2015年、神奈川県真鶴町で出版と宿泊をかけ合わせた「真鶴出版」を立ち上げた川口瞬さん。設立から10年を経た今、真鶴出版は地域に根ざし、町の文化を発信する拠点として存在感を高めています。出版業を担当する川口さんとアシスタントの山中美友紀さんは、自社刊行のほかに地域プレーヤーによる自費出版などの編集も手がけています。連載「探訪!ひとり出版社」真鶴出版編の第1回は、拠点を真鶴に決めた理由、そして一般社団法人日本まちやど協会が刊行する「日常」の編集長として、本づくりへの思いを伺いました。

真鶴出版が真鶴で始まった理由

真鶴出版は“泊まれる出版社”として、出版業と宿泊業を展開しています。なぜ、この二つの事業を組み合わせたのですか。

 偶然です。計画的に始めたわけではなくて、本をつくりたいと思っていた僕と、宿を開業したかった妻が真鶴という場所に出会いました。もともと、妻がフィリピンのゲストハウスで、宿を開業するための修業をすることになり、会社を辞めた僕も一緒に行きました。帰国後に東京ではない土地で事業を始めたいと考えていて、真鶴にたどりついたんです。

真鶴を選んだ理由を教えてください。

 当時は地方のことを知らなかったので、注目されている地域を巡ってみました。最初に真鶴町を訪れて、そのあとに地方再生のトップランナーとして知られている徳島県神山町や、移住者が増えていた小豆島、以前から気になっていた「1166バックパッカーズ」というゲストハウスがある長野県の善光寺前エリアを見て回っていました。そのときに、真鶴町役場の方から「真鶴町お試し移住体験事業」を始めると連絡をいただいて、その制度を利用して2週間住んでみたのです。そのあいだに移住を決めて、物件も見つけました。

2週間ですべてを決めてしまうほど、真鶴町に引かれるものがあったのですね。

 どの地域もそれぞれに魅力があって、決め手を見つけられずにいました。そんなときに、真鶴町のお試し移住体験事業が始まったんです。移住体験からトントン拍子に町に入っていけた感覚があって、「これはもう、真鶴にご縁があるのだな」と思いました。あと、真鶴町の“美の基準”という考え方を知って衝撃を受けたのです。1994年に制定されたまちづくり条例に基づいて真鶴町が発行している『美の基準』という冊子もあります。

『美の基準』(真鶴町)

『美の基準』(真鶴町)

 この冊子は真鶴町の美しさを69のキーワードで定義して、港町の生活風景を壊さずに受け継いでいくためのルールが示されています。このまちづくり条例のおかげで、真鶴町は高層マンションの建設が制限されて、昔ながらの町の景観が残っています。町ぐるみで、暮らしの風景の美しさを守っていく姿勢に感動しました。

生活の風景の美しさを大切にする真鶴町の姿勢は、真鶴出版の本づくりに影響していますか?

 あらためて考えてみると、影響を受けていると思います。たとえば本のタイトルを考えるときに、美の基準の冊子を見ながら考えたりしますね。美の基準は、1970年代に建築家のクリストファー・アレグザンダーが提唱したパターン・ランゲージという手法を基にしていて、独特の言葉づかいが印象的です。その言葉の選び方や表現方法には、影響を受けていると思います。もともと美の基準の理念に賛同しているので、本づくりもその考え方に沿って自然とマインドセットされている感覚があります。僕たちも生活風景が大切だと思っていて、ハレの日よりもケの日を少しずつ底上げしていくことで、暮らしを面白くしていけたらいいなと思っています。

『真鶴町 美の条例 自治体消滅時代と自治を問う』(五十嵐敬喜、三木邦之著/ほんの木)

『真鶴町 美の条例 自治体消滅時代と自治を問う』(五十嵐敬喜、三木邦之著/ほんの木)

真鶴町を盛り上げていきたいのですね。

 盛り上げたいというわけではなくて、ただ単に真鶴に暮らす住民として、この町でもっと面白いことが起きて、日々の暮らしが楽しくなればいいなと思っています。コロナ禍以降、真鶴では小商いを始める人が増えているので、そういう流れがさらに広がって “小商いの町”になったら、きっともっと魅力的な町になるだろうなと感じています。

 僕自身、真鶴の歴史や人のつながりを体感してきました。取材をしていると、思いがけないところで人と人がつながっていく。その感覚がとても面白いんです。移住して10年がたちますが、まだまだ知りたいこと、掘り下げたいことがたくさんありますね。

真鶴町には、文章に残しておきたくなるような“文学的な空気”が流れているのかもしれないですね。

 そうあってほしいなと思っています。“美の基準”という存在もそうですが、真鶴にはどこか文化的な気配があると思うんです。たとえば、日本の水彩画を発展させた画家・三宅克己さんは真鶴に暮らしていたし、最近だと「本と美容室」を運営するアタシ社が拠点を構えました。もともと文化のある土地に、美の基準に共鳴した人たちが少しずつ移住してきている流れがあると思います。

「君たちはもう“まちやど”だね」

地域の文脈で聞くと、一般社団法人日本まちやど協会が刊行している雑誌「日常」があります。川口さんはこの雑誌の編集長を務めていますが、どんな経緯で始まったのですか。

 地域をテーマにしたイベントで、当時まちやど協会の代表を務めていた方に声をかけていただいたのがきっかけです。「君たちはもう、まちやどだよね」って。まちやどというのは、町全体を1つの宿に見立てて、地域ぐるみで宿泊客をもてなして町の価値を高めていくという考え方です。地域に根ざして、“まちやど的な営み”を実践している人たちを取材しているのが「日常」という雑誌です。

一般社団法人 日本まちやど協会が刊行する雑誌「日常」

一般社団法人 日本まちやど協会が刊行する雑誌「日常」

 当初は、まちやどを紹介するカタログのような書籍をつくろうという構想がありました。ただ、その内容の書籍だと、本当にまちやどに関心がある人しか手に取ってくれないと思ったんです。そこで、“まちやどっぽくない”雑誌にしようと方向転換しました。実際、まちやどを営んでいる人たちは、「まちやどをやろう」と決めて始めたわけではなく、地域で活動を続ける中で宿が必要になって、結果的に宿泊業に行き着いたという人ばかりです。「日常」はそういう人たちのように、地域に関心を持っていて、自分の足元から何かを始めようとしている人の参考になるような雑誌にしたいと考えています。

「日常」をつくり始めてから、川口さんの地域に対する考え方に変化はありましたか?

 「日常」をつくりながら考えているのは、どんな町に住んでいても、一人ひとりが日々の暮らしを見直したら、当たり前だと思っていた町が違って見えるのではないか、ということです。「日常」をきっかけに、読者が自分の町の面白さを再発見してくれたらうれしいです。

 この思いは、真鶴出版を始めたころから変わっていません。真鶴出版では社内や地域内を中心に本づくりをしていますが、「日常」は全国のまちやど関係者と一緒につくっているところが違いますね。以前から、地域を超えて人と協働するプロジェクトをやりたいと思っていたので、これからも協働の本づくりを続けていきたいと思っています。

取材・文/石川 歩 構成/市川史樹(日経BOOKプラス) 写真/鈴木愛子

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