女による女のためのR-18文学賞受賞作『救われてんじゃねえよ』の新鋭・上村裕香さんが挑んだ大学お笑い小説『ぼくには笑いがわからない』が12月1日に刊行いたしました。それを記念して、同賞の1年先輩である宮島未奈さんとの対談をお届けします。宮島さんの人気シリーズ最新刊『成瀬は都を駆け抜ける』も12月1日発売。ぜひ併せてお楽しみください。

取材・文/立花もも 写真/内藤貞保

■宮島未奈『成瀬は都を駆け抜ける』×上村裕香『ぼくには笑いがわからない』 刊行記念対談

宮島未奈(以下、宮島):『ぼくには笑いがわからない』は、従来の漫才小説とは一味違った読み心地ですよね。京都の大学生・耕助くんが、好きな人にふりむいてもらうため、幼なじみと漫才コンビを組むんだけど、そこでどんな漫才をするのか、漫才師をめざすのかという展開にすると、ネタがおもしろいかどうかが論点になってしまいがち。そうはさせないぞ、という上村さんの意思を感じました。この小説は、「漫才とはなにか」に向き合おうとしているのだな、と。

上村裕香(以下、上村):そもそも「笑いってなんだろう」というテーマが私のなかにあったんです。大学時代の恩師が喜劇作家で、笑いを書くということについて考える機会が多かったんですよね。耕助くんのように、頭がよすぎて周囲の感覚とちょっとズレたところのある大学生が「笑いとは何か」を真剣に考える物語にしてみたら、そのテーマを突き詰めることができるんじゃないかと思いました。だからおっしゃるように、漫才というのは物語を進行させる要素のひとつにすぎないんです。そもそも、小説で漫才を書くって、大怪我をしかねない行為じゃないですか。

宮島:そうなんですよ。

上村:宮島さんも『成瀬は天下を取りにいく』(以下、『成天』)で主人公・成瀬と幼なじみの島崎に漫才コンビを組ませてたじゃないですか。あれはどうしてだったんですか?

宮島:単純に、二人がM-1をめざしたらおもしろそうだなって。ただ、私自身、M-1が大好きで毎年観ているから、お笑いに対するまなざしがめちゃくちゃ厳しいんですよ。私が考えるネタなんて中学生レベルだから、二人の漫才としては適しているけど、そんな仕上がりで1回戦をクリアできるわけがないっていまだに思っている。だから、おもしろいと言ってくださる方が意外と多くて驚きました。M-1はこんなレベルじゃないよって私は思っちゃうから(笑)。

上村:それはやっぱり、『成天』における漫才も、物語を進行させる要素として登場するからじゃないですか? これがおもしろい漫才だぞって見せつけるのではなく、物語のなかでその二人が、その瞬間に、漫才をすることに意味があるっていう書き方を私はめざしていたのですが、『成天』でも同じように感じました。

宮島:ああ、それはあるかもしれませんね。キャラに愛着と面白さを感じてもらえているから、漫才を含めてその言動もおもしろがってもらえる。あとはやっぱり、誰と何をするかということも大事なんですよね。小説ってけっきょく、誰かと誰かが出会う瞬間と、それによってどんな道を選んでいくのかを描くものなんだなと最近、思うんです。

上村:たしかに、「成瀬」シリーズは全体的にそういうお話ですよね。悩みをもつ語り手たちが、成瀬と出会い、感化されることによって、一歩先に進むことができる。『成瀬は都を駆け抜ける』(以下、『成駆』)の第一話「やすらぎハムエッグ」はまさにその構造でした。でも、最終巻である今作では、成瀬がただ誰かを照らすだけの存在ではない、と描かれていたのが印象的でした。成瀬自身はいったい誰に照らされているんだろう、と島崎が思うシーンがありますが、シリーズ全体を貫いてきた構造を最後の最後で反転させたのがすごいな、って。

