死去から5年、今もファンに愛される5万回斬られた男・福本清三さん(2004年)(C)Tottemo Benri Theatre Company死去から5年、今もファンに愛される5万回斬られた男・福本清三さん(2004年)(C)Tottemo Benri Theatre Company

 「一生懸命やっていれば、どこかで誰かが見ていてくれる」――。時代劇の「斬られ役」だった福本清三さんは77歳で亡くなるまで、名も無き役柄で5万回、斬られたという。死去から5年、コツコツ取り組むひたむきな姿勢と実直な人柄を慕う人たちが、その生きざまを伝えるドキュメンタリー映画を製作した。ともすればタイパやコスパが求められがちな昨今、何が人々を引きつけるのだろうか。(大阪デジタル編集部 森秀和)

 「13年前の7月17日の夜、この交差点を歩いてきた福本さんを追いかけ、声をかけたんです」。3月上旬、京都市で開かれた福本さんゆかりの地を巡るツアーで、今回のドキュメンタリー映画の監督を務めた大野裕之さんが、20歳代の女性や高齢の男性ら約20人の参加者に語り始めた。

 日課の「高速ウォーキング」中だったという福本さんを追いかけたのは、初の主演映画「太秦ライムライト」(2014年)の出演を説得するためだった。京都・太秦を舞台にした老境の斬られ役の物語。プロデューサーで脚本を担った大野さんは、企画が持ち上がってから5年以上、声をかけてきたという。「画面で見るコワモテとは打って変わり、普段はとても謙虚な人。『わしみたいなもんが主役なんて、あきまへん、そんなアホなこと』と、それこそ5万回は言われました。でも、福本さんなしではありえない。なんとしてもという思いでした」。主役で出てもらうか、企画そのものを断念するか。最後の決断を求めた日々を昨日のことのように振り返った。

ツアーでは「太秦ライムライト」のロケ地・嵐山も巡り、大野さんが撮影秘話を紹介した(3月7日)ツアーでは「太秦ライムライト」のロケ地・嵐山も巡り、大野さんが撮影秘話を紹介した(3月7日)一瞬の出番でも必死…「あの人は誰?」

 福本さんは兵庫県北部の香住町(現・香美町)に生まれ、15歳で京都・太秦の東映京都撮影所に入った。映画全盛期で400人いたという大部屋俳優の斬られ役として、最初は映っているかどうかもわからない遠い場所を走らされたそうだ。画面に映るようになってからも、多くは斬られたり撃たれたり、主役を際立たせるための一瞬の登場だった。だが、その瞬間のために技を磨き、キレのある立ち回りや
苦悶(くもん)
の表情で後ろに倒れる「エビぞり」は、見る人に深い印象を残した。

映画「太秦ライムライト」の一場面。迫力ある立ち回りを繰り広げる福本清三さんと松方弘樹さん(C)Tottemo Benri Theatre Company / 2013 太秦ライムライト映画「太秦ライムライト」の一場面。迫力ある立ち回りを繰り広げる福本清三さんと松方弘樹さん(C)Tottemo Benri Theatre Company / 2013 太秦ライムライト

 「やっぱり、『どこかで誰かが見ていてくれる』ですかね。その言葉を信じて、コツコツ続けられた姿勢はすごいです」。神奈川県からツアーに参加した40歳代の男性に魅力を尋ねると、そんな答えが返ってきた。子どもの頃、祖母の影響で時代劇を見ている時、妙に存在感がある悪役に気づき、「何回死んでも毎回出てくる、あの怖い顔の人は誰なんだろう」と注目するようになった。

 ひたすら斬られ続けた福本さんは、定年を前にハリウッド映画「ラストサムライ」(2003年)に出演。主演のトム・クルーズさんに付きそう「寡黙な侍」を演じ、一躍注目されるようになった。そして70歳を超え、太秦ライムライトで初主演。時代劇が激減する中、若手を指導する斬られ役・香美山清一を演じ、作品はカナダのファンタジア国際映画祭の最優秀主演男優賞など国内外で13の賞を受賞した。

 神奈川県の男性は、そこに至るまでの姿をずっと見てきた。誰も注目しないような「その他大勢」の役を一心に続け、ついには世界で認められるようになった福本さんに、自身の願いを重ねたという。「自分は会社で目立つ仕事ではなく、多くの人の中の1人。それでもまじめにやっていれば、どこかで誰かが見ていて、いつか報われるんではないか。そんな希望を福本さんは与えてくれる」

迫真の演技と生きざまは多くの人を魅了した(2009年)迫真の演技と生きざまは多くの人を魅了した(2009年)「どこかで誰かが見ていてくれる」…共演俳優が見る覚悟

 太秦ライムライトで主人公に憧れる若手俳優を演じた多井一晃さんは、福本さんの言葉にプロの姿勢を読み取る。「どこかで誰かが見ているから、手を抜かずにやれという意味もあるのでは、と思います。誰もいないと思って手を抜いたところも、誰かが見ている、と」

 俳優を続けていくのは並大抵のことではない。太秦ライムライトの後、30歳代だった多井さんは自分の現状や将来を考え、この仕事から遠ざかった。しばらくして、京都で劇団の舞台を手伝うことになり、見にきていた福本さんと再会した。その時、とても気まずい思いをしたという。

 多井さんは仲間と一緒に福本さんから立ち回りの指導を受けたことがあった。そして太秦ライムライトでは、太秦を去る俳優を引き合いに出し、福本さんに「なんで止めないんですか」と詰め寄るシーンを演じていた。

