいろデモを作っていくなかで「まだこの曲にブライアン・メイがいないぞ」と。
──どこかにいないかなって?
君島:基本的にいないから。ブライアン・メイ。
水野:そう。だからLINEで「空ちゃんはブライアン・メイになれるの?」って聞いたら「なれるよ」って。
君島:いないから、なるしかない。
──リファレンスがクイーンだったんですね。
水野:でしたね。それもあらゆる時代のクイーンを網羅する勢いで、いろんなところにリファレンスを入れています。EPとしてコンセプトを設けない。じゃあ最初に何を作ろうかと考えたときに思いついたのがそれだったんですよ。
──君島さんは“ブライアン・メイ”をどんなふうに解釈したんですか?
君島:僕、ないんですよね、こだわりが。ブライアン・メイと言われたらブライアン・メイをインストールしまくる。全部そうなんですよ。「これ食わせたら何を吐き出すかな」って、自分を冷笑気味に観察するというか。
水野:人体実験だ。
君島:そう。めちゃくちゃ人体実験なんですよ。自分の脳みそでどれだけ遊ぶかを考えながら生きているので。「ブライアン・メイできる?」って言われたら「何それ楽しそう」って。やるに決まってる。
──どうでしたか、実験結果は?
君島:結局、一番最初に気持ちで弾いたソロが採用になったよね。何回か弾いたけど「空ちゃん、あれに戻していい?」って。それが面白かった。
水野:「ごめん、酒飲みながらよく分からず弾いたやつだけど」って送ってくれたやつが一番良かったんだよね。
君島:すごく自然体だったし、なんかブライアン・メイ然としてたよね。
水野:うん。本当に。でも、ちゃんと君島大空でもあるし、両方いる感じがすごくあって。
君島:人体実験、最高。
水野:でも、インストールするというやり方はすごく分かるところがあって。楽譜を読んで、他者の曲を扱うということを俺はずっと10年、20年やってきたわけで。それと同じようなスタイルでやってくれたのも、今回うまくいった理由の一つなのかなと思う。
君島:たしかにそうかもしれない。
水野:このあいだ朝活したときさ、バタイユの詩集を持ってたじゃん。それも歌詞のインストールみたいな話じゃなかったっけ?
君島:そう。あれも完全な思考実験というか。飽き性だし極端なことばかりしたがるので、とにかくジョルジュ・バタイユだけを読んでアルバムを作ればいいと思って。そしたら本当に病んじゃって、二度とこんなことはしないと思ったんですけど。でも、何かにはつながるんじゃないかな。ぱっと筆を手に取ったときに「指の先までバタイユ来てるな」みたいな。

──無意識のうちにインスパイアされている。
君島:ブライアン・メイもそうですよ。自分が咀嚼したものが、楽器を取ったときでもDAWに向かったときでも、たぶん感知し得ないレベルで自分の中から出てくる。そういうのを望んでインストールしているので。
水野:再現芸術の人間としても、俳優さんが役作りするような感じで楽譜に挑むことが多いので、それに近しいところはあるかもしれない。もちろん書いてある譜面は絶対だけど、それをどう解釈するか、自分というフィルターを通して表現するか、という部分ではある意味自由。そこに差異が生まれるのがクラシック音楽の面白さでもあるので。
君島:似たことをよく考えるかも。ある形に自分をはめてみる、もしくは自分の形にそれをはめてみるっていう。ブライアン・メイに自分を入れるのか、自分の型にブライアン・メイを入れるのか、たぶん同時にしている感じがありますね。
──そして最終的に型から出てくるのが全く違う作品というのも音楽の面白さですよね。
君島:そうですね。
水野:全くクイーンじゃないものができたなって思うし。
君島:結局、お互いに色が濃いので。精神的に。
水野:やりたがりだから情報量がどうしても増えるんですよ。
君島:だから恐れないでいいなって。僕も最近、ミスチルみたいな曲を作ろうと思ってさ。「すごいもうミスチルじゃん」みたいな曲を。そしたら全然そうならない。
水野:ならないよね。

君島:「いや、これただの『終わりなき旅』じゃん」と思いながら作ったけど、全然そんなことにならなかった。
水野:本当に主観って怖いなと思うんですよね。バンドメンバーとリハしていても「ここは単純なスリーコードだから」とか言っても「どこが?」って反応されたりする。「3拍子が3回あって、4拍子が2回きて、2拍子が1回くるだけじゃん」「ふざけんな」みたいな。
君島:面白いです。やっぱりインターフェースの違いを感じますね。バックグラウンドも違うし、手に取る楽器も違うし、書く言葉も違う。でも、シンパシーを感じるのは、解き放たれて拳が上がるものが好きなんですよね。全てのフィルターを突き破った先に拳が上がる、みたいな喜びを共有できる友達だなって。『& fancy.』はそれがすごく体現されているような気がしました。周りを驚かせたがるよね。
水野:どの口が言うのよ。
君島:僕も完全にそれのために生まれてきている。
水野:あなたのライブは毎回、びっくり箱だと思いながら見てますよ。
君島:でも、共通している部分の一つとして、作品が好き。
水野:それは間違いない。
君島:作品を作ることもそうだし、作品に対して向き合うこととか、単純に聴くことだったり。そういう作品に対する愛がお互いをつないでいるような気がする。
