1990年に放送された「はいすくーる落書2」(TBS系)の松岡直次郎役で圧倒的な存在感を放ち注目された萩原聖人さん。「若者のすべて」(フジテレビ系)、映画「マークスの山」(崔洋一監督)、映画「CURE」(黒沢清監督)などに出演。韓国ドラマ「冬のソナタ」のペ・ヨンジュン、アニメ「逆境無頼カイジ 破戒録篇」(日本テレビ系)のカイジ役など声優としても定評がある。2018年よりプロ雀士としても活躍。4月24日(金)に主演映画「月の犬」(横井健司監督)が公開される萩原聖人さんにインタビュー。(この記事は全3回の前編)

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■中3の時にアメリカ旅行で俳優になることを決意

神奈川県茅ヶ崎市で生まれ育った萩原さんは、3歳の時に両親が離婚。父親と暮らすことになるが、10歳の時に父親が亡くなり(父方の)祖父母に育てられたという。

「僕が10歳の時に父が心不全で急に亡くなって。その頃僕は父方の祖父母のところに預けられていたんですけど、離婚したということは知らなくて、母は東京で出稼ぎしているみたいなイメージだったんです。

父が亡くなった時に『実は離婚していたのよ』って言われて。母は東京に来ないかと言ったんですけど、その時の環境、学校の友だちと遊ぶのが楽しかったので、茅ヶ崎に残ることに。

それはもしかしたら母にとっては、かなりショックだったかもしれないな。でも、その時はそんなことは何も考えられなかったので、祖父と祖母のところに残って…という感じでしたね。

――麻雀を始めたのも中学生の頃だとか。早いですね

「そうです。中学校の友だちに誘われて。今のように娯楽はあまりなかったんですよ。ゲームもあまりなかった。

でも、中学生で麻雀は確かに早いかな。当時、僕は母と2,3カ月に1回くらい会っていたんです。茅ヶ崎と東京だったので、たまに東京に遊びに会いに行くみたいな感じで。

そうすると夜は必ず麻雀をやっていたんですよ、祖母と母と。ただ、あまりいいイメージがなくて、むしろネガティブなイメージの方が強かったんです。だから、わからないものですよね(笑)」

――アメリカに行かれたのは中学生の時ですか

「そうです。中学時代の僕があまり優良ではなかったんですね。今でこそ茅ヶ崎は、ちょっといいミッドタウンみたいになっていますけど、当時はまだ何もなかったし、いろいろ悪さをしていて。

と言っても可愛いものですけど、祖父と祖母はやっぱりショックを受けて。東京にいる母に、『父親も死んじゃったし、あの子はこのままだとヤクザになっちゃう。どうしよう?』って相談したらしいんですよね。

母は元々演劇とか映画、芸術や文化にすごく興味のある人だったから、そういった道に行かせたいという思いがあったみたいで、お金を貯めていてくれたんです。

それで、何か刺激を与えたいと、中学3年生の夏休みに海外旅行に行きなさいと言われてアメリカに行くことに。

母は一緒に行きたかったらしいんですけど、女親が鬱陶しい時期というか、思春期のそういう時期だったので、母の知り合いの版画家の方が保護者代わりみたいな感じでついてきてくれることになって。2人でアメリカ横断というか、ロス(ロサンゼルス)からサンフランシスコ、ラスベガス、ニューオーリンズ、最後はニューヨークへ。一番長く滞在しました。

その先生も演劇やミュージカル、映画を見るのが好きだったので、チケットが安く買える店に毎日通って見に行っていました。たくさんの映画や舞台を見るなかで徐々に俳優という仕事をやってみたいと思ったんです」

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