ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャを題材にした藤元明緒監督の最新作『LOST LAND / ロストランド』が、ベネチア国際映画祭をはじめ世界各国で次々と賞を獲得している。ロヒンギャ当事者による胸を打つ演技や、情感豊かな世界観はどのようにして生まれたのか。現実に起こりえたかもしれない設定で、俳優が「自分自身」を演じる稀有な撮影方法について藤元監督に聞いた。
【画像】日本人監督作・ロヒンギャ主演映画『LOST LAND / ロストランド』はなぜベネチアで三冠を獲得したのか
2025年9月、映画監督の藤元明緒が国際的な舞台で快挙を成し遂げた。
最新作『LOST LAND / ロストランド』(2026年4月24日公開)が、世界三大映画祭のひとつベネチア国際映画祭でオリゾンティ部門審査員特別賞など3つの賞を受賞したのだ。以降も本作は次々と受賞を重ねており、これまでに世界9ヵ国の映画祭で15冠を獲得している。
興味深いのはこの作品が、有名俳優が出演していたり、多額の制作費が費やされていたり、わかりやすく身近なテーマを扱っていたりといった、いわゆる「ヒット作の定石」にはあてはまらない点だ。
主人公は、ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャのきょうだいであるシャフィ(5)とソミーラ(9)。隣国バングラデシュにある難民キャンプで生活する2人は、よりよい暮らしを求めて親戚が暮らすマレーシアを目指す。本作は彼らの旅路を追うロードムービーだ。
出演する俳優の多くは2人を含め演技未経験のロヒンギャ市民で、作中で主に話されているのはロヒンギャ語である。シャフィとソミーラは、実のきょうだいでもある。
こうした概要を聞くと、どこか難解で自分の日常からはかけ離れた遠い国の出来事を描いた作品だと感じるかもしれない。だがひとたび上映が始まれば、幻想的で美しい音楽・映像や、魅力的な登場人物の心をかき乱される演技に吸い寄せられるはずだ。
当事者から生まれる「贈り物」のような演技
藤元監督はこれまで、日本とミャンマーという二つのルーツの間で揺れ動く家族を繊細に描いた『僕の帰る場所』、日本社会に埋もれたベトナム人技能実習生の厳しい現実に光を当てる『海辺の彼女たち』などを発表。いずれの作品でも物語の設定に近い境遇の人をキャスティングしてきたが、本作でもその方針は踏襲されている。
撮影では、現場に慣れていない出演者が演技に集中できるような環境づくりに力を入れた。監督とプロデューサーの渡邉一孝らは、脚本執筆や制作準備のため、2023年4月から1年余りかけて海外のロヒンギャコミュニティを定期的に訪ね、交流を続けた。物語は実話をベースに組み立てられており、当事者たちとの対話を続けながら何度も脚本を推敲した。「私たちの声を届けてほしい」と、多くのロヒンギャの人たちが映画制作に協力してくれたという。
撮影に際しては、ロヒンギャ当事者でもあるスジャウディン・カリムディンが共同プロデューサーとして、『WHOLE』などの作品を発表している映画監督でイスラム教徒でもある川添ビイラルが助監督として参加し、撮影チームとコミュニティとの橋渡し役を担った。
この2人の存在によって参加者の間に深い信頼関係が構築され、演技経験のないロヒンギャの人たちも和気あいあいとした雰囲気のなかで撮影に臨むことができたという。スジャウディンと川添は、本作の成功を支えるキーパーソンだと藤元は話す。
だが筆者の素人考えでは、有名俳優を起用するほうが話題性もあり、演技の質も上がるのではないかと邪推してしまう。しかもロヒンギャの人たちの多くは法的地位が不安定なため、映画に出演できる人は限られるという。
主演のシャフィとソミーラもパスポートの取得が難しく、ベネチアなど各国で開催された映画祭に出席できずにいる。だがこうしたハードルを考慮しても、藤元監督は当事者の出演にこだわった。
ロヒンギャの人たちに自分自身の境遇に近い登場人物を演じてもらった理由を、「観客に現実をよりリアルに感じてもらうためにはどうしたらいいか、試行錯誤した結果だ」と藤元は説明する。
プロの俳優を起用すれば、技術的に上手く演じてもらえるかもしれない。だが当事者からはそうした「上手な演技」を超えた、「贈り物」のような表現がときに生まれると彼は言う。
たしかに主演の2人をはじめとするロヒンギャの人たちの演技は自然かつ力強く、すばらしい。大切なものを次々と奪われるなかでも子供たちがたくましく無垢に遊ぶ姿や、死と隣り合わせの状況でも助け合おうとする仲間同士の温かさなど、過酷な環境との陰陽のコントラストが際立つ。
出演者たちは実際に映画のような経験をしているわけではないが、ロヒンギャ当事者であることによって彼らのなかで蓄積された経験や語り継がれた記憶が、リアルに作り込まれた撮影現場のなかで、ただ現実を切り取る以上のリアルな表現として発露し、見る者に迫ってくる。
このような「現実に起こりえたかもしれないマルチパラレルワールドで、俳優が自分自身を演じる」撮影方法が生まれたのは、自分が日本人であることも大きく関与していると藤元監督は分析する。「部外者である自分があらかじめ想定・意図したものではなく、撮影の過程を通して知ったことを作品に反映したかった」のだという。
その言葉通り、カメラは見る側に何かを教えたり、訴えたりはせず、主演の子供たちと同じ目線で淡々と物語を紡ぎ続ける。だからこそ彼らが行き着く先に待っているものを突きつけられた瞬間、その残酷さや理不尽さが我がことのように心に響くのだろう。
「家」という言葉が投げかける疑問
作中では、「お家へ帰ろう」というセリフが何度か登場する。だが本作での「家」の持つ意味は曖昧だ。シャフィとソミーラの故郷はミャンマーだが、冒頭ではバングラデシュの難民キャンプに暮らしており、その後マレーシアで生活する親戚の家に向かう。明確に場所を特定しない「家」の言及は、意図的なものだと藤元は言う。
Chihiro Masuho
