2025年12月9日更新

2025年12月12日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー

コロナ禍で味わった閉塞感と不安感が、この映画には充満している

「ヘレディタリー 継承」以来のアリ・アスター監督ファンは、とまどうかもしれない。というのも、長編第4作の「エディントンへようこそ」は、アレックス・ガーランド監督の「シビル・ウォー アメリカ最後の日」と同じくらい政治的な色彩が濃い映画だからだ。

舞台となるニューメキシコの架空の町エディントンは、分断国家アメリカの縮図だ。そこでは、コロナ禍のマスク着用をめぐり、データセンターの建設をめぐり、ブラック・ライブズ・マター運動をめぐり、意見をたがえる人々が分断されていく。その意見対立が議論の方向に向かわず分断に向かって突っ走るのは、両派の意見の根拠がネットのききかじり程度の曖昧なものにすぎず、議論が成り立たないからだ。反マスクを掲げて市長選に立候補する保安官(ホアキン・フェニックス)は、マスク着用の規則に従う市民に向かって「あなたは操られています」と呼びかける。ブラック・ライブズ・マター運動の闘士は「警察とKKKはグルだ」をスローガンに掲げ、それらしき動画をネットに拡散する。さらに、保安官の妻が信奉するカルト集団のリーダー(オースティン・バトラー)は、児童人身売買の陰謀論を垂れ流す。

画像1

この映画が特徴的なのは、これらの登場人物が等しく嘲笑の対象として扱われていることだ。保守もリベラルも、陰謀論者も活動家も、真偽不明の情報や思想を拡散させるエゴイストとして描かれていて、誰ひとり共感を誘わない。現場取材を重んじるオールドメディアのジャーナリストに軸足を置き、彼らの視点でアメリカの分断を描いた「シビル・ウォー」とは、この点が大きく異なっている。

もうひとつの特徴は、撮影監督にダリウス・コンジを迎えて西部劇スタイルで撮影された映像が、オールロケであるにもかかわらず閉塞感に満ちていることだ。コロナ禍で我々が味わった閉塞感と不安感が、この映画には充満している。ステイホームを強いられ、孤立し、自分の考えを正当化できる情報を探しまわってネットの大海にどっぷりと浸かった当時の空気が――。いま振り返れば、それが2020年という年だった。そして、アメリカでは、不安と恐怖をあおる情報の海の中から二期目のトランプ大統領が誕生していった。「エディントンへようこそ」は、そんな時代を物語る映画として歴史に名を遺すかもしれない。

(矢崎由紀子)

Leave A Reply
Exit mobile version