新作の公開が11月に予定されている「ゴジラ」。怪獣の王が初めて登場した70年前、昭和の只中にいったい何が起こったのか。1954年に「戦争のメタファー」として登場したゴジラは、すぐれた映像技術と結びついて、70年以上にわたって圧倒的存在感を示し続けてきた。いまや世界を席捲する怪獣の王となったゴジラ。その誕生のヒストリーを紐解いてみた。──『「ゴジラ」東宝特撮・SF映画史』(講談社)より一部抜粋・編集して紹介
いよいよ撮影開始。1日20時間の強行軍も
『ゴジラ』の撮影は、3班に分けて行われている。A班は監督の本多が束ねる本編ドラマのチームで、B班は円谷が演出を担当する、東宝特殊技術課の面々が中心となる特撮のチームである。そしてC班は円谷の盟友の一人、向山 宏がまとめる特殊技術課の合成班。C班の仕事はA班とB班の映像を馴染ませるという役割もあるため、合成技術が不安定な時代にあっては極めて重要なパートである。クランクインはA班が8月6日または7日で、三重の鳥羽市石鏡町で大戸島に見立てた砂浜での撮影から始まった。『ゴジラ』の公開は11月3日なので既に3ヵ月を切っていたが、1日20時間ほど稼働するという強行軍で10月下旬まで撮影は続いた。0号フィルムができるギリギリまで撮影が行われていたことは確実だ。

東宝本社の宣伝部は、急遽決定した『ゴジラ』を強くアピールするための戦略を練った。一般紙における第一報は「ゲテモノ映画」という扱いだったが、宣伝部は徹底した話題作りを矢継ぎ早に打ち出す。7月17日から9月25日までの土曜日午後7時からはニッポン放送の30分枠で『科学冒険劇 怪獣ゴジラ』というラジオドラマを展開、阿部和助が作画を担当する絵物語の冊子を児童層に配布、同じ原稿を「おもしろブック」11月号の冊子付録用に集英社に提供するなど、あの手この手であった。本作は直接製作費だけで6300万円ほどとされており、準備費や宣伝費、フィルムのプリント費などの間接費を加えると、総製作費は1億円を超えるレベルであった。
