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特集です。先月、国際通りを中心にめぐる街歩きツアーが行われました。テーマは戦後、沖縄の人々の心を照らした「映画館」その歴史を知ると、いつもの街がちょっと違って見えてきました。
那覇の小道を列になって進む人々。一見、なんの変哲もない場所で足を止め…なにやら興味深々です。
「ここは…」
ガイドの解説を聞きながら〝あまくま”巡る街歩きツアー。仕掛人は、京都から20年前に沖縄に移住した森井雅子さんです。


うちなーあまくまてくてくプロデューサー 森井雅子さん
「ガイドさんならではの視点で街を見ることで、何気なく歩いていたいつもの何でもない風景が違って見えるとか、もっとわくわくしたものになるんじゃないか」
沖縄の中心街・那覇の街の成り立ちを振り返ると…避けて通ることができないのが80年前の沖縄戦。度重なる空襲や激しい地上戦で、街は焦土と化しました。
沖縄映画史研究家 當間早志さん「沖縄本島が戦争でボコボコにやられてしまった。 戦後徐々に作られて、新しく街が誕生したと知ってもらって、ちょっとしたドラマを感じてもらって面白さを共有したい」
今回のガイドは、映画監督で沖縄映画史の研究をしている當間早志さん。傷ついた沖縄の人々の心を癒し、戦後復興を引っ張ったのはまさに「映画館」だったと話します。
「ドラム缶とかを土台に使ったりして、見せ物が終わったら片付けるらしいんですが、そのままほったらかし状態になってそれが一種の露天劇場になった」


戦後復興を象徴する「奇跡の1マイル」、国際通り。当時は、映画館がこんなにあったんです。(地図)那覇の街を形作った映画館の跡地を巡っていきます。
當間早志さん「土がべちゃべちゃした感じ分かるかな?」
出発地点は、てんぶす前広場。戦後初めてアメリカ軍から認可を得た映画館で国際通りの名前の由来にもなった「アーニーパイル国際劇場」がありました。
當間早志さん「戦前からの実業家、高良一さんという方が常設の劇場を作りたいと」「アーニーパイルという人は従軍記者で沖縄戦のときに伊江島で戦死してしまう」「アメリカ軍にとって偉人的な人の名前を冠することで許可を得やすくした」
参加者「この道まだあったんだ」
続いて平和通りの名前の由来になった「平和館」の(1950年)入り口だった場所を通り…
県内屈指の大きなスクリーンがあったグランドオリオン(1955年)時計を持たない人が多かった中あるサービスが好評だった劇場も…(南映劇場1955年)


當間早志さん「南映劇場がここにあって、今でいうミニシアター。何時に始まって何時に終わると上映時間表があった。これが珍しかった。目覚まし時計みたいなものを置いていたのはある種新しいサービスだった」
現在ホテルが建つこの場所にあったのは「沖映本館」。兄貴分肌で多くの人に慕われていたという宮城嗣吉によって建てられました。
當間早志さん「ガーブ川が流れていて、劇場の前に橋があった。この橋は宮城嗣吉さんが自腹でつくった。彼が東京に行って配給会社と交渉して沖縄に持ちかえって分配した」
また、2002年まで営業しE.Tやタイタニックを上映した国映館(1955年)
地面の傾斜を利用して建てられた屋根のない中央劇場(1948)などを巡り、サンライズ通りをてくてく歩いて…最後にたどりついたのは桜坂にあった「珊瑚座」(1952)政治家で実業家でもある山城善光によってつくられました。


當間早志さん「崖みたいな感じだったのかな。道を整備して坂道にしてつくり直して。桜並木にして桜坂という名前にしたらいいんじゃないと提案して、実際桜の木を植えて。だから桜坂という名称も戦後誕生した。」
森井雅子さん「私欲だけではなくてきっと民衆のふさぎ込みがちだった思いを盛り上げようとか明るい街をつくろう気概があったんじゃないか」
参加者女性「国際通りを見る目が変わりました」
女の子「知らないことをいっぱい知れて、うれしかったです」
女性「国映館とかよく行ってました。( Q.最初に見た映画は?)バックトゥザフューチャーです」
男性「国際通りによく来ていた90年代の記憶と歴史が繋がったときがなるほどな、と。」
當間さんは戦後復興期を知るとともに戦争の時代にも思いを巡らせてほしいと話します。


當間さん「(戦後復興期の)素材がまだどうにか名残がある場所とかその歴史を知ることで、戦中戦前を想像する能力と知識を得られるんじゃないかな。入口というのかな。戦後復興期を学ぶということはそういうことなんじゃないかなと思っていますね」
私たちが何気なく見てきたこの場所にも、あの場所にもあった映画館。姿を消しても、戦後を生きた先人たちの思いは今もこの街に息づいています。
参加者の中には当時の映画館について覚えている人も多く、みんなで「あの映画館はこんな感じだった、誰々と映画を見た」など懐かしい思い出話にも花が咲いていた。
ツアーを企画した森井さんは、「参加者には今回知った街の魅力を友人や家族にどんどん伝えてもらい、もっと沖縄の歴史や文化に興味をもってくれる人が増えてほしい」と話していました。
街歩きツアーは様々なテーマで行われているということでくわしくは公式インスタグラムなどをご覧ください。





