紀伊國屋書店 出版部70周年

紀伊國屋書店出版部は、おかげさまで70周年を迎えました。
弊社は1927(昭和2)年の創業以来、「文藝都市」などを刊行し、1933(昭和8)年には「行動」創刊のため「株式会社 紀伊國屋書店出版部」を設立、2年後に同社が解散してからも「机」などを出していましたが、現在の出版部の歴史は1955(昭和30)年に『ヒマラヤの男』(テンジン著)を刊行し、定期的な出版活動を始めたところから数えています。

70周年を記念し、養老孟司さんのご寄稿、近刊の書評、および主要刊行物を中心にした年表をここにまとめました。これからも読者の知的好奇心を満たせるような本を丁寧に作り続ける所存です。
今後ともご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。

 

essay

book review

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書物の力

養老孟司

情動はこうしてつくられる
神々の沈黙

流れといのち
流れとかたち

 まだ東京大学に勤めていたころ、紀伊國屋書店出版部にいた編集者・水野寛(ひろし)さんがよく研究室に来てくれた。
 四月や五月は解剖の実習があり、学生の相手をしているとくたびれてしまう。そんな折に学士会館の脇にあるビアガーデンで、水野さんが編集されていた科学関連書の話をいろいろ聞かせてもらった。書き下ろしの依頼もあったが、うまくタイミングが合わず、一緒に本を作ることはできなかった。ただ、二人で煙草を吸いながら雑談したことはなぜか鮮明な記憶として残っている。
 紀伊國屋のラインナップは、堅いけれどちょっと変わった、ユニークな本が多い。
 ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』は、事あるごとに勧めてきた本だ。著者によると、意識は言語の誕生によって生まれた。脳の左半球は言語を司る機能だが、右半球は神々の声を語っていたので、古代の人々は神々の声を聞いていたという。現代人なら幻聴で片づけるだろうが、古代メソポタミアの文献やホメロスの叙事詩、旧約聖書は、「神の声が聞こえなくなった」という嘆きに満ちている。
 著者の言い分が正しいかどうかは、大した問題ではない。現代を支配する「意識中心主義」や「エビデンス中心主義」を相対化する同書のようなアプローチが大切なのである。
 意識が幅を利かせる社会を私は「脳化社会」と呼んでいる。意識は「同じ」を好み、「違い」を嫌う。自然界は「違い」だらけだから、数字やエビデンスで「同じ」ように扱おうとして、それを客観性と称する。
 だが、意識に振り回されると、自然や感覚が脇に追いやられる。そして同じこと、変わらないことを正しいことだと思い込む。その結果、人間の社会は脳化社会になった。
 私が『神々の沈黙』に惹かれるのは、脳化社会に一石を投じている本だからだ。唐突かもしれないが、私の大好きな『方丈記』の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし」とどこかで響き合っている。私はこの本を哲学書だと思っている。
 ドーキンスの『利己的な遺伝子』が世界的にベストセラーになったのも、脳化社会と無縁ではない。むしろ西洋中心の現代社会を体現する本だ。ドーキンスは、生物の進化の過程で、遺伝子という情報だけが滅びずに残ってきたことを大前提としている。だが、これは明らかに間違いだ。細胞もまた、進化を通じて連続していて、滅びたことがない。つまり、細胞という生きたシステムと、情報としての遺伝子はどちらも滅びたことがないのである。
 脳化社会は情報化社会でもあるから、遺伝子という情報が滅びずに残ってきたことを強調するドーキンスの説と通底している。そこでは、たいへんな数の分子からなる細胞という「生きたシステム」は脇に追いやられることになる。生物進化の仕組みをスパッと明快に説明した本なので人気なのはわかるが、私は子どものころからその手の話を信じない。戦後に教科書を墨塗りした経験があってのことだ。
 最近惹かれた本に、リサ・フェルドマン・バレット『情動はこうしてつくられる』がある。著者は古典的な脳科学の常識をくつがえして、新たな見方、概念の提示を試みている。
 エイドリアン・ベジャンの『流れとかたち』 『流れといのち』もユニークな本だった。一種の統一理論で、すべては、より容易な動きを可能にするように変化するという、コンストラクタル法則に従うと説いた熱力学の専門家による本だ。情報系の学問が優位の世に、クラシックな学問に帰れという主張がようやく出た。熱力学も、もっと多くの人が関心を寄せるべき学問だろう。

 僕らは本を読む習慣を経て、ネット社会へ移ってきた。今の若い人はその逆の道をたどらなければならない。ネットを見るのと、本を読むのとでは頭の使い方が違うから、少し辛抱しても本を読む癖は身につけておいて損はない。

