歌舞伎の世界を描いた映画『国宝』は、今年の日本映画として予想外の大ヒットとなった。本作は11月時点で興行収入173億7,700万円を突破し、実写邦画の興行収入歴代1位に躍り出た。本作は5月のカンヌ国際映画祭監督週間でプレミア上映され、6月に日本で封切られた。約3時間にわたる長尺にもかかわらず口コミで話題を集め、現在でも上映が続いている。
『国宝』は第98回アカデミー賞国際長編映画賞の受賞有力候補と予想されている。今秋にロサンゼルスとニューヨークで短期間公開され、2026年初頭には本格的に全米で公開されると見られる。
本作は人気作家の吉田修一の小説を原作としている。吉田は取材のために歌舞伎の舞台裏で数年間経験を積み、上下巻合わせて800ページにわたる同作を書き上げた。物語は、抗争によって父を亡くして歌舞伎の名門に引き取られた喜久雄(演:吉沢亮)と、その名門の跡取り息子・俊介(演:横浜流星)の2人を軸に展開する。
米『ハリウッド・リポーター』のレビューでは、「舞台裏のメロドラマ、継承の物語、そしてひとりの芸術家が生まれるまでの過程を見事に融合させている。野心や美しさ、そして犠牲について深く考えさせ、心を揺さぶるオペラのような大作」と評された。
本作のメガホンを取った李相日監督は、1974年に在日韓国人家庭に生まれた。90年代後半に日本インディーズ映画界で頭角を現すと、『フラガール』(2006年)で日本アカデミー賞を総なめにし、世界にその名をとどろかせた。大衆的な物語と、社会への鋭い観察眼の融合を得意とする李監督は、『国宝』と同じく吉田の小説を原作とする『悪人』(2010年)、『怒り』(2016年)などの作品で高く評価された。最近ではApple TV+の『Pachinko パチンコ』で3エピソードの監督を務め、ドラマ制作にも進出している。
李相日監督 写真:Getty
そんな李監督にとって、『国宝』は15年越しの情熱を注いだプロジェクトだった。主演の吉沢と横浜は、歌舞伎役者のもとで約2年間の厳しい稽古を受け、3カ月間の撮影に臨んだ。歌舞伎一門の当主・花井半二郎を演じる渡辺謙と、人間国宝の万菊を演じるダンサー・俳優の田中泯も、それぞれ重厚な存在感を放っている。
臨場感あふれる歌舞伎の上演シーンは、『アデル、ブルーは熱い色』(2013年)で知られる撮影監督ソフィアン・エル・ファニにより、魅惑的なクロースアップが多用されている。本作の歌舞伎シーンから影響を受け、実際の歌舞伎も再び活気を取り戻しつつある。全国の主要な歌舞伎劇場では、若い世代も含めた観客動員数が急増しているという。
米『ハリウッド・リポーター』は李監督にインタビューを行い、『国宝』を制作したきっかけや、過酷な撮影の舞台裏、本作の大ヒットがもたらした影響などを聞いた。
主演2人の抜擢理由とは――「喜久雄を表現できるのは吉沢さんだけ」
――映画の題材として、歌舞伎に興味を持たれたきっかけは何ですか?
興味を持ったきっかけは、有名な女形の6代目中村歌右衛門さんでした。卓越した技巧で「戦後最高の女形」と称され、人間国宝となった方です。彼の役者人生とプライベートの境界はほとんどなかったと言われています。彼の映像を見て、特別なエネルギーを感じました。
『悪人』を映画化した後、「歌舞伎役者を題材にした映画を撮りたい」と吉田さんに相談し、そこから吉田さんは『国宝』の執筆に取りかかりました。本作の中で中村歌右衛門さんに最も近いのは、田中泯さん演じる万菊です。原作小説が出版された後、私たちは映画化に着手しました。
――歌舞伎は、馴染みのない人にとってはどこか遠い存在で、堅苦しいものに感じられるかもしれません。初めて歌舞伎に触れる人たちにも分かりやすく伝えるという、重要な課題にどう取り組みましたか?
