ノア・バームバックがジョージ・クルーニーをキャストに迎え、映画スターとしての輝きと栄光、家族との断絶、そして人生の後悔を描いたNetflix映画『ジェイ・ケリー』を解説・レビュー。
Netflix映画『ジェイ・ケリー』は、世界的映画スターとして長年輝き続けてきたひとりの男が、栄光の裏側で見ないふりをしてきた“過去”と向き合う物語だ。
ノア・バームバック監督らしいユーモアと痛みが同居した語り口によって、セレブの私生活という枠を超え、誰もが抱く「もし人生をやり直せたなら」という切実な想いに寄り添う作品になっている。
本記事では、映画の見どころ、テーマ、そしてキャストの魅力を、じっくりとレビューする。
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映画『ジェイ・ケリー』は一部地域で劇場公開され、2025年12月5日よりNetflixにて配信中。
Netflixで独占配信されるバームバック監督作品としては、『マイヤーウィッツ家の人々』、 『マリッジ・ストーリー』、『ホワイト・ノイズ』に続く4作目となる。
☟ノア・バームバックの過去作についての記事はこちら
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目次
Netflix映画『ジェイ・ケリー』あらすじ(ネタバレなし)

Netflix配信映画『ジェイ・ケリー』(C)Netflix
(短縮版)
世界的映画スターのジェイ・ケリー(ジョージ・クルーニー)は、ある日、かつて自分にチャンスを与えた監督の訃報を知らされる。葬式をきっかけに忘れようとしていた“過去”がよみがえり、ジェイは家族、とりわけ疎遠になった娘との関係を見つめ直すため、突発的にイタリアへ向かうことを決意。
マネージャーやスタッフを巻き込みながら、スターとしての顔と、父としての顔の間で揺れ動く旅が始まる。過去と現在が交錯する中で、ジェイは自分が傷つけてきた人々と再び向き合うことになるが——。
(より詳しいあらすじ)
ハリウッドのスター俳優ジェイ・ケリー(ジョージ・クルーニー)は、最新作の撮影を終え、末娘が大学に行く前に一緒に過ごす時間を楽しみにしていた。しかし、娘は友人たちとのヨーロッパ旅行の計画を優先し、ジェイをがっかりさせる。
そんな折、友人であり恩師である監督のピーター・シュナイダー(ジム・ブロードベント)が亡くなり、ジェイは複雑な気分で葬儀に出席した。なぜなら、かつてピーターから映画の資金集めのために名前を貸してほしいと頼まれた際、けんもほろろに断った記憶が蘇ったからだ。
葬儀後、ジェイは昔の演劇学校の同僚であるティモシー(ビリー・クラダップ)と再会。酒を酌み交わすうちに、ティモシーがジェイへの長年の恨みを告白したことで、暴力沙汰に発展してしまう。かつてジェイは、ティモシーがもしかしたら得たかもしれない役を奪い、愛した女性まで奪っていたのだ。
こうした出来事がジェイの心を揺さぶったのか、彼は次回作をドタキャンし、マネージャーのロン(アダム・サンドラー)、広報担当のリズ(ローラ・ダーン)等、いつものチームと共にヨーロッパ旅行に出発する。
トスカーナで開催される芸術祭で生涯功労賞を受け取りに行くのを口実に、娘の旅先で偶然の出会いを演出しようというのだ。だが、この旅が、これまでジェイに忠実だった周りの人々の仕事に関する意識を少しずつ変えて行く。大勢のファンに囲まれながらも、ジェイは自分がひとりぼっちであることに気が付き・・・。
Netflix映画『ジェイ・ケリー』作品基本情報
邦題:ジェイ・ケリー
原題: Jay Kelly
ジャンル:ヒューマンドラマ
監督:ノア・バームバック
脚本:エミリー・モーティマー、ノア・バームバック
音楽: ニコラス・ブリテル
製作国:アメリカ
製作年:2025年
上映時間:131分
配信プラットフォーム:Netflix (2025年12月5日より配信)
キャスト:ジョージ・クルーニー、アダム・サンドラー、ローラ・ダン、ビリー・クラダップ、ライリー・キーオー、グレイス・エドワーズ、ステイシー・キーチ、ジム・ブロードベント
Netflix映画『ジェイ・ケリー』感想とレビュー
(ネタバレは気を付けているつもりですが気になる方は作品をご覧になってからお読みください)
完璧なスター、ジェイ・ケリーの光と影