(2025年1月26日収録/構成・斎藤哲也)

book review
『生誕の災厄 新装版』

評者 上野千鶴子 

社会学者

生誕の災厄

E. M. シオラン 著 出口裕弘 訳 定価2,750円

 最近、反出生主義というものが流行(はや)っているらしい。生まれてくることよりも生まれない方がよかった、という思想のようだ。生まれることは選べない。親に向かって「産んでくれなんて頼んだ覚えはない」と言いたい気分になったことはないだろうか。
 今どき、本書が再刊されるというのは、反出生主義の流行に便乗したからだろうか? それとも長引くコロナ禍に倦(う)んで、ひとびとの気持ちがよほど後ろ向きになっている証拠だろうか?
 何を今さら、とシオランに若い時にはまったわたしは感じる。ルーマニア生まれの哲学者、『生誕の災厄』の著者だ。1976年に出口裕弘訳で刊行されたその同じ本が、2021年に同じ出版社、紀伊國屋書店から再刊された。書棚を探してみたら76年刊の初版があった。刊行直後に読んでいたのだ。東欧の国ルーマニアは不幸な歴史を辿(たど)った。ナチスドイツの占領下に入り、ドイツが敗退したあとはソ連のもとで社会主義国に変貌。パリに留学していたシオランは帰国を断念し、そのまま彼は「祖国なき亡命者」になった。こうして彼は亡命地パリで一生、自分の運命を呪って死んだ。
 本書はのっけからこう始まる。
「どうしてこんな始末になったのだ?――生まれてきたからだ(・・・・・・・・・)」
 当時20代だったわたしは、本書の何に惹(ひ)かれたのだろう? 祖国を失ったシオランは母語も失った。彼にとっては外国語であるフランス語でその後の著作を書かなければならなかった。哲学者にとって言語は思索の根源的なツールだ。その母語を奪われるのは、思想にとって致命的な痛手である。わたしにはシオランの歎(なげ)きが他人ごととは思えなかった。
 長い見通しのない「入院生活(わたしたちは大学院時代をそう呼んでいた)」を送っていたわたしにとって、学問の言葉はすべて男のつくった外国語だった。身に合わない言葉に自分の経験や感情を乗せようとすると、その度につまずいた。作家の森崎和江は敗戦のとき、「男のつくった言葉を一切信じまい」と誓ったと言う。だからといってそれに代わる女の「母語」はなかった。女にとって自分を語ることは、失われた母語を探す旅のようなものだった。母語を禁止され、母語を奪われた亡命者の歎き、悲しみ、無念さがわたしには伝わったのだ。女性学が登場してから半世紀、わたしたちは女の「母語」を手に入れただろうか?

(「毎日新聞」2022年1月22日)

book review
『眠りつづける少女たち 脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た』

評者 小川哲 

作家

眠りつづける少女たち

スザンヌ・オサリバン 著 高橋洋 訳 定価2,750円

 2017年、スウェーデンに住む女の子が、謎の病によって生気のない無反応状態に陥っている、という記事が出た。彼女は動くことも、食べることもなく、ただ目を瞑(つむ)ってベッドに横たわっている。スウェーデンには、そのような子どもの症例が169人も報告されていた。
 本書の著者であるスザンヌ・オサリバンは、心因性疾患の研究をしている神経科医だ。彼女は医師として、子どもたちの間で広がる「眠り病」の診察をする。「眠り病」の厄介な点は、どれだけ検査をしても脳波に異常が見られないこと。そして、どういうわけか患者がスウェーデンに住む子どもたちだけに限定されていること。もっと言うと、難民としてスウェーデンにやってきた子どもたち│とりわけ中東からやってきた子どもたちに限って発症する病なのだ。いったいなぜ、地域的に、そして文化的に限定された子どもたちだけが、この病気に罹患(りかん)するのだろうか。
 ニカラグアの若者に広がる幻覚や憑依(ひょうい)を伴うグリシシクニス、カザフスタンの鉱山町で発生した眠り病、キューバ在住の外交官が罹(かか)ったハバナ症候群、コロンビアの少女たちに広まった集団ヒステリー、アメリカの女子高生が陥ったけいれん│本書は、一見すると「病」なのかも判断することができない数々の「謎の病」の原因がどこにあるのかを探る。
 たとえば私たちは普段、何も考えずに呼吸をしている。しかし、ひとたび自分の「呼吸の仕方」に注意を向けると、それまでに自然に行っていた呼吸を同じように繰り返すことが難しくなってしまう。人間の身体は複雑にできていて、病気の原因は私たちの常識で一般化、単純化できるものばかりではない。
 本書を読めば、病気というものの難しさがよくわかる。集団の文化、患者本人の願望などが、実際に症状となって心身の不調に繫(つな)がることもある。本書は「病気」というものに対する思い込みを解きほぐしてくれるノンフィクションであり、「謎の病」の正体を追っていく良質な医学ミステリーでもある。

(「読売新聞」2023年6月4日)

