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〈左から〉マリナ・イー、ワード・ランドリガン、マーティン・パー、スー・キャットウーマン、クリストフ・フォン・ウェイエ。

Photos: Getty Images

ファッションとは服だけではない。デザイナーからスタイリスト、スタイルアイコンからジュエラー、さらにはダイアン・キートンやデヴィッド・リンチといった映画界の大物まで、あらゆる分野の人が多く携わり、作り上げている業界だ。さまざまな形でファッション界に影響を及ぼし、惜しまれながら今年この世を去った15人の偉人たちの人生と功績を振り返る。

ジョルジオ・アルマーニ/ファッションデザイナー2025年にこの世を去ったファッション界の偉人たち

Photo: Fairchild Archive/Getty Images

愛車のファルクスワーゲン・ビートルを売って得た資金を元手に事業を始めたジョルジオ・アルマーニは、その後51年間にわたって自らのブランドの指揮を執り続け、ファッション界に革命を起こした。だが、一時は医学の道を目指し、ミラノの百貨店ラ・リナシェンテやニノ・チェルッティのもとでデザイナーとして働いていた。自身のブランドから展開した初コレクションはウィメンズウェアのものだったが、リチャード・ギアが『アメリカン・ジゴロ』(1980)で着たことでメンズウェアが脚光を浴び、やがてアルマーニはレッドカーペットを歩くトップスターたちの定番ブランドに。2025年時点でアルマーニはファッションを垣根を超え、ホテルや住宅、レストランも手がける一大帝国に成長している。

マリナ・イー/ファッションデザイナー(アントワープ・シックス)Image may contain Dressing Room Indoors Room Photography Adult Person Face Head Portrait Clothing Dress and Cup

2003年、ブリュッセルのアトリエでのマリナ・イー。

Photo: BELGA/Getty Images

アントワープ・シックスの中で最も捉えどころのない存在だったかもしれないマリナ・イーだが、彼女がファッションに与えた影響は否定できない。彼女のデザインは機能性と脱構築を核とし、従来の男性用の衣服を解体することが多かった。内面的な深みを持つゆえに、アートとファッションにおける自分の立ち位置に葛藤したイーは、1989年ごろにデザインの世界を離れてベルギーに移住。カフェを経営し、教壇に立ち、演劇の衣装を手がけ、他人のために働く日々を送った。2018年に東京のコンセプトショップ LAILA TOKIOとのコラボをきっかけに、2021年に自身のレーベル「M.Y.」を立ち上げ、再び創作活動を始めた。

マーティン・パー/写真家Image may contain Face Head Person Photography Portrait Beach Coast Nature Outdoors Sea Shoreline and Water

2019年、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーで開催された『Only Human』展でのマーティン・パー。

Photo: Tolga Akmen / Getty Images

1952年にサリーで生まれたマーティン・パーは、14歳にしてすでに自身のキャリアを決めていた。マンチェスター・ポリテクニック(現在のマンチェスター・メトロポリタン大学)で学んだ後、政治が民衆に与える影響を捉えるドキュメンタリー写真家として地位を確立し、80年代からは鮮やかなカラー写真を撮り始めた。仕事において大胆不敵で頑固なパーは、美しさではなく、ときに辛辣さを併せ持ちながら面白おかしく提示される真実を追求した。2014年から2017年までマグナム・フォトの会長を務め、近年ではファッションとの関わりを深め、アレッサンドロ・ミケーレ時代のグッチ(GUCCI)やルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)、ジャックムス(JACQUEMUS)などのブランドとも創作をしていた。

パム・ホッグ/ファッションデザイナーImage may contain Pam Hogg Blonde Hair Person Face Happy Head Adult Photography Portrait Laughing and Tartan

2008年のパム・ホッグ。

Photo: Dave M. Benett / Getty ImagesImage may contain Siouxsie Sioux Pam Hogg Clothing Costume Person Adult Footwear Shoe Face and Head

2007年のスージー・スーとパム・ホッグ。パム・ホッグがデザインした服に身を包んで。

Photo: Dave M. Benett / Getty Images

かつて自身を「ファッションデザイナー/ミュージシャン/映画監督/いたずら好き/失恋学博士」と称したパム・ホッグ。スコットランド生まれの彼女は、ニューロマンティック時代真っ只中にロンドンへ渡るとクラブシーンで名を馳せ、1981年からはランウェイでも頭角を現した。ランウェイでは、手縫いのラテックスのピースやスタッズをあしらったルック、政治的なメッセージで知られるようになった。一時期は音楽活動のためにファッションを離れたが、ニューウェイブの色彩感覚とパンクの精神を貫きながら復帰した。

