小説家で、映画監督の榎本憲男。銀座テアトル西友(のちに銀座テアトルシネマ)や、テアトル新宿の支配人など、映画館勤務からキャリアをスタートさせた榎本が、ストーリーを軸に、旧作から新作まで映画について様々な角度から読者に問いかけていく「小説家・榎本憲男の炉前散語」。第12回は、韓国の巨匠パク・チャヌク監督の最新作『しあわせな選択』(公開中)を取りあげ、イ・ビョンホン演じる主人公がとった“選択”の原動力とはなにか、そして監督の狙いはなんだったのかを読み解きます。
※本記事は、『しあわせな選択』のネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)に該当する要素を含みます。未見の方はご注意ください。
パク・チャヌク作品の特徴は、作家と主人公の距離の取り方が絶妙に遠いこと
物語の主人公を、善人にするか、悪人にするか、はたまた凡庸な人間にするかは、非常に難しい問題で、どちらがその映画をしあわせなものにするのか、定かではありません。もちろんこれは、あまりにも単純な3分割であり、実際のキャラクターはさまざまな面が折り重なっていることは言うまでもありません。ただ、物語にとって、悪を為すものを主人公に据えるのは非常に難しい。悪行であっても観客になにかしらの共感(広い意味での)をもたらすことが前提となるからです。
『オールド・ボーイ』『別れる決心』などで知られるパク・チャヌク監督[c]Everett Collection/AFLO
僕がパク・チャヌク監督作品に感じるのは監督と主人公の距離の遠さです。このことを説明するにあたって、監督を作家と呼ぶことにしたいと思います。作家と主人公は基本的に似る傾向にあります。僕は小説を書いていますが、職業や年齢や性別が変わってもやはりどこか僕と似ているところが残るようで、知人からそう指摘されて驚くことがあります。
さて、主人公は欲望を持ち、主人公の欲望が物語を駆動するのだ、とこのコラムでは再三語ってきました。これは独自の理論ではなく、ストーリーライティングの一般常識です。そして、作家が主人公と同じ欲望を感じているとき、作家と主人公は似てきます。
では、パク・チャヌク作品の主人公は作家と似ているでしょうか? パク・チャヌク作品の主人公は犯罪を犯す者が多い。気持ちはわかるがそれをやってしまってもいいものだろうかと考え込んでしまうような欲望を抱えた人物が多い。これらの人物と監督が似ているなどと言うのは物議を呼びそうですが、僕は似ていると思います。ただ、パク・チャヌク作品の特徴は、作家と主人公の距離の取り方が絶妙に遠いことです。基本的には主人公に甘い勝利を味あわせることをしない。けれども、ラストシーンには憐れみの眼差しがある。では、『しあわせな選択』の話に移りましょう。
『しあわせな選択』における、主人公の欲望仲睦まじい様子のマンス一家だったが…[c]Everett Collection/AFLO
物語は、主人公のマンス(イ・ビョンホン)が郊外の大きな家で、妻ミリと2人の子ども、2匹の大きな犬とガーデンパーティをやっているところからスタートします。このしあわせを画に描いたような冒頭を見ているとき僕は、ひょっとしてこれはアメリカ在住の韓国人の家なのかしらと疑いました。そのくらいに広く大きく立派で、その嘘くさい「しあわせ」の描写はなんとなくアメリカの中産階級のパロディのようにも見えたのです。マンスが、製紙会社に勤めるサラリーマンで、役員でもないことを知ってすこし驚きました。
ただ、このような幸せな暮らしぶりはまもなく瓦解しはじめます。マンスは、会社の合理化によって、25年働いた職場から一方的な解雇通告を受けてしまうのです。再就職するぞと意気込むものの、別の製紙会社への面接試験にも失敗し、住宅ローンの返済も重くのしかかり、家計は逼迫し、家を手放すまでの瀬戸際まで追い詰められていきます。
恐ろしい計画を実行に移し始めるマンス[c]2025 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM ALL RIGHTS RESERVED
そこで、彼が選択したのは、自分と同じような境遇の同世代の求職者たちの情報を集めてリストを作り、彼らを殺害すれば、自分の再就職もまちがいないと考え、そしてこのとんでもない考えを実行に移しはじめるのです。
