高倉 嘉男

インド映画はなぜ唐突にダンスシーンが差し込まれるのか。インド映画研究家の高倉嘉男さんは「基本的に歌詞を映像化したもので、制作陣の想像力や空想力がふんだんに盛り込まれている。観客は、スクリーン上で起こっていることを全て現実だと捉えずに、詩的な心で見る必要がある」という――。


※本稿は、高倉嘉男『インド映画はなぜ踊るのか』(作品社)の一部を再編集したものです。


家族や友人は新郎新婦と踊ります

写真=iStock.com/Mayur Kakade

※写真はイメージです



急に始まるインド映画のダンスシーンの謎

日本を含む海外の観客がインド映画のダンスシーンについて唐突な印象を受けるのは、ダンスシーンへの移行だけが原因ではないだろう。もうひとつの大きな原因は、ソングシーンやダンスシーンになると場面も転換してしまい、本編とは関係ないバックダンサーまで登場して踊り出すことだ。


ソングシーンやダンスシーンになると急に場所が飛ぶというのは、インド映画によく見られる現象である。


たとえば、ムンバイを舞台にしたラブストーリーだったのに、男女が両思いになった途端、どこからともなく音楽が流れ始め、いつの間にか舞台がスイスの風光明媚な山岳地帯に移り、ヒーローとヒロインがロマンティックな歌を歌うソングシーンになっていた、という流れだ。


そして、ソングシーンが終わるとまた舞台はムンバイに戻る。また、ソングシーンやダンスシーンになると、本編とは関係ない人々がワラワラと現れてヒーローやヒロインの後ろで踊り出し、曲が終わると何事もなかったかのように消え去るというのもインド映画ではよくあることである。


世界的に有名な場所で踊りまくる

何かあったら踊り出すのはインドの現実だが、さすがにヨーガ発祥の地インドといえど、インド人にそのような瞬間移動能力はないし、人口世界最大の国インドといえど、街中に大量のフラッシュモブが常時スタンバイしているわけでもない。


インド映画のソングシーンは基本的に歌詞の映像化である。歌詞には作詞家の旺盛な想像力が盛り込まれる。そして、その歌詞の映像化にも、コレオグラファーや映画監督の空想力が上乗せされる。


ソングシーンを鑑賞する際には、現実と空想の境界線を曖昧にし、スクリーン上で起こっていることを、いちいち全て現実だとは捉えずに、詩的な心で見る必要がある。そうしないと映画の中で迷子になってしまう。


スイスの雪山くらいだったら、何となく綺麗な場所だな、くらいしか感じないかもしれないが、クフ王のピラミッドやマチュピチュなど、完全に特定できる世界的に有名なロケーションでスポット的にソングシーンが撮影されることも多い。


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