「英国デザインの感性を定義するとしたら、それはパム・ホッグです」とスティーブン・ジョーンズは言う。「あらゆる障壁に行く手を阻まれたにもかかわらず、彼女は最初のコレクションから常に自身と自身の個性に忠実にあり続けました。彼女にとって、ファッションは生き方であり、存在意義そのものでした。それから、これは誰も言わないでしょうからあえて言いますが、彼女は素晴らしいダンサーでした。特にスパンデックスに身を包んだ彼女は素晴らしかったです」

ポール・コステロ/ファッションデザイナーImage may contain Clothing Pants Shirt Adult Person Face Head Photography Portrait Standing Art and Drawing

2016-17年秋冬コレクションのプレゼンテーションでのポール・コステロ。

Photo: Samir Hussein/Getty Images

ダブリン生まれのポール・コステロは、レインコート製造会社を営む家庭に育った。アイルランドで学業を終えると、パリのラ・シャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌ(オートクチュール組合)で学び、ジャック・エステレル(JACQUES ESTEREL)で短期間働いたのち、ミラノやニューヨークにチャンスを求め、アン・フォガティ(ANNE FOGARTY)にも一時期勤めていた。アイルランドに戻って数年後の1979年に、地元の生地を多用した自身のブランドを立ち上げ、1983年にはダイアナ元妃の専属デザイナーに抜擢。1984年以降はロンドン・ファッションウィークの常連になり、ライセンス事業で帝国を築き上げ、妻と7人の子どものうち数名も事業に携わっている。生前のインタビューでは「アイルランドのラルフ・ローレン(RALPH LAUREN)になること」がかつての願望だったと明かしていた。

メラニー・ワード/スタイリストImage may contain Karl Lagerfeld Hannelore Schroth Face Head Person Photography Portrait Accessories and Earring

一時期はカール・ラガーフェルドの名を冠したブランドのクリエイティブ・ディレクターを務めていたメラニー・ワード。写真は2006-07年秋冬ショーで撮られた1枚。

Photo: Stan Honda/Getty Images

英国出身のメラニー・ワードは、90年代と2000年代を象徴する多くのビジュアルやデザインの立役者だった。1990年にコリーヌ・デイが撮影した有名なケイト・モスの表紙も、今なお魅力が色褪せない初期のヘルムート ラング(HELMUT LANG)のコレクションも、スタイリングはワードによるものだ。ロンドンに生まれ、政治と言語学を専攻した彼女にとってもともとファッションは片手間の趣味だったが、セントラル セント マーチンズ(CENTRAL SAINT MARTINS)に通ううちに、それ以上のものへと変わった。

80年代後半に始まり、ワードのファッションとスタイルは数十年にわたって変化していった。グランジ派だった彼女は、やがてフェザーや反射テープのような形での派手さを許容するミニマリスト(ただし本人は“モダニスト”という呼び方を好んだ)へと成長。「彼女は目で見て観察することに重きを置いていました」とイネス・ヴァン・ラムスウィールドとヴィノード・マタディンは言う。「彼女のスタイリングのアプローチはじっくり見てから決めていくというもので、適当に組み合わせたり、後で考えようとすることはありませんでした。だからこそ、彼女のスタイリングには常に期待を裏切る何かがあり、けれどすべてに意味があり、彼女にとって身近で思い入れのあるものから生まれていたのです」

ダイアン・キートン/俳優ラルフ・ローレン 2024年春夏コレクションにて。

ラルフ・ローレン 2024年春夏コレクションにて。

Photo: Gilbert Flores/Getty Images

アカデミー賞に4度ノミネートされ、『アニー・ホール』(1977)で主演女優賞を受賞したダイアン・キートンは誰もが知る名優だが、彼女の影響力は映画界にとどまらず、ファッションにも及んだ。『アニー・ホール』の衣装を担当したラルフ・ローレンやジョルジオ・アルマーニの影響もあり、キートンはボーイッシュなスタイルを生涯のトレードマークにした。端正に仕立てられた服に、ほとんど帽子を欠かさなかった彼女独自のスタイリングは、彼女の独立した生き方そのものを表していた。

マリアンヌ・フェイスフル/ミュージシャン、ミューズ、スタイルアイコン

ミック・ジャガーやローリング・ストーンズとの関係や、スウィンギング・ロンドン時代経て、清純で愛らしいものから官能的なものへと変化していくスタイル。若かりしころのマリアンヌ・フェイスフルの写真を見れば、彼女ににとって音楽とファッションがいかに切っても切り離せないものだったかがわかる。

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