book review
『利己的な遺伝子 40周年記念版』

評者 佐倉統 

東京大学教授

利己的な遺伝子

リチャード・ドーキンス 著 日髙敏隆、岸由二、羽田節子、垂水雄二 訳 定価2,970円

 『利己的な遺伝子』は、世界を一変させた本である。正確に言うと、世界に対するぼくたちの見方を一変させた本である。それは、まさに科学革命と呼ぶのにふさわしい。
 この一冊の書物によって、温かくて親しみやすい生物の世界は、ドライでクールなデジタル情報の世界に変換された。
 歴史上、このような革命的大転換をもたらした本は、いくつかある。ニコラウス・コペルニクスの『天球の回転』は地球を宇宙の中心から引きずり下ろし、チャールズ・ダーウィンの『種の起源』は人間もまた動物の一種であることを明らかにした。カール・マルクスの『資本論』は社会主義による国々を生み出す理論的基盤となったし、環境問題の重大性に警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』もそうだ。
 ドーキンス35歳のときのデビュー作も、これらの革命的書物の列に連なる。しかも、ダーウィンやマルクスに比べると、はるかに短くて、やさしくて、読みやすい。
 古来、生物は「なまもの」と見られていた。哺乳類や鳥類の身体は温かくて柔らかい。その振る舞いは親しみやすく、可愛らしく、きまぐれだ。種類によっては、ときに危険で猛々(たけだけ)しいことがあっても、ぼくたちの肌感覚で理解できるからこその危険であり、危害である。
 身体の中を見てみれば、「なまもの」感はさらに増す。各種内臓や筋肉や血管がところ狭しと詰め込まれてお互いに役割を分担している。血液やリンパ液などの液体が身体中をめぐる。もっと解像度をあげて細胞を見ても、小さい器官が蠢(うごめ)いているのがよくわかる。蠢くということでいえば昆虫や線虫もそうだ。
 植物は動かないし、どろどろ感も少ない。しかし美しい花を咲かせ青々とした葉を茂らせ、ときにはそびえる巨木となって、ぼくたちの五感を癒やしてくれる。やっぱり植物も、温かい「なまもの」なのだ。
 ドーキンスの『利己的な遺伝子』は、この「なまもの」性を生物の世界から一掃した。彼は、生物の進化とは遺伝情報の自己複製過程であると喝破し、生々しくウェットな生命が、一皮むけばドライなシステムであると、多くの人を説得した。どろどろと蠢くアナログな世界から、目には見えないけれども1と0が並んでいるデジタル情報の世界へ。温かい癒しの世界から、冷徹で合理的な論理の世界へ。
 ぼくたちの、生命に対する畏敬の念は、複雑系に対する好奇心に変換された。
 以来40年。ドーキンスの起こした《利己的遺伝子革命》は、なんであれ革命というものがそうであるように、幾多の衝撃と混乱と反発と熱狂を伴いつつ、基本的には正しいという評価が定着した。この革命の精神は、時代を生き抜いて、生物学の基盤となったのである。フランス革命の博愛思想が近代国家の基盤となったように。
 利己的遺伝子革命がもたらした新しい認識のひとつは、生物は特別な存在ではないというものである。環境に適応し、自己複製する複雑系。そのうちのひとつが生命だ。生命は唯一無二の存在なのではない。人間の社会や経済システムなど、他にも似たような複雑適応系はたくさんあるし、それらも生命と同じ性質を持つであろうということを、この見方は予想する。
 実際、1970年代半ば、『利己的な遺伝子』とほぼ時を同じくして、コンピュータのプログラムやアルゴリズムを生命の進化と同じ手法で進化させ、人間が作り込むよりもはるかに優れたパフォーマンスを実現することができるようになった。ロボットも、複雑で精密なものを作り込むのではなく、単純なものをたくさん作っておいて、周囲の環境に適応するよう学習していく手法が採用されるようになった。昨今の人工知能(AI)ブームも、もとをたどればドーキンスのこの本と同じ根っこから派生している。
 もちろん、この40年間の生物学は、『利己的な遺伝子』が扱っていないような話題についても大きな進捗を見せてもいる。代謝やエネルギーへの配慮とか、発生生物学と進化生物学の融合とか。だけど、ドーキンスがこの本で主張した、生物進化の基本は遺伝子の自己複製であるという見方は、微塵の修正も必要とされていない。むしろ、これらの新しい潮流と利己的な遺伝子という見方が合流して、生命の神秘の解明が、より深く、広く進む方向に、世の中は動いている。ためしに、話題になったユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』を開いてみよう。ほとんどどのページからも、ドーキンスの影響が立ちのぼってくる。
 そんな科学的地殻変動のきっかけになった、現代の古典がこの本だ。
 これを読まずして、生物やゲノムや脳科学やAIやロボットや社会や経済について、語ることはできない。

(「scripta」2018年春号)

