「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」国立新美術館 2026年 展示風景

 

 国立新美術館で4月15日に開幕した「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」。 約400点の作品と資料で構成されるこの回顧展は、没後初の大規模展であると同時に、日本のファッション史そのものを書き換えうる発見に満ちている。

「ヴァイタル・タイプ」。聞き慣れないこの言葉は、森英恵が1961年に雑誌『装苑』で提唱した人物像に由来する。快活で努力を惜しまず、自らの力で道を切り拓く女性。それはまさに、森英恵自身の生き方を予告する宣言だった。

 

映画衣装から世界へ、5章で辿る軌跡

 展示は5章構成で、森英恵のキャリアをほぼ時系列に追う。

 第1章「日本の森英恵」は、出発点を描く。1951年、新宿に小さな洋装店「ひよしや」を開いたところから物語は始まる。ドレスメーカー女学院での学びは短かったが、服づくりの喜びに突き動かされた森は、新宿という土地柄もあって映画関係者の目にとまり、1954年頃から映画衣装を次々と手がけるようになる。50年代半ばには映画衣装デザイナーとして広く知られる存在になっていた。

「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」展示風景。新宿「ひよしや」1950年代 提供:森英恵事務所

 転機は1961年。仕事と子育ての両立に悩み、デザイナーを辞めることすら考えていた森は、雑誌『装苑』の編集長の勧めでパリを訪れる。そこで受けた衝撃は二重のものだった。ファッションの本場の創造力に圧倒されると同時に、海外で「日本」がほとんど知られていない、あるいは誤解されているという現実に、深い悔しさを覚えたのである。この原体験が、のちの世界進出の原動力となる。

 

帯地、縮緬、藍 日本の素材で世界に挑んだ衝撃

 第2章「アメリカの森英恵」で、私は、いまさらながらの大きな発見に出くわした。

 森英恵といえば蝶のモチーフが有名だが、それ以前から、彼女は徹底して「日本」を用いていた。1965年のニューヨーク・コレクション・デビューで森が用いたのは、帯地、縮緬(ちりめん)といった日本の伝統的な絹織物である。ジャパン・ブルーと呼ばれる藍染の布地。西陣織の帯をそのままコートに仕立てた作品。蝶だけではない。文字、牡丹、波、十二単――日本文化のモチーフがこれほど多彩に、しかもこれほど早い時期から作品に織り込まれていたことに驚かされる。

「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」国立新美術館 2026年 展示風景

 今回の展示では、森が使用した布地についての新たな調査結果も公開されている。テキスタイルの原画や試し刷りが初公開され、布づくりのパートナーであった松井忠郎の仕事も紹介される。あの鮮やかな花柄、蝶々、ショッキングピンクや紫の色彩は、森ひとりの想像力から生まれたのではなく、テキスタイル・デザイナーとの緊密な協業から立ち上がったものだった。メトロポリタン美術館からの貸出作品4点がこの章に配され、伊藤若冲の《月下白梅図》から着想を得たドレスなど、日本では初公開となる作品を間近で見ることができる。

「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」国立新美術館 2026年 展示風景。左から、森英恵《イヴニングアンサンブル》1968年 ハナヱ・モリ メトロポリタン美術館、ニューヨーク 1989年 ナンシー・M・ボウドリング(1989. 270. 1)/森英恵《イヴニングアンサンブル》1974年 ハナヱ・モリ メトロポリタン美術館、ニューヨーク 1996年メアリー・グリッグス・バーク氏寄贈(1996. 130. 6a, b)

 VOGUEとの関係を紹介するコーナーも見逃せない。当時の名物編集長ダイアナ・ヴリーランドに見出された森は、誌面に繰り返し登場するようになる。ポスタービジュアルにも使われているショッキングピンクの絹の「菊のパジャマドレス」は、このアメリカ時代の森を象徴する一着である。

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