中・高・大と映画に明け暮れた日々。あの頃、作り手ではなかった自分がなぜそこまで映画に夢中になれたのか? 作り手になった今、その視点から忘れられないワンシーン・ワンカットの魅力に改めて向き合ってみる。
文●武 正晴
愛知県名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後フリーの助監督として、工藤栄一、石井隆、崔洋一、中原俊、井筒和幸、森崎東監督等に師事。『ボーイミーツプサン』にて監督デビュー。主な作品には『百円の恋』、『リングサイド・ストーリー』、『銃』、『銃2020』、『ホテルローヤル』等がある。ABEMAと東映ビデオの共同制作による『アンダードッグ』が2020年11月27日より公開され、ABEMAプレミアムでも配信中。現在、NETFLIXでオリジナルシリーズ『全裸監督』シーズン2が配信中。2024年10月25日よりアマゾンPrime Videoで『龍が如く〜Beyond the Game〜』が全世界同時配信!


イラスト●死後くん
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製作年 :1952年
製作国:日本
上映時間 :130分
アスペクト比 :スタンダード
監督:黒澤 明
脚本:黒澤 明/ 橋本 忍/ 小國英雄
製作:本木莊二郎
撮影 :中井朝一
編集 :岩下広一
音楽 :早坂文雄
出演 :志村 喬/ 小田切みき / 藤原釜足 / 千秋 実 / 左 卜全 / 金子信雄ほか
市役所で働く真面目な課長・渡辺は、ある日、自分が胃癌であり余命わずかであることを知る。形式主義に縛られた職場で無気力な日々を送っていたが、市民から提出された公園建設に関する陳情書に目を留める。自らの人生を悔やみ始めていた彼は、最後に市民のために奔走する。
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6月7日、宮崎県の延岡を初めて訪れた。生誕120周年特別展 「映画俳優 志村 喬〜延岡での足跡と俳優人生〜」が開かれていたからだ。志村 喬は旧制中学の4年間を延岡で過ごしていたと初めて知った。展示されていた延岡時代の写真や、本人自前のシナリオや黒澤 明監督が原稿用紙に書いた志村 喬への「主演の心構え」に言及した手紙の文言を目に焼き付けた。主演した『生きる』の世界各国のポスターの数々も初めて見るものばかりだった。
雪の中のブランコに乗った志村 喬の大きなパネル写真の前で立ち止まる。黒澤 明監督がこの世のものとも思えない声で歌ってほしいと指示した、「ゴンドラの唄」がパネル前のスピーカーから繰り返し流されていた。
どう生きるかを少し考えるきっかけになった
初めて『生きる』を見たのは高校3年の1月25日、ゴールデン洋画劇場のTV放映だった。両親が懐かしそうに見ていた。黒澤 明監督『用心棒』『椿三十郎』『隠し砦の三悪人』『七人の侍』を僕は洋画劇場のTV放映で見ていた。三船敏郎が活躍する活劇時代劇が楽しかった。『生きる』は『七人の侍』のリーダー島田勘兵衛役で覚えていた志村 喬が主役。三船敏郎が出ない現代劇だった。あの武人・勘兵衛と同じ人とはまるで見えなかった。何かが違った。2カ月後に高校を卒業して、この先のことなど微塵も考えたことがない僕が、どう生きるかを少し考えるきっかけになった。
映画は胃のレントゲン写真から始まる。ナレーションがこの主人公がもうすぐ死ぬことを予感させる。「この男について語るのは退屈である。何故ならこの男は時間を潰しているだけで、生きているとは言えない…」とまん丸目玉のぶ厚い唇の渡邊勘治課長がナレーションで紹介される。美術装飾部が準備したものすごい数の束ねられた書類の山に囲まれている市民課のセットに驚愕する。課長席で判子を押し続けている課長さんの姿がユーモラスだ。千秋 実、藤原釜足、左 卜全、が同じ課にいるのが嬉しくなる。
余命わずかなことを目玉で表現