book review
『モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない』

評者 津村記久子 

小説家

モラル・ハラスメント

マリー=フランス・イルゴイエンヌ 著 高野優 訳 定価2,420円

 モラル・ハラスメントには遭いたくない。それでもモラハラをしたい人間はどうしたってやるものなので、家庭や職場といった場所に出現したら、誰でも標的となる可能性がある。自分もそういう経験をしたことがある。「職場いじめ」みたいな、口にしたらよけいにみじめになる物言いしかなかった18年前にである。そのぐらいそれまでの日本人は、大人同士の 諍(いさか)いに無頓着だったということだろう。
 しかしモラル・ハラスメントをする人は本当はよくいる。あまりにも不可解な衝動に基づいて標的に危害を加えるので、被害を免れた人は考えるのが面倒になって流してしまうだけだ。フロア全体に響き渡る声で怒鳴り散らされた後、別の先輩がわたしの所にやってきて「鍛えたいだけだって!」と笑いかけてきた時の悪寒は忘れられない。
 あの時にこの本『モラル・ハラスメント』があったらなあ、と思う。思うけれどもやっぱりわたしは会社を辞めていただろう。それでも、後で読めただけましだと思った。「ほのめかす」「ため息をつくなど意味ありげなしぐさをする」「何かを言いかけてやめる」「自分の言っていることはいつでも正しいという口ぶりで話す」「相手を人前で笑いものにする」「噂を流して相手を傷つける」
 帯の要約だが、「相手を不安に陥れる」コミュニケーションのこのまとめを読んだだけで、「自分はおかしなことをされている」と気付けると思う。相手に無力感を植え付けて上下関係を作り、意のままに言葉で殴れる人形を作るのが、あの人たちはものすごくうまい。
 なぜそんな陰湿なことに長(た)けてしまったのかというと、自分が他人から搾取せずにはいられないぐらいエネルギーに乏しく、悪いことをすべて外部に投影しないと生きられないぐらい不安だからだということが、本書では説明される。彼らは「内心の葛藤を自分で引き受けられない〈症状のない精神病者〉」だという。
 被害に遭った時は、第三者に様子を見せる、愛や優しさで相手に和解を求めない、どう弁明しても相手に利用されるので黙ること、記録を取る、ほのめかしは無視する、といった対策が提案される。「残酷に扱われた人間は自分の無力さを認めることによって、その無力さのなかから将来に向けての新しい力を汲(く)みだすことができる」という著者の言葉は、被害者への何よりもの励ましに聞こえる。

(「日本経済新聞」2018年4月28日)

book review
『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』

評者 信田さよ子 

日本公認心理師協会会長

身体はトラウマを記録する

べッセル・ヴァン・デア・コーク 著 柴田裕之 訳 定価4,180円

 著者は名実ともに世界のトラウマ研究の第一人者だ。トラウマという言葉は、阪神淡路大震災以後、日本でも日常語となった。戦争や災害がもたらすのは物理的被害だけではなく、私たちの生そのものが壊れかねない、筆舌に尽くしがたい心的被害もあることが明らかになったのである。
 この言葉は、宿命的ともいえる二つの相対する方向性を含んでいる。一つは、ずっとなきものとされ、沈黙のうちに耐えるしかなかった多くの被害者を救済する初めての言葉であること。もう一つは、加害行為を証明する言葉として、力関係や対立を生じさせる可能性をはらんでいることだ。
 米国ではベトナム戦争帰還兵の被害の認定と救済にこの言葉が用いられたことはよく知られている。中でもDVや虐待といった家族の暴力においては、被害者と加害者との激しい司法的対立の焦点となる。
 著者は早期から脳のスキャン画像を用いてトラウマの影響を証明し、可能な限りの治療の効果検証と方法論的確立を試みてきた先駆者でもある。加害者と名指しされる人たちによる抗議や主張に対抗するために、このような科学的研究がどれだけ役に立ったかは言うまでもない。
 本書でもっとも力点が置かれているのは、虐待による幼少期のトラウマである。わが国でも頻発する残酷な虐待死によって、水面下の被虐待児の存在が注目されている。その子たちへのトラウマ治療とケアの方法が、世界中の臨床家や研究者によって日々目覚ましい進捗(しんちょく)を見せていることも明らかにされる。
 どんなに重篤なトラウマでも、適切な治療と人とのつながりによって、最終的には回復可能だというのが著者の信念である。悲惨な事例が多いにもかかわらず、読み終えた後、私たちに残されるのは希望だ。分厚い本だが読み始めると止まらないのは、著者のそんな熱情が底に流れているからではないだろうか。

(「信濃毎日新聞」2016年11月27日付・共同通信配信)