基本的に、歌舞伎の世界は「父から息子への継承」で成り立っており、そこにドラマチックな可能性が秘められているのです。吉田さんの原作には、「歌舞伎役者の血統を守ること」と「喜久雄のような部外者には非常に限られた機会しか与えられないこと」に対する葛藤が含まれています。
また、歌舞伎役者たちによる「美しさの追求」も普遍的に共感されやすいテーマです。役者たちは「美しさ」とどのように向き合い、舞台を降りた彼らの人生にどのような影響を与えるのか……。『国宝』は歌舞伎の物語であると同時に、限りなく高みを目指す役者のシンプルな物語でもあります。
しかし、そこには計り知れない犠牲が伴うでしょう。私が最も興味を抱いたのは、役者たちがすべてを捧げて歌舞伎を追求するほど、役者人生とプライベートの境界が曖昧になるという点です。全身全霊で歌舞伎に取り組む中で生じる試練や苦難を描くことで、時代を超えた壮大な物語を生み出せるという可能性を感じました。
――喜久雄役の候補に挙がった俳優は、吉沢亮さんだけだったそうですね。吉沢さんはなぜこれほど複雑で難しい役柄をこなせたのでしょうか?また、俊介役に横浜流星さんを選んだ理由もお聞かせください。
喜久雄役が吉沢さんでなければならなかった理由は、驚くほど美しい容姿とともに、内面的にも大きな「開放感」を感じたからです。また、彼は奥底に強い情熱を秘めています。これらの要素が合わさることで、独特の魅力が生まれているのです。喜久雄の複雑な内面を表現できるのは吉沢さんしかいないと思いました。
例えば、喜久雄が名声を失った後、旅館の屋上で酔っ払って踊るシーンがあります。ここは私が好きなシーンの一つです。吉沢さんは論理的な面をしっかり保ちつつ、ある種の「狂気」を美しく表現してくれました。喜久雄の中ではこの相反する2つの要素が葛藤していますが、外見はまるで陶器の人形のように美しいままです。
吉沢亮、『国宝』より 写真:©SHUICHI YOSHIDA/ASP ©2025″KOKUHO″ Film Partners
横浜さんはとても人間味があって愛情深いので、喜久雄と非常に相性が良いと感じました。横浜さん本人もとても勤勉で、尊敬できる方です。己の野心に従いつつ、愛らしい一面も持っていらっしゃいます。
喜久雄と俊介は同じ情熱を共有していますが、その形は全く異なります。喜久雄の情熱はまるでドライアイスのようですが、俊介は真っ赤な炎のように情熱を燃やしています。しかし、「触れるとやけどしてしまう」という点は共通しているのです。
「リアル」と「感情」の融合──圧巻の歌舞伎シーン舞台裏
――本作は本格的な歌舞伎の演技を数多く含みますが、それが物語と巧みに融合し、没入感あふれる作品に仕上がっています。映画で歌舞伎の舞台を描くにあたり、どのような点を重視しましたか?
歌舞伎には200以上の演目があります。歌舞伎という芸術を真に体験したいのであれば、実際に歌舞伎を観に行くべきです。もし本作を「歌舞伎入門」のような映画にしてしまったら、観客は物足りなさを感じたでしょう。
そのため、登場人物の物語と、歌舞伎の演目を結びつけることが非常に重要でした。取り入れる演目は「喜久雄たちの内面を最も反映しているもの」という基準で決定しました。撮影では、メイクや衣装、そして古典的な演目の奥にある「感情」を観客に感じてもらえるようにしました。
原作小説でも、この点が意識されています。例えば、作中の『曽根崎心中』における心中シーンでは、まさに喜久雄も「芸のために死ぬ覚悟を決める」という境地に至るのです。
――本作は約50年にわたる喜久雄の人生譚でもあり、各時代の細部まで美しく表現されています。街の外観が大きく変化したため、日本で50年前の物語を撮影するのは難しいでしょう。この点にはどう対処されましたか?