宮島:それは、書きながら気づいたことなんです。もしかしたら成瀬がいちばん孤独なんじゃないの、と。だから、成瀬自身が、誰かとの出会いによってどう感化されているかも書かなきゃなあと思ったんです。そしてそれこそが、私の小説の核でもあるんですよね。『婚活マエストロ』も『それいけ!平安部』も、出会いによって道が変わる、ということを描いた作品だから。でも、実はその構造は『ぼくには笑いがわからない』も同じなんですよね。耕助くんが百合子さんという女性に出会い、まるで興味のなかった漫才の道に転がり込んでいく。やっぱり小説そのものの真髄が「出会い」にあるんじゃないかという気がします。

上村:なるほど……。耕助くんはそもそも「知りたい」という欲求がとても強い子なので、百合子さんのことが知りたくて、彼女が大好きな笑いが知りたくて、突き詰めるうちに漫才に情熱を捧げるいろんな人たちとも出会っていくんです。その結果、相方の将吉ではなく、四郎という別のコンビを組んでいる人と漫才をすることになるんですが……。そこで放たれるネタのおもしろさや、一言一句が大事なのではなく、出会いを重ねた先で何を得たかをいかにこめられるかが大事だったんだろうな、と書き終えてみて、思います。

宮島:明示はされていないけど、耕助くんが通っているのは、成瀬と同じ京都大学なんですよね。

上村:……と、おぼしき感じにしています(笑)。

宮島:でもなんとなく、成瀬の生きている京都と耕助の生きている京都は違うような気がするんだよなあ。レイヤーが違うって言うか。

上村:ああ~~。ちょっと、わかる気がします。耕助と成瀬には出会ってほしいけど、でも、わかる!

宮島:私たちが描いているのはやはり、フィクションとしての京都なんですよ。森見登美彦さんや万城目学さんを筆頭に、小説で描かれてきた京都のイメージを私たちは総合して共有している気がするけれど、やっぱり作品ごとに差異があって、キャラクター同士がすれ違うだろうと思える人と思えない人がいる。うまく説明できないんだけど……。

上村:『成駆』では森見登美彦さんオマージュの短編「実家が北白川」も収録されていますよね。ということは、成瀬と森見作品の彼らはすれ違うんでしょうか。

宮島:……という気がするけれど。あの作品を書いた当時、実は執筆に行き詰まっていたんですよね。京都大学を舞台に小説を書くにあたって、やっぱり、森見さんの作品の影響は受けざるを得ない。上手に距離をとることができなくて、書こうとしていたエピソードがうまく進められなかったんです。だったらもう、思いきりオマージュしてしまおうと、文体も寄せてできあがったのが「実家が北白川」。黒髪の乙女というモチーフまでお借りするのはさすがにやりすぎかと思ったけれど、編集者を通じて森見さんにお伝えして、森見登美彦登場以後の京都大学に対するひとつの解釈として書かせてもらいました。

上村:実は私、北白川に住んでいたことがあるんですよ。私が通っていたのは京都大学のすぐそばにある京都芸術大学なので、「実家が北白川に!?」「小学校があるの!?」って感覚はすごくよくわかりました(笑)。

宮島:実際、北白川は閑静な住宅街だし、そこで生まれ育った人がいるのもあたりまえなんですけどね(笑)。正直、滋賀を美化しすぎたくないのと同じように、京都大学を過剰にエモさのある場所として描きたくなかったんだけど、成瀬は東大よりは京大っぽいよなあという言語化できない実感と同じように、その場所ならではの空気感というのはやっぱりある。京大生ならではの実感もおりこみつつ、やりすぎにならないよう気をつけながら書いていました。鴨川デルタはいつ行っても人がいて、なぜか夜でも明るい。暗いはずなのに「見える」。その感覚とか。

上村:わかる気がします。私も、耕助くんが東大生だったら、この小説の質感もまた違ったものになっていたと思うんですよ。大学の近所に飲み屋街があって、学部棟の地下はみんなのたまり場になっていて、鴨川デルタに行けばギターで弾き語りしている人がいて、いつから大学にいるのかわからないような先輩が話しかけてきて……っていう、京都だから許されるモラトリアム感というのが確かにあって、だからこそ描けたものがあるんじゃないかと。