book review
『プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』

評者 幅允孝 

BACH代表、ブックディレクター

プリズン・ブック・クラブ

アン・ウォームズリー 著 向井和美 訳 定価2,090円

 帯には、こんな言葉が記してある。「彼らが夢中になっているのはもはや麻薬ではなく書物なのだ」。この本は、カナダのコリンズ・ベイ刑務所から始まった読書会と、その運動の広がりを丹念に追ったノンフィクションである。
 ぱっと聞くと、巷で見かける読書会とは随分ちがった様相を想像する方も多いだろう。それは、ある意味でYesだし、別の側面からみるとNoでもある。Yesの側面について書くなら、参加者の風貌は、さすがに迫力ある面子が揃っている。薬物がらみの事件で服役中のドレッドや、ヘルズエンジェルスの元メンバーで薬物売買と恐喝により17年の懲役刑を受けている大男のグレアム。ほかにも、いかつくて厄介そうな刑務所の男たちが多々登場する。
 ところが、そんなドレッドはカナダ人作家のマーガレット・アトウッドを愛読しているし、いつも周りとは違った視点で本の核心を射抜くグレアムは『サラエボのチェリスト』がフェイバリットなのだという。コンビニ強盗のピーターはスタインベックの『怒りの葡萄』とディケンズの『二都物語』がお気に入りで、連続銀行強盗をしたガストンは『ガーンジー島の読書会』が好きなのだとか。
 もちろん、彼らは最初から読書家だったわけではない。だが、刑務所にいる彼らの怒りや喪失感や罪の意識や持て余した時間に、物語が染み込む余地があったのは確かなようだ。最初は、何となく参加していたメンバーもだんだん自発的な読書に変わり、やがて読んで湧きあがった意見を交換すること自体が楽しいと思えるようになっていった。「自分では気づきもしなかった点をほかのやつらが掘り起こしてくれる」と。
 僕が本書に熱中できたポイントは幾つかある。例えば、語り部である「わたし」は、強盗の被害に遭い犯罪者にトラウマを抱えている点。友人に誘われてこの刑務所読書会ボランティアに参加した彼女は、登場する収監者への警戒感が読者のそれと同じ位置からスタートする。だから、読者も主人公と犯罪者の間にある距離の変化を自然にトレースすることができる。
 また、読者会のシーンも印象的だ。さながらそれは読書会の実況中継ともいえるような書き方で、取り上げる作品のあらすじや意味性よりも、その現場での白熱した議論を中心に話は展開する。収監者たちが、どの登場人物のどんな場面や言葉に心動いたのかを丁寧に描き、まるで読書会に参加しているように読める。未読の本は読んだのちに、この読書会シーンを読み直そうと思える程だ。
 そして、もっとも納得できたのが、本の読み方の自由を書いている点。ひとつの物語をどんな風に読んでもいいし、他者の読みに対して寛容であることが、本を通じたコミュニケーションの基盤になることを本書は示す。白い紙の上の物語は人種や宗教や出自にも縛られることがない公平な場所。つまり、自身の心を開いてさえいれば、僕らも刑務所の中の彼らも何ら変わりのない唯(ただ)のブックラバーなのである。

(「ケトル」VOL. 33)

book review
『LIFE 3.0 人工知能時代に人間であるということ』

評者 松尾豊 

東京大学教授

LIFE 3.0

マックス・テグマーク 著 水谷淳 訳 定価2,970円

 2017年に米カリフォルニア州のアシロマで、人工知能(AI)に関するリスクについての考え方である「アシロマ原則」を定めた会議に参加した。エリック・シュミットやイーロン・マスクの姿もあってわくわくしたのだが、主催の宇宙物理学者、マックス・テグマークの印象はひときわ強かった。AI研究の規制をすべきではないと否定的な意見が出る中、とにかく合意できる点は何かとポジティブな意見を発し続け、最終的にみんなの意見をまとめ上げるさまは見事だった。
 そのテグマークが著した本書は、人工知能の驚異的な進展が人類にどのような影響をもたらすかを正面から扱う。題名の「ライフ3.0」というのは、これからの時代を端的に捉えたものだ。
 生き延びて自らを複製するだけの単純な生物が1.0、そこに脳の学習によって「ソフトウェア」を設計できるようになるのが2.0、そして「ハードウェア」も設計できるようになるのが3.0だ。人間はたとえば言語を習得したり、新しい技能を身に着け職業に就いたりできるが、これはソフトウェアをインストールしているようなもの。地球上にまだ存在しないライフ3.0は、ハードウェアも変更できるようになるという。つまりこれが未来のAIだ。
 本書で圧巻なのは「善意の独裁者」「保護者としての神」「門番」「動物園の飼育係」など、人間との関係において、AIの未来にはさまざまなシナリオがあり得ると想像する部分である。非常に空想的だが、ここまで空想しきった本はこれまでなかったし、それなりに筋道が通っている。
 その後、話は宇宙スケールにまで広がる。宇宙物理学者の意見として面白かったのは「この宇宙で知的生命体は我々しかいない確率が高い」というものである。
 本書の最後は「意識」の話で終わる。意識とは何か。それが通常の物理現象といかに異なるか。まさにこのあたりが、この先の人工知能の研究で最もエキサイティングな部分であろう。
 本書は突拍子もないわけでもなく、かといって当たり前すぎない「正しい」妄想を膨らませた、知的好奇心をくすぐる良書である。

(「日本経済新聞」2020年3月14日)

book review
『中年の本棚』

評者 持田叙子 

日本近代文学研究者

中年の本棚

荻原魚雷 著 定価1,870円

 中年本、という角度がユニークである。著者は中年期に畏怖(いふ)を感じ、35歳頃から「中年本」を集めていた。今や50歳。満を持して成果を問う。
 たとえば、田辺聖子。彼女には『中年ちゃらんぽらん』『中年の眼にも涙』など中年を論ずる著作が多い。名言が光る。「もうアカン」と思ったら食べる。「アホらし」と思える。中高年には「気を取り直す才能」が必須と言う。神吉(かんき)拓郎の短編「かけだし老年」の主人公は嗅覚がにぶくなり、「段々世間が遠くへ行ってしまう」と呟(つぶや)く。胸を突かれる。「虫のいろいろ」は尾崎一雄が大病に倒れた4年後、48歳のときの作品。周囲の自然を見るうち、「時間と空間の、われわれはいつたいどこにひつかかつてゐるのだ」と考えるにいたる。
 著者は痛切に自身の体で本を読む。説得力がある。「中年」という磁石をかざし、本を呼ぶ。区分や差別の意識がない。純文学もあれば、サブカルチャー本、対談集、漫画、将棋本もある。その混沌(こんとん)が新鮮で、古典がちがう色で輝くこともある。個人的には、大批評家・中村光夫がいい意味でとても気弱であるのに驚いた。猛烈に読みたくなった。