本作における視覚面での課題は、大きく分けて2つありました。1つ目は、歌舞伎を極めてリアルに再現すること。そして2つ目は、作中で描かれる50年間のうち、どの時代も違和感なく仕上げることです。私たちはこの2つを切り離すのではなく、融合させたアプローチを採りました。
通常、大きく異なる時代を邦画で描く場合は、昔のテレビ画面を映したり、VFXで街の外観を作ったりします。しかし『国宝』では、各時代の流れが途切れることのない、オペラのような表現を目指していました。そこで重視したのが、登場人物たちが多くの時間を過ごす「歌舞伎の舞台裏」です。舞台裏の美術に工夫を凝らし、時代の変化をさりげなく表現しました。
撮影法については、スティーヴン・ソダーバーグ監督の『トラフィック』(2000年)にインスピレーションを受けました。ソダーバーグ監督は3つの異なる色調を使い分けたのです。『国宝』では、50年という歳月を3つの時代に分け、各時代に合わせてカラーグレーディングを少し変更しています。観客が気づくか分からないほどわずかな変化ですが、潜在意識に訴えかける効果があります。もちろん、時代ごとに数百人のスタッフが携わり、髪型や衣装も変えています。
――歌舞伎の描写において、あえて劇的に脚色したシーンはありますか?それとも完全に「本物の歌舞伎」を目指しましたか?
映画の制作に取りかかった当初は、歌舞伎に関する書籍を読んだり、多くの映像を観たりして「本物の歌舞伎」を徹底的にリサーチしました。また、実際の歌舞伎の舞台にもたくさん足を運びました。
『国宝』のキャストに本物の歌舞伎役者はいませんから、専門家に指導を仰ぐ必要がありました。彼らが何を学び、どのように歌舞伎の動作を身につけるのか、私も稽古の様子を見てともに学びました。撮影現場には歌舞伎の専門アドバイザーを付け、一つ一つの動きをチェックしてもらいました。
しかし、「本物の歌舞伎」を追求する中でも、喜久雄や俊介の感情が滲み出るように意識しました。例えば『曽根崎心中』の最後のシーンで、俊介は思わず涙を流します。これは実際の歌舞伎の公演ではありえないことです。しかし、映画では彼の感情をそのまま見せる方が良いと考え、あえて自由な表現を取り入れました。
『国宝』の歌舞伎上演シーン 写真:©SHUICHI YOSHIDA/ASP ©2025″KOKUHO″ Film Partners
――女形は「男性でも女性でもない超越的な美を体現する存在」と書籍で読みました。この点は俳優たちと相談しましたか?また、このような美しさをどう追求しましたか?特に田中泯さんは、非常に魅惑的でした。
女形が「男性でも女性でもない」と言われることについて、私は彼らを「残像」や「幻」のようなものだと解釈しています。この点は非常に主観的です。すばらしい歌舞伎の舞台を観れば、女形の本質を理解できるでしょう。しかし、それを真に表現できる俳優はごくわずかで、言葉で表現するのは難しいのです。
特に、田中泯さんは身体表現にキャリアを捧げてこられた方ですから、スクリーン越しでも強い存在感を放ったのでしょう。もちろん女形としての経験はお持ちではありませんが、さまざまな舞踊の経験を通じて、「身体と魂の融合」を目指していらっしゃいます。
以下は個人的な解釈です。歌舞伎は型が重要ですが、型だけを極めると「精密な人形」のようになってしまいます。そこに魂を込めることで、真の女形になれるのです。田中さんにはそのような存在感があると思います。
『国宝』が描く芸術の境地とは――「悪と美しさは表裏一体」
――その説明を受けてもう一つお聞きしたいのは、「喜久雄の視点」についてです。本作では、喜久雄が歌舞伎の境地を極めたラストシーンを含め、要所要所で星あるいは雪のようなものが舞っていますよね。終盤のインタビューシーンでは、喜久雄自身もそれについて答えようとしています。これは、喜久雄の父親が殺害された冒頭シーンの雪を想起させているのではないかと感じました。『市民ケーン』(1941年)における「バラのつぼみ」と同じです。これは何を表しているのでしょうか?
