新年である。もう2月じゃないかというツッコミもありそうだが、韓国や中国では旧正月を祝ったり、二十四節気では立春から1年が始まると考えたりするので、とにかく新年なのだ。ということでこの連載も2026年の出発点となるよう、文京区湯島にある、その名も出発点に行くことにした。
御茶ノ水駅界隈はもう何度も来ているけれど、聖橋を神田明神方面に向かうのは久しぶり。えっ東京医科歯科大学って、いつの間に東京科学大学に名前が変わったの……? 隔世の感を感じながら歩くこと約7分。「名作と迷作あります」ののぼりとともに、「本 しゅっぱつてん」と書かれた、昭和レトロなホーロー駅名板が見えた。うわあワクワクする。
これまたレトロなビルの2階にあるBookstore & Gallery 出発点のドアを開けると、本や雑貨が所狭しとポップに並んでいる。その奥で、店主の廣岡一昭さんが作業していた。
ポール・モーリアとシブがき隊でメディアを知る
横浜生まれ横浜育ちの廣岡さんは、母親が当時近所にあった総合書店の書店員だった。子供の頃から店に入り浸ってはコロコロコミックを読みふけり、当時流行っていた鉄道やルアー釣りなど、ワンテーマでまとめた子ども向けムックに夢中になった。
「父がタクシー運転手だったので、本と車が好きだったんです。母が初めて買ってくれたのが二見書房の『ミニカーコレクション』だったのですが、著者の中島登さんに会いたくて訪ね、小学校5年生の時に中島さんが主宰していたミニカークラブに入会したほどです」
中学時代は放送部に在籍していた。THE ALFEEやチェッカーズなど歌謡曲の全盛期で、クラスメイトがシブがき隊の「処女的衝撃!」を校内放送で流して怒られたりするなか、廣岡さんの推しはポール・モーリアだった。
「フランスかぶれの友人がいて、その影響だったんですよ。友人はフリオ・イグレシアスのファンだったんですけど。学校的にシブがき隊はNGでポール・モーリアはOKというのを知ったことは、今思うとメディアと初めて向き合う瞬間だったのではないかと思います」
校内放送を担当するだけではなく、街に飛び出してご近所さんを撮影するなど、放送部の3年間はなかなか充実していた。しかし高校では「顧問の先生に惹かれた」という理由で保健委員になり、これまた「先生がカッコよかった」から、音楽の道を志すようになった。
「男性の音楽教師だったのですが、ピアノを弾く姿がカッコよくて味があって。自分も音楽をやりたいなあと思い、ピアノと声楽を始めました。卒業後はレコーディングエンジニアの専門学校に進学が決まっていたのですが、音大を目指そうと進路も変えました」
一浪のすえ、晴れて昭和音楽芸術学院(現在は閉校)の基礎音楽科に進学したものの、現実は厳しかった。まず、卒業後の進路が見つからなかったのだ。
「音楽は面白かったのですが、現実は厳しくて1年で挫折しました。そこからは考えが甘かったと反省して、アルバイト生活に突入しました」
今も横浜市内にある、灯油の巡回販売サービス会社でアルバイトを始めた。本・ひとしずくの田中さんとお話していた時に来たアレである。夏は灯油の動きが鈍いのでアイスクリームやジュースを売り、冬は灯油を売り歩く。仕事もさることながら、オーナーとの会話が楽しくて、気づけば4年経っていた。
「そろそろ何かしなければ、でも何をやろうと考えた時に、本に関係する仕事がしたいと思いました。両親と妹、祖母の5人家族だったのですが、祖母のために機械のマニュアルを作ったり、母のいる本屋で写真をコラージュしてコピーしたりと、紙を使ったものづくりの先にある表現が、ずっと好きだったんですよね」