(「毎日新聞」2020年8月29日)

book review
『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』

評者 山極壽一 

総合地球環境学研究所・所長

動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

フランス・ドゥ・ヴァール 著 松沢哲郎 監訳、柴田裕之 訳 定価2,420円

 長らく人間は、言語によって高い知性を持つ存在として特別視されてきた。著者のフランス・ドゥ・ヴァールはこの誤解に真っ向から挑戦し続けてきた認知動物行動学者である。これまでにも著者は、チンパンジーの高い社会的知性を多くの著書で紹介してきた。本書は哺乳類、鳥類、軟体動物、節足動物に至るまで、人間に劣らぬ認知能力を持つことを解説する。その好例が、京都大学霊長類研究所で認知テストを受けるチンパンジーのアユムだ。瞬時に多くの数字を記憶する彼の能力は人間の知能の優越性を覆したのだ。
 その突破口を開いたのは3人の学者と著者は言う。動物にはそれぞれの種が固有に認知する「環世界」があると言ったユクスキュル。動物の世界に自ら入り込んでそのコミュニケーション能力を調べたローレンツ。動物に名前を付けて個体識別し、その社会や文化を明らかにした今西錦司。いずれも野生動物に深い共感を寄せ、その内面に入り込む手法である。
 こうした先人たちの事例に倣い、動物行動学者たちは20世紀の後半にフィールドや実験室で盛んに観察や実験を重ねてきた。そして20年前、認知研究は行動主義心理学に対してついに優位に立った。イルカは水中でホイッスルという音声で互いを識別するし、ある種のハチは黄色と黒の模様で互いの顔を見分ける。カケスは餌を隠した場所を長い間覚えているし、ゾウは数百キロ先の雷雨を感知し、行先を変更する。カラスは嘴(くちばし)の届かない瓶の水面上の餌を、石を投げ込み水嵩(みずかさ)を上げて獲得する。タコは頭部と8本の腕に広く分布した神経細胞によって巧妙に擬態して捕食者をやり過ごす。
 これらの研究が明らかにしたのは、過去の記憶を利用し末来を予測するのに言語は必ずしも必要ないということだ。本書が示すその膨大な事例によって、私たちは自身の認知能力の由来に確かな目を向けることができる。動物の側に立って考えることは、知性の「魔法の泉」を見つけることにつながるのである。

(「公明新聞」2017年10月30日)

history 1955-2025

1955-1994
本棚

1955

テンジン『ヒマラヤの男』で本格的に出版活動を開始

1956

シーグフリード『現代』

1957

新宿角筈1-830に紀伊國屋書店分室として、宣伝・出版が移転
ウィルソン『アウトサイダー』
アザール『本・子ども・大人』
ヴァイル『シンメトリー』

1958

ダリ『異説・近代藝術論』
「現代文芸評論叢書」刊行開始
カミュ『ギロチン』
千代田区五番町12番地に移転
ブランショ『焰の文学』(現代文芸評論叢書)
マルクーゼ『エロス的文明』

1959

フロム『愛するということ』(懸田克躬 訳)
『アポリネール全集』
バタイユ『文学と悪』(現代文芸評論叢書)

1960

「現代経営科学全集」刊行開始
フェラー『確率論とその応用』(上下巻、現代経営科学全集)
ラゴン『現代建築』

1961

ボーヴォワール自伝『娘時代』から刊行開始
ホッファー『大衆』(1969年『大衆運動』に改題)

1962

グレーヴス『ギリシア神話』(上下巻)
カッシーラー『啓蒙主義の哲学』

1963

「紀伊國屋新書」創刊5点同時刊行
高階秀爾『世紀末芸術』
加藤九祚『シベリアの歴史』
空西哲郎『英語・日本語』
樋口幸吉『少年非行』
牧野佐二郎『人類の染色体』

1964

デュボス『健康という幻想』
ヘッブ『行動学入門』
「現代の記録・動物の世界」(全6巻、毎日出版文化賞企画部門)
貝塚爽平『東京の自然史』(紀伊國屋新書)

1965

「芸術論叢書」刊行開始
ミルズ『社会学的想像力』
黒川紀章『都市デザイン』(紀伊國屋新書)
フロム『悪について』
砂川重信『理論電磁気学』
寺山修司『戦後詩』(紀伊國屋新書)
ウィルソン『宗教と反抗人』

1966

コールダー編『二〇年後の世界』全3巻刊行開始
なだいなだ『アルコール中毒』(紀伊國屋新書)
サルトル、ボーヴォワール両氏来社

1967

西田龍雄『西夏文字』(紀伊國屋新書)
シオラン『歴史とユートピア』
「二十世紀の大政治家」刊行開始

1968

北川透『中原中也の世界』(紀伊國屋新書)
ブリヨン『幻想芸術』
ウドコック『アナキズム』(全2巻)

1969

出口裕弘『ボードレール』(紀伊國屋新書)
陸井三郎編『資料・ベトナム戦争』(上下巻)
フロム『希望の革命』
バシュラール『瞬間と持続』

1970

スポック『スポック博士の現代診断』
森毅『数学の歴史』(紀伊國屋新書)
木村敏『自覚の精神病理』(紀伊國屋新書)
ハーバーマス『イデオロギーとしての技術と学問』(1977年『イデオロギーとしての技術と科学』に改題)