宮島:独立独歩で生きられるけど、同時に、まわりに人が集まってわちゃわちゃしている感じとかね。

上村:そうなんです。耕助くんは、いろんな文献を読んで「知りたい」という探求心を突き詰めていくけれど、決してひとりで閉じこもるわけじゃない。大学の地下にあるバーや鴨川デルタに行けば、「なんやねん」って突っ込んでくれる人が必ず存在してくれている。漫才の話なのでコンビを組まねばならぬ、というのが前提だったから、どうしても一人にはなれなかったというのもあるけれど……。

宮島:でも、それほど苦労せずに誰かとコンビを組めるのも、大学生ならではという感じがしますよね。たとえば今、私がコンビを組みたいと思っても、家族に頼みこむくらいしか思いつかない。だめなところも全部さらけ出して、ぶつかっていけるような濃密な関係を結べる相方は、学生だからこそ見つけられるのかもしれない。

上村:そういえば私、大学時代に友達とお笑いオーディションに参加したことがあります。一発ギャグというか、「細かすぎて伝わらないものまね選手権」の関西予選に知り合いの伝手で参加できるよって声をかけられて。

宮島:そんなことある!?

上村:即答で「やります!」って答えたんですけど、もう全然だめでしたね(笑)。作中にも耕助くんが全然ウケずに冷や汗かくシーンがありますけど、あれは実体験。審査員って、本当に全然笑ってくれないんです(笑)。そもそも会場に行く前から友達と「行きたくない!」って怖気づいていたんですけど、そのうち小説のネタになるだろうから、やるしかないし、ウケなくても友達と二人ならそれも青春だ、みたいな気持ちでした。終わったあとも、ウケなかったけどせっかく大阪まで来たし、ご飯食べて帰るか!ってかなり清々しかったです。

宮島:すごい行動力。上村さんのそういうところが本当にすごいと思います。私、小説家の友達が一人もいなくて孤独なんですけど、上村さんだけは滋賀まで会いに来てくれたんですよね。救世主みたいな存在だなって思いました。

上村:宮島さんはR-18文学賞の後輩としてすごく気にかけてくださって、雑誌に掲載された小説の感想をSNSのDMでいただいて。その流れで「今度ランチ行きましょう!」って言ってくださったのを、社交辞令と思わず本気で受け止めて滋賀まで行ってしまいました(笑)。

宮島:その行動力は私にないものなので尊敬します。それに、上村さんの小説はちゃんとしているんですよね。構造がしっかりしていて巧いなあ、といつも唸らされます。なんていうんだろう、緻密な設計図に基づいて構築されている感じ。私の小説は「なんでそこに柱が5本あるの?」ってハチャメチャさを、勢いで「そういうもの」っぽく見せているだけだから……。

上村:それでいうと、私の小説は読んだ人が分析して模倣しやすいものだと思うんですよ。でも、宮島さんの小説は誰にもまねできない。だって、なんでそこに柱が5本立っているのかわからないんだから。それでいて、そこには確かに5本なきゃいけなかったんだ、という必然性と説得力がある。その分析できない魅力やパワーは私には生み出せないから、やっぱり天才の所業だなあといつも圧倒されます。

宮島:よく言えば、ね(笑)。私がR-18文学賞を受賞した次の年に上村さんが受賞したからといって、連続で読むとショックを受ける人がいるんじゃないかと思うくらい、私たちは芸風も全然違いますよね。たとえるなら『となりのトトロ』と『火垂るの墓』くらい違う。

上村:同じ時期に、同じジブリでつくられているのに(笑)。

宮島:だから今日、対談に呼んでいただけてとても楽しかったし、刺激になりました。それでもお笑いと京都みたいに通じるところも確かにあると感じられたのも、おもしろかった。やっぱり、読者のみなさんには、比較して2冊とも読んでもらうのが楽しいかもしれませんね。

上村:ぜひそうしていただきたいです。今日は本当に、ありがとうございました!

KADOKAWA カドブン

2025年12月09日 公開 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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