病院で自分の余命がわずかなことを知った課長の深淵を志村 喬がまん丸の目玉で表現する。課長さんはシングルファーザーだ。妻を若くして亡くし、ひとり息子を大事に育ててきた。息子役が若き金子信雄。「仁義なき戦い」のクソ親分もこんな可愛い二枚目だったのかと驚いた。回想シーンは志村 喬が若い時代と今を演じ分ける。当時47歳の志村 喬が一生一代の勝負を見せてくれる。
志村 喬の鬼気迫る表情に圧倒される
美味くない酒に走る課長さんは無頼派の小説家と出逢う。水木しげるの漫画に出てきそうな、顔が長い、優しい目をした俳優が見事に演じていた。両親が「伊藤雄之助だ。亡くなったんだろう」と頷き合っている。『太陽を盗んだ男』のバスジャック犯役と同じ俳優だと後で気づく。
それから今日に至るまで伊藤雄之助の大ファンになった僕は彼の出演作品を追っていく。「なんとも、その、つまり……」と生きてこなかった主人公がどう金を使っていいのかも分からないと嘆く。「私がメフィストフェレスを演じましょう」とパチンコ、ストリップ、キャバレー、バーと課長さんを連れ回す。黒澤 明監督は市役所とはまるで異なる都会の深淵を見せつける。キャバレーのセットに本物のホステス250人を詰め込んでの危険な密集状態がすごい。初めての宵越しを志村 喬の鬼気迫る表情に圧倒される。
志村 喬に台詞はいらない
朝帰り、課長さんは市民課唯一の女性、小田切とよ、と出くわす。役名から芸名をいただいた小田切みきが天真爛漫に好演。黒澤 明監督がオーディションで左 幸子ではなく彼女を選んだ演出力。『ケンちゃんチャコちゃん』のチャコちゃんの本当のお母さんよ、と母親が教えてくれる。確かに似てる。伊藤雄之助の次に小田切みきが、生きる指標を照らす。
課長さんは問う。どうしたら君のように天真爛漫に生きれるのかと。市役所を辞めて、おもちゃ工場で汗を流して働く彼女が、おもちゃのウサギを見せて「課長さんも何かつくってみたら」という喫茶店のシーンが僕に深く残った。志村 喬に台詞はいらぬ。まん丸目玉で表現する。絶望、喜び、悲しみ、憂い……。人間生きている証は目ん玉だぞと言わんばかりの目玉演技。目をカッと開きウサギのおもちゃを抱え階段をかけ降りるその背後で学生客のハッピーバースデーの合唄。
“回想の橋本”の真骨頂
「まだ遅くない」と休んでいた市役所に戻る渡邊課長。輝きを取り戻した主人公に早坂文雄のハッピーバースデー劇版が奏でられ、感動してしまう。が、突如その5カ月後の課長のお通夜のシーンに。この発明、脚本家橋本 忍の閃きだという。通夜のシーンで渡邊課長が下水溜まりを埋め立てて公園を創った軌跡が語られていく。“回想の橋本”の真骨頂だ。
後の『砂の器』でもその剛腕ぶりが伺える。敵役の助役、中村伸郎、市民課の「役所には縄張りというものがありましてね……」の田中春男、「全ては偶然だよ……」の千秋 実、「分からないんだなあ……」の左 卜全。次期課長の藤原釜足、渡邊課長の偉業を涙ながらに讃える日守新一等、名優たちの演技合戦を裁く黒澤演出が堪らない。左 卜全の「馬鹿野郎!」には笑った。誰も真似できない。
「生きる」とは何かを世界中の人に見せつけた
雪の公園でブランコに揺られての志村 喬の唄声は息遣いそのものだ。真夏に撮影されたセット撮影の中、コートに身を包み、汗ひとつかかず、あの目玉の中に「生きる」とは何かを世界中の人に見せつけた俳優、志村 喬に感謝だ。
延岡出身の脚本家、港 岳彦さん作「光を託された男、志村 喬」が1日限りで上演された。志村 喬と妻、政子の物語を宮崎、延岡の演者達が現在と夫妻を繋ぐ素晴らしい舞台だった。『生きる』公開初日に妻政子が駆けつけ、映画の冒頭一枚タイトルで志村喬のクレジットが出て以降、涙でスクリーンが観れなかった。という場面に僕も舞台が霞んで困った。舞台上にブランコが登場した時には堪らずもう駄目だった。
後ろの席から「意外と面白かったな」と。高校生達が志村 喬と『生きる』を知る1日になったことが嬉しかった。舞台が幕を閉じ、港さんと関係者に感謝を伝えようと席を立った。
●VIDEO SALON 2025年7月号より転載





