1994年に放送された伝説のドラマ「若者のすべて」(フジテレビ系)に木村拓哉さんとW主演し、若手俳優として注目の存在となった萩原聖人さん。映画「マークスの山」(崔洋一監督)で日本アカデミー賞優秀助演男優賞とブルーリボン賞助演男優賞を受賞。映画「CURE」(黒沢清監督)で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞し、唯一無二の存在感を放つ演技派俳優として知られていく。主演映画も多く、最新主演映画「月の犬」(横井健司監督)が4月24日(金)に公開される。(この記事は全3回の中編。前編記事は記事下のリンクからご覧になれます)

■監督に人心掌握されて出演することに?

1995年、映画「マークスの山」に出演。この作品は、連続殺人事件とその裏に潜む大きな影の存在に、真っ向から戦いを挑む捜査員たちの姿を描いたもの。

萩原さんは、幼い頃、一家無理心中から奇跡的に助かったものの、後遺症で統合失調症になり、別人格「MARKS」が現れて残忍な事件を起こす水沢裕之役で出演。緩急自在の秀逸な演技で日本アカデミー賞優秀助演男優賞とブルーリボン賞助演男優賞を受賞した。

「(監督の)崔さんも、もう亡くなってしまいましたけど、僕はその前に『月はどっちに出ている』という映画でご一緒させていただいていて。

実は、『マークスの山』の裕之役は、最初は違う俳優さんだったんです。その方が降板されたので、急遽(きゅうきょ)崔さんに呼び出されて。『裕之役をやれるか?』って言われたので『やります!』と。そういう裏話があります。そこでもひとつ人生の歯車というか何かが変わった瞬間だったりするんですよね」

1997年、映画「CURE」に出演。黒沢清監督が国際的に知られるきっかけになったこの作品は、人間の奥底にある深層心理を操って猟奇事件を起こす天才的な殺人鬼・間宮(萩原聖人)と対峙(たいじ)する刑事(役所広司)の姿を描いたもの。

萩原さんは、独特の話術を弄し、周囲の全てを不安と苛立ちへと追い込んでいく殺人鬼という難役を圧倒的な演技力で体現し、日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞した。

「あの役も難しかったです。ああいうのって実体験から紐解いて役に繋(つな)げられないじゃないですか。あんなことはしたことがないし、記憶障害になったこともないし…という中で不安でしかなかったので、最初はお断りしました。脚本を読ませていただいた時、難しくてできないと思って。

でも、万代さんに『とにかく監督に会うだけ会ってみたら?』と言われてお会いしたら、僕が間宮に操られるかのように監督に人心掌握されて、オファーを引き受けていました。『やります』って(笑)」

――間宮は神経を逆なでするような独特の話し方が印象的でした

「俳優冥利(みょうり)に尽きますよね、こういうところのポジションを任せてもらえるというのは。若かったということもあると思いますが、あの時は自分でも勢いがあったのかなと思います」

同年、映画「ドリーム・スタジアム」(大森一樹監督)に主演。この作品は、突然野球の能力に目覚めた落ちこぼれサラリーマンと、彼を取りまく人々の野球に賭けた夢を描いたもの。

萩原さん演じる主人公・田沼は、「オリンピックで自分の人生を変える」という夢を持つ不動産会社の若手営業マン。東京ドームでホームランボールを頭に受けて失神し、目が覚めると30年前に将来を嘱望されながら交通事故で亡くなってしまった高校球児(池内博之)の霊が乗り移っていた…という展開。当時「福岡ダイエーホークス」の監督だった王貞治さんや現役選手たちも登場して話題に。

――草野球チームを持っている萩原さんにピッタリの作品でしたね

「そうですね。めっちゃ楽しかったです。当時の名球会の名だたるレジェンドにお会いできて。金田(正一)さんとキャッチボールもしましたからね。一生忘れられないですよ」

――「CURE」と同じ年にコメディー要素もある作品が公開ということでバランスも考えたのでしょうか?

「どうなんですかね。万代さん(昨年亡くなったアルファエージェンシーの社長)は、映画の主役ということに結構こだわっていましたね。僕が云々というよりかは社長が考えてやっていました」

――何者でもなかった未知数の15歳の少年を主演俳優に育て上げたわけですから、万代さんは本当に嬉(うれ)しくてたまらなかったでしょうね

「そうかもしれないですね。僕は万代さんからそんなことを言われたことはないんです。

でも、周りから漏れ聞こえてくるので、それは素直に嬉しく思います。

僕も大人になってくると万代さんに言われても『これどうなの?あまりやりたくないんだけど』という時期ももちろんありました。でも、万代さんも頑固で(笑)。僕が45歳ぐらいまで、万代さんの中で、僕はずっと16、7歳の少年のままだったと思います。

父親が息子に言うような感じで『老婆心だけどさ』って、ずっといろいろ言われていて。『僕ももう40歳ですよ。20代の時のようなことは言わないから大丈夫です』って言うやり取りはよくありました。

『もうこいつもおっさんだ。いい大人になったな』って感じてくれたのは、45歳ぐらいになってからだと思います。そのぐらいまでは、いつも心配されていたと思います。きっと」

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