 そんな状況を知ってか知らずか、福本さんは「何やってんのや、役、選んでるやろ。出なあかんで、出な」と声をかけてきた。演技に打ち込んだ日々を思い出し、多井さんは、ほどなく俳優として再スタートを切った。「今も自分にとって大きな存在。常に全力だった姿に、プロとしての覚悟を教えられます」としのぶ。

大切にした「原点」…また一から始める

 身近にいた人は福本さんをどう見ていたのか。

 東映でマネジメントを担当していた西嶋勇倫さんは「仲間の集まりでも、お酒を飲まず、最後まで話を聞き、人の悪口を言わない人でした。でも、演技には厳しかった」と懐かしむ。

 注目されるようになっても、以前と変わらなかった。「ラストサムライの舞台挨拶でトム・クルーズさんが隣で立つように促しても、いつの間にかどんどん端っこに行く。何よりびっくりしたのは、ハリウッド映画のロケから帰ってきて『大勢の中の1人』の役をまたやる、とおっしゃる。なかなか言えないですよね。でも、『それが自分の原点やから、それに戻るだけ』と」

 時代劇の撮影が減っても、情熱は変わらなかった。他の作品に出演していても、それが斬られ役でなかった時は、いつもの軽妙な口調で「暇ですわ」。最後まで、時代劇の行く末を案じていた。

ショーで斬られる福本さん。背中をそらしてから少し間を置き、それでいて全体の進行を妨げない絶妙のタイミングで倒れる(2012年)ショーで斬られる福本さん。背中をそらしてから少し間を置き、それでいて全体の進行を妨げない絶妙のタイミングで倒れる(2012年)時代劇・殺陣の専門家から見る立ち位置

 日本の映画史においても、福本さんは特異な立ち位置を占めているようだ。中部大の小川順子教授(日本文化研究)は「普通は役者としての力量を上げ、脇役から準主役になり、有名になっていく。大部屋俳優の顔が認知され、ひそかにファンが増えていく例はあまりなく、しかも、一生斬られ役でありながらハリウッド映画に出るほど有名になった。これは日本映画史の中でも特筆すべき功績」と評価する。

 独特の技が磨かれた背景も読み解いてもらった。「スターが格好良く見えるためには、絡みがいかにうまく斬られるかにかかっている。俗に主役3に対し、絡み7ぐらいの力量といわれるほど、斬られ役は重要だった」といい、福本さんのエビぞりは「スターになれずとも、何とかカメラに映りたいと斬られる中で工夫し、編み出された技。背中しか映らないところを斬られてエビのように反ることで、死に際で顔が自然に映り込むことに成功した」とする。

 加えて福本さんには高い身体能力と様々な武器類を使いこなせる強みがあり、「時代劇だけではなく、現代劇のアクションもこなせたからこそ、主役の絡みとして半世紀以上も活躍し続けられた」と見る。時代劇全盛期を知る最後の世代とも言われる福本さんの軌跡は、映画史をたどる上でも一つの道標になると言えそうだ。

ドキュメンタリー映画では親交があった人たちがその人生を語る(C)Tottemo Benri Theatre Companyドキュメンタリー映画では親交があった人たちがその人生を語る(C)Tottemo Benri Theatre Company大勢の中の1人として、どんな役でも誇りを持って…

 合計200時間に及ぶ未公開映像などから新たに製作されたドキュメンタリー映画「どこかで誰かが見ていてくれる」には、「何度も斬った」という里見浩太朗さんや松方弘樹さん、太秦を舞台にした映画で福本さんへの敬意が込められているという「侍タイムスリッパー」(2025年日本アカデミー賞)の安田淳一監督、福本さんの家族、故郷の同級生らが出演。製作に当たって募ったクラウドファンディングでは約1100人が協力した。いわゆる「主役」ではない一役者の追悼映画が作られるのは異例という。

 監督の大野さんは「努力しても思うように報われるとは限らない。むしろ、どちらかと言えば、早く結果を求められ、すぐに成果を得たい、評価されたいと思ってしまう。そんな時代だからこそ、まじめにコツコツ取り組むことの価値を改めて見つめ直してほしい」と願う。

 作品は京都での先行上映が終わり、最終の編集を経て6月5日から池袋シネマ・ロサ(東京)、20日から第七藝術劇場(大阪)で公開される。大野さんは言う。「福本さんは、どんな役でも誇りを持って、最後まで自分の役割を果たされた。その姿は亡くなられて5年たった今も、見る人の心を打つ。そして、同じように大勢の中の1人として生きる自分たちを、どこかで見ていてくれる気がします」

中学3年の道徳の副読本で紹介され、「そんな大したもんちゃいますて。でも生徒たちがクラブで補欠だけど頑張ろうとか感想文を書いてくれた時は、うれしかったですね」と語っていた(2012年)中学3年の道徳の副読本で紹介され、「そんな大したもんちゃいますて。でも生徒たちがクラブで補欠だけど頑張ろうとか感想文を書いてくれた時は、うれしかったですね」と語っていた(2012年)

 5万回斬られ、起き上がった男――。記者も生前、取材に応じてもらったことがある。親子ほど年が離れていたが、多くの人たちが言うように、恐縮するほど腰が低い方だった。その時に語ってくれた言葉が手元に残っている。

 「何でも積み重ねですわ。人が見ているからやるのではなく、一生懸命やった結果を誰かが見てくれているんちゃいますか。自分らしい生き方が何かなんて、誰でも悩むし、それが正解かわからん時もある。でも、後で自分で納得できるように、今、一生懸命やればいいんですよ。わしなんかが言うても、しゃあないですけど」


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