Netflix配信映画『ジェイ・ケリー』(C)Netflix
映画は巨大スタジオセットでの撮影シーンから始まる。スタッフの他愛無い会話から、雨を降らす装置の確認など、本番に備えて大勢の人々が行きかう姿が、素晴らしいワンテイク撮影で捉えられている。
最後に登場するのが主役であるジェイ・ケリー(ジョージ・クルーニー)だ。彼は35年もの間、世界中の人々を魅了して来た映画スターで、ここでは何もかもが彼中心に回っている。彼がもうワンテイクやらせてほしいと言えば、監督だって簡単に断ることはできないのだ。
そんなある日、ジェイ・ケリーはかつて彼にチャンスを与えてくれた監督ピーター・シュナイダー(ジム・ブロードベント)の訃報を聞かされ、恩人である監督の最後の頼みに断固として耳を貸さなかった過去を思い出す。
ここで映画は現在から過去の一シーンへと移ってその詳細を見せる。本作ではこのようなフラッシュバックが何度も繰り返されるが、ジェイ・ケリーの視線の先に、ごく自然に過去の一場面が現れ、現在から過去へ、彼はシームレスに移動する。その流れは演劇的で美しく、観客は彼の内面世界にスムーズに誘われるのだ。
葬式の帰りに演劇学校時代の仲間、ティモシー(ビリー・クラダップ)と出会ったジェイは一緒に酒を飲みかわし思い出話に花を咲かせるが、ティムが彼のことを憎んでいると口にすると、事態は暴力沙汰に発展してしまう。その昔、ジェイはティモシーが受けるオーディションに付いていき、代わりにジェイが選ばれてしまっただけでなくティモシーの彼女まで奪ってしまったのだ。そのことを全くなかったかのように振る舞うジェイがティモシーは許せなかったのだろう。
ジェイ・ケリーは魅力的な男だが、他者への思いやりにかける自己中心的な性格の持ち主でもあるのだ。
イタリアへの旅:自己修復と周囲の疲弊

Netflix配信映画『ジェイ・ケリー』(C)Netflix
こうした出来事が彼の心になんらかの変化をもたらし、彼はクランクイン目前の作品の出演をキャンセルし、パリからイタリアに卒業旅行中の娘デイジーを追いかけると言い出す。
娘が嫌がるだろうというマネージャーのロン(アダム・サンドラー)のまっとうなアドバイスも完全無視だ。トスカーナ芸術祭の功労賞の授賞式があるから丁度いいだろうとジェイは言うが、彼が功労賞なんて欲しくないと言ったせいで一度断っているのだ。ロンは再び、芸術祭に連絡を取らなくてはならない羽目になる。
ロンだけでなく、広報担当のリズ(ローラ・ダーン)、美容師のキャンディ(エミリー・モーティマー)といったスタッフたちも誰もが予定を変更させられ、てんやわんやだ。一向は、イタリアに着くとトスカーナ行きの二等列車に乗り込む。勿論、その列車にデイジーが乗車しているからだ。
大スターとのまさかの遭遇に乗り合わせた人々は興奮し、ジェイはファンサービスに徹し、スターの貫禄を示す。が、一方、デイジーからはストーカーなのかと冷たくあしらわれ、さらにスタッフたちも次第にこのスターという名の大きな子どもの相手をすることにうんざりし始める。映画スターとしての彼を迎える一般の人々の熱狂と、彼をよく知っている取り巻きの人々の対応の落差がなんとも物哀しい印象を残す。
そんな中、ロンだけは振り回されながらも、ジェイを支え続けるのだが、彼もまたこの旅行中、大きな子どもを相手することに追われるあまり、自身の家族を犠牲にしている事実に直面することになる。
ジェイはデイジーとはまだ、かろうじて父と娘の関係を維持しているが、長女のジェシカとは、関係が修復不可能なまでに壊れてしまっている。それは彼が彼女よりも仕事を優先させ続けて来たからだ。彼女が自分の苦しみを訴えても、彼は耳を貸そうともしなかったのだ。今さらジェイがどんなに誠意を示しても、彼女の傷を癒すことはできないのだ。
過去への場面の転換で彼が愛する人々をいかに傷つけて来たかが描かれるが、それはジェイの視点でもあり、彼は、初めて自分自身の過ちをまっすぐ見つめることになる。ところがさらに彼は懲りずに人を傷つけるのだ。彼を献身的に支えて来たロンに対して、「自分の稼ぎの15パーセントを取る“友人”」という皮肉をぶつけるのだ。
勿論、彼らはビジネスパートナーである。だが、ジェイの我儘の肩代わりをしながらずっと彼を支えて来たのは当然お金の問題だけではない。「友情」と「愛情」があったからこそではないか。同じ目標に向かう同志であるともロンは自負していただろう。彼は度々、自分たちは「家族」だと口にしていたし、その言葉はただの誇張ではなかったはずだ。
監督のテーマと俳優の魅力:普遍的な「やり直し」の願い