1971

ガードナー『自然界における左と右』
谷川健一『魔の系譜』

1972

丸山昇『魯迅と革命文学』(紀伊國屋新書)
「現代基礎物理学選書」刊行開始
マリオン『力学』(全2巻、現代基礎物理学選書)

1973

廣松渉『科学の危機と認識論』(紀伊國屋新書)
ノイマン『アモールとプシケー』

1974

カルナップ『意味と必然性』
渡辺保『女形の運命』(芸術選奨新人賞)
「紀伊國屋数学叢書」刊行開始

1975

プラット『水=生命をはぐくむもの』
ホルクハイマー『権威主義的国家』

1976

「紀伊國屋新書」刊行休止(全164点)
シオラン『生誕の災厄』
ホルト『芸術における数学』

1977

フロム『生きるということ』
ガードナー『数学カーニバル』

1978

「カプセル叢書」刊行開始
コーバリスほか『左と右の心理学』

1979

ルカーチ『芸術の哲学』
「文化人類学叢書」刊行開始
ワインバーグ『一般システム思考入門』
ロールズ『正義論』
ボ ードリヤール『消費社会の神話と構造』

1980

シュッツ『現象学的社会学』
ドーキンス『生物=生存機械論』(1991年『利己的な遺伝子』に改題)
アリホン『映画の文法』
ポラニー『暗黙知の次元』

1981

ヤスパース『ハイデガーとの対決』
リーチ『文化とコミュニケーション』(文化人類学叢書)

1982

「叢書・脳を考える」刊行開始
久保田競『手と脳』(叢書・脳を考える)
ユング『元型論』(全2巻)

1983

小木和孝『現代人と疲労』
副田義也『マンガ文化』

1984

世田谷に新館竣工、出版部移転
ノイマン『意識の起源史』(上下巻)
クライン『不確実性の数学』

1985

ヤスパース『哲学の世界史序論』
『トーマス・マン日記』刊行開始

1986

木村資生『分子進化の中立説』
丸山圭三郎『フェティシズムと快楽』

1987

ドーキンス『延長された表現型』
塚原仲晃『脳の可塑性と記憶』(叢書・脳を考える)

1988

イーグルトン『批評の機能』
朝長正徳『脳の老化とぼけ』(叢書・脳を考える)

1989

エックルスほか『心は脳を超える』
河田雅圭『進化論の見方』

1990

「科学選書」刊行開始
志賀浩二『数学7日間の旅』(科学選書)
スピヴァック『文化としての他者』

1991

ドーキンス『利己的な遺伝子』(科学選書)
ボードリヤール『湾岸戦争は起こらなかった』
フロム『愛するということ 新訳版』(鈴木晶 訳)

1992

丸山圭三郎『生の円環運動』
長谷川眞理子『クジャクの雄はなぜ美しい?』(科学選書)
神沼二真『ハイテクと日本の未来』(日刊工業新聞 技術・科学図書優秀賞)

1993

レイコフ『認知意味論』
蜷川幸雄『千のナイフ、千の目』

1994

「精選復刻 紀伊國屋新書」全70点刊行
『ドイツ言語学辞典』
西田利貞『チンパンジーおもしろ観察記』

1995-2014
本棚

1995

ボードリヤール&吉本隆明『世紀末を語る』(紀伊國屋ホールでのセミナーを収録)
西田公昭『マインド・コントロールとは何か』
川勝平太『富国有徳論』(アジア太平洋特別賞)

1996

松原謙一&中村桂子『ゲノムを読む』(科学選書)(日刊工業新聞 技術・科学図書優秀賞)
ヴァレリー編『科学者たちのポール・ヴァレリー』(日本翻訳出版文化賞)
深谷昌弘&田中茂範『コトバの〈意味づけ論〉』(市河賞)
荒川紘『龍の起源』
「知慧の手帖」シリーズ刊行開始
ソーテ『ソクラテスのカフェ』(全2巻)

1997

トスカーニ『広告は私たちに微笑みかける死体』
「ポケットペディア」全20巻刊行開始
「書物復権」共同復刊スタート(1999年から参加)
長谷部浩『傷ついた性』(AICT国際演劇評論家協会賞)
クレマン『アリスの不思議なお店』(ボローニャ国際児童図書展ラガッツイ賞ほか)
『シートン動物誌』全12巻刊行開始(日本翻訳出版文化賞ほか)

1998

春日武彦『顔面考』

1999

いとうせいこう『ボタニカル・ライフ』(講談社エッセイ賞)
西村三郎『文明のなかの博物学』(和辻哲郎文化賞)
コンフィアン『コーヒーの水』(渋沢・クローデル賞、日仏翻訳文学賞)
信濃毎日新聞社編『介護のあした』(新聞協会賞)
イルゴイエンヌ『モラル・ハラスメント』