私も言葉にするのが少し難しいのですが(笑)、確かに父親の殺害シーンは重要な意味を持ちます。喜久雄の人生において、最初に出会った「心底美しいもの」が、父親が殺害される場面だったのだと私は考えています。父親の死そのものは残酷でしたが、その場面はとても美しく、喜久雄の心に刻み込まれたのです。
あらゆる美しさは、時に残酷さを含んでいます。喜久雄が日本一の歌舞伎役者になるために悪魔と契約するシーンがありますが、これは「悪が人々を魅了する力を持っている」ということの象徴です。悪と美しさは表裏一体であり、時には悪が美しさを増長させることもあるのです。
喜久雄は役者人生を通じて、その感覚を追求しています。雪が光へと変わるあの映像は、彼にとって「美しさへの入り口」や「カーテン」のようなもので、その先に何かがあるのです。何があるのかは、言葉では言い表せません。
――多くの本作の批評では、「偉大な芸術家になるために払うべき犠牲と代償」が中心テーマと評していますが、それより遥かに形而上学的で興味深い表現ですね。喜久雄は、身近な人々や道徳観、属するコミュニティなど多くのものを失い、最終的にたった一人で芸術の頂点へと登り詰めました。しかし、善良な人は偉大な芸術家になることはできないのでしょうか?李監督の見解をお聞かせください。
善良さを保って偉大な芸術家になった人もいると思いますが、おそらく少数でしょう。しかし、芸術を追求するために必ずしも犠牲を伴うとは限りません。卵が先か鶏が先かという話になってしまいますが、喜久雄はすべてを差し置いて芸術を優先した結果、あらゆる人や物事が指の隙間から砂のようにこぼれ落ちてしまったのです。
喜久雄自身がそのことを意識しているかは分かりません。しかしこうした要素が、喜久雄の狂おしいほどの美しさを引き立てているのでしょう。
芸術家が偉大な人物を目指すことは、利己的に映るかもしれません。ところが、喜久雄が真に求めているものは異なります。彼が追求しているのは、呼吸とともに魂が解放されるような「本物の自由」なのです。
吉沢亮、『国宝』より 写真:©SHUICHI YOSHIDA/ASP ©2025″KOKUHO″ Film Partners
――その考えは、芸術家として李監督ご自身も共感できるものですか?また、本作の壮大なプロジェクトは、監督にどんな影響を与えましたか?
ここまでお話ししてきたように、『国宝』は究極の犠牲やその先にある美しさといった、ある種の「芸術の深淵」を描いています。論理を超えた美しいパフォーマンスを生み出し、人を感動させるものは何か……それは、私自身が知りたかったものでもあります。私自身はこのタイプの芸術家ではありませんが、本作を通じてその深淵に触れられるかどうか、非常に興味がありました。
李監督が『国宝』大ヒットの理由を考察
――続いて、本作が日本で巻き起こした社会現象についてお聞きします。『国宝』は、実写邦画における歴代トップの興行成績を塗り替える大ヒットとなりました。なぜ本作は日本でこれほど受け入れられたのでしょうか?また、この社会現象を李監督はどのように見ていますか?
本作がこれほど受け入れられた理由について、言葉で説明するのは難しいですが……歌舞伎役者たちの物語を通して、観客は時代を超え、彼らが犠牲を払う姿や、舞台に注ぐ情熱を目にしました。さらに、映画館の大スクリーンと迫力ある音響で体感してもらうことが重要でした。これらが口コミで広まり、単なる映画鑑賞を超える現象を生み出したのだと思います。
本作を撮ろうと思った動機は至ってシンプルで、先ほど触れた「残酷さ」も含む総合的な美しさを観客に伝えるためでした。現在の日本では、他の国と同様に経済格差が拡大しており、人と人の距離が広がっているように感じます。だからこそ、人間同士の関係性の美しさを伝えたかったのです。その意図が多少なりとも伝わり、人々の心に響いたのかもしれません。
本作の制作は長く過酷な道のりでしたが、今もまだプロモーション活動で動き回っています。本当に喜びを感じられるのはもう少し先かもしれません。
――本作の上映時間は3時間近くに上りますが、私はあっという間に感じました。それどころか、登場人物たちの物語をもっと見たいと思いました。原作小説は800ページに及ぶ大作なので、多くのシーンをカットせざるを得なかったと思います。今後、もし本作のリミテッドシリーズやストリーミング向けの続編を提案されたら、受け入れますか?
それは難しいでしょう。俳優たちはこの映画のために特別な準備とトレーニングをしてきました。彼らに再び同じ演技をしてもらう、あるいは新しい俳優を集めて同じことをするのは、無理だと思います。
しかし、もし登場人物についてもっと知りたいなら、ぜひ吉田さんの原作を読んでみてください。映画公開後、原作小説の売上は公開前と比べて4~5倍になっています。いずれ翻訳版も出版されるでしょう。
『国宝』は現在、プロモーションで世界各地の主要映画祭を巡っている。現地時間12月5日(金)と7日(日)にはサウジアラビアで開催中の第5回紅海国際映画祭で上映された。
※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。
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