2000

椎名誠ほか『東京小説』
アンドレ&ルロール『自己評価の心理学』
恵比寿に本社ビル開設、出版部移転 

2001

『東京小説』の「一年ののち」(林真理子)が「東京マリーゴールド」として映画化
中田力『脳の方程式 いち・たす・いち』

2002

レビー『暗号化』
緑ゆうこ『イギリス人は「理想」がお好き』

2003

永井良和&橋爪紳也『南海ホークスがあったころ』
斎藤環『ひきこもり文化論』

2004

斎藤美奈子『文学的商品学』
佐藤雅彦『砂浜』
伊泉龍一『タロット大全』
西成彦『耳の悦楽』(芸術選奨新人賞)

2005

ジェインズ『神々の沈黙』
松田行正『眼の冒険』(講談社出版文化賞ブックデザイン賞)
大澤真幸『思想のケミストリー』

2006

鷲田清一『感覚の幽い風景』
岩井俊雄『いわいさんちの「どっちが?絵本」』(3冊セット)
コント=スポンヴィル『資本主義に徳はあるか』

2007

デンディ&ボーリング『自分の体で実験したい』
志賀浩二「大人のための数学」全7巻刊行開始
マックス『眠れない一族』

2008

はたよしこ編著『アウトサイダー・アートの世界』
モッテルリーニ『経済は感情で動く』
目黒に本社ビル移転
岩崎稔ほか編『戦後日本スタディーズ』全3巻刊行開始

2009

リゾラッティ&シニガリア『ミラーニューロン』

2010

上野千鶴子『女ぎらい』
ロールズ『正義論 改訂版』(新訳)
シャモワゾー『カリブ海偽典』(第48回日本翻訳文化賞)

2011

コックス&フォーショー『なぜE=mc²なのか?』
アンサーリー『イスラームから見た「世界史」』
ボイル『ぼくはお金を使わずに生きることにした』

2012

バジーニ『100の思考実験』
小阪憲司『第二の認知症』
岩井俊雄『どっちがへん? スペシャル』

2013

森達也『虚実亭日乗』
畑中三応子『ファッションフード、あります。』(第48回造本装幀コンクール・日本印刷産業連合会会長賞)
津村記久子&深澤真紀『ダメをみがく』
ベジャン&ゼイン『流れとかたち』

2014

ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』
水島広子『10代のうちに知っておきたい折れない心の作り方』
ガザニガ『〈わたし〉はどこにあるのか』
田辺茂一『わが町新宿』復刊

2015-2025
本棚

2015

ドゥアンヌ『意識と脳』
ボードリヤール『消費社会の神話と構造 新装版』
アンドレ『はじめてのマインドフルネス』

2016

『トーマス・マン日記 1918-1921』完結(第52回日本翻訳出版文化賞)
スヴェンセン『働くことの哲学』
ドイジ『脳はいかに治癒をもたらすか』
ウォームズリー『プリズン・ブック・クラブ』
コーク『身体はトラウマを記録する』

2017

松田行正『デザインってなんだろ?』
ハマー『アルカイダから古文書を守った図書館員』
ドゥ・ヴァール『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』
稲葉佳子&青池憲司『台湾人の歌舞伎町』

2018

ドーキンス『利己的な遺伝子 40周年記念版』
ジェイコブス『アウシュヴィッツの歯科医』
森まゆみ『お隣りのイスラーム』
ポムゼル&ハンゼン『ゲッベルスと私』
メイヤー『腸と脳』
平出隆『私のティーアガルテン行』
デイヴィス『人体はこうしてつくられる』

2019

バエス『書物の破壊の世界史』
ベジャン『流れといのち』
木皿泉『ぱくりぱくられし』
バレット『情動はこうしてつくられる』
テグマーク『LIFE 3.0』

2020

荻原魚雷『中年の本棚』
斎藤美奈子『中古典のすすめ』
フロム『愛するということ』『生きるということ 新装版』
ドゥ・ヴァール『ママ、最後の抱擁』
安田登『野の古典』

2021

シオラン『生誕の災厄 新装版』
ジョンソン『アメリカンビレッジの夜』
ジョエル&ヴィハンスキ『ジェンダーと脳』
ザドラ&スティックゴールド『夢を見るとき脳は』
ボイル『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』

2022

村中直人『〈𠮟る依存〉がとまらない』
ホッファー『大衆運動 新訳版』
マン『魔術師と予言者』
佐藤卓『マークの本』(第56回造本装幀コンクール・読書推進運動協議会賞)
松本直子『岡村昭彦を探して』
吉川浩満『哲学の門前』
ベッカート『綿の帝国』
紀伊國屋数学叢書が日本数学会出版賞を受賞

2023

水島広子『「消えたい」「もう終わりにしたい」あなたへ』
徳仁親王『テムズとともに』を学習院創立150周年記念事業の一環として新装復刊
オサリバン『眠りつづける少女たち』
伊達深雪『ウィキペディアでまちおこし』

2024

クラウス『音と脳』
ベイクウェル『実存主義者のカフェにて』
ハマー『ハヤブサを盗んだ男』
五十嵐大『「コーダ」のぼくが見る世界』
メスキータ『文化はいかに情動をつくるのか』

2025

伊泉龍一『スピリチュアリズムの時代 1847-1903』
ドゥ・ヴァール『サルとジェンダー』

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