Netflix配信映画『ジェイ・ケリー』(C)Netflix
アダム・サンドラーといえば、「キレ芸」が持ち味のコメディアンでもあり、役者としてもポール・トーマス・アンダーソンの『パンチドランクラブ』や、ノア・バームバックの『マイヤー・ウイッツ家の人々』などで、その持ち味を存分に発揮していたが、本作では彼は「キレ」ず、ただ静かに傷つき、時に涙ぐむ。心優しく暖かいマネージャーの心の揺れを絶妙に演じている。
その後ジェイが謝罪し、ロンがジェイのメイクを担当する場面はふたりの長年の阿吽の呼吸が感じられ、実に感動的だ。
ノア・パームバックはこれまでも「家族の不和」、「親子の断絶」を度々主題にして来た。前述した『マイヤー・ウイッツ家の人々』も、自分自身のことしか考えられない父親に育てられた三人の子供たち(といっても皆、もうそこそこいい年になっているのだが)の悲哀を描いた作品だったし、両親の離婚は母親のせいだと母を憎んでいた長男が、思い出の場所にいつも父がいなかったことに気づく『イカとクジラ』など、傷ついた子供たちを主役にして来たが、本作では家族を傷つけて来た「父親」の視点で描いているのが新鮮である。
途中で登場するジェイの父親もまたジェイの晴れ舞台を見てほしいという願いも無視して去ってしまうような自己本位の人間として描かれている。ジェイは父親と自分はまったく似ていないと考えているようだが、傍から見ていると負の連鎖に見えなくもない。それでも、ジェイが自分の過去を振り返り、事態にまっすぐ目を向けたことは大きな前進のように思える。
映画『ジェイ・ケリー』は、一見、セレブの私生活を覗いた特殊な物語のようにも見えるが、その奥底には誰もが心の中に密かに持つ「人生をやり直せないだろうか」という普遍的なせつない思いが込められているのだ。
スターと観客の絆、人生を見つめ直す旅路の果てに

Netflix配信映画『ジェイ・ケリー』(C)Netflix
ジョージ・クルーニーは、往年のスターであるケイリー・グラントや、クラーク・ゲーブルにも匹敵するカリスマ性と深みを備え、映画スターの華やかさを存分に放つと共に、ひとりの人間が抱える憂鬱や後悔といった迷える心の内を実に繊細に表現している。
なによりも興奮したのは、トスカーナの映画祭でジェイの功労賞の発表の際に流れるVTRだ。そこにはジョージ・クルーニーの過去の出演作が、次々と登場し、私たちを驚かせる。
『ER緊急救命室』、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』、『マイレージ、マイライフ』、『ピースメイカー』、『シン・レッド・ライン』、『アウト・オブ・サイト』、『スリー・キングス』等々・・・。
これらはメタ的な面白さを感じさせると共に、私たちがいかにこれまで映画に魅せられてきたか、スターに魅せられてきたかという事実を改めて思い出させてくれる。映画を観ている自分の顔を私たちは観ることができないが、きっとこのシーンで映し出されている人々と同じような表情で、毎回、スクリーンを見つめているに違いないのだ。
ジェイ・ケリーが映画で多くの人を幸せにして来たという事実、彼の映画スターという唯一無二の人生に大きな価値があったことは誰も否定できないだろう。
本作はそういう意味でも実に複雑な人間の姿を描いていると言えるだろう。
映画『ジェイ・ケリー』は栄光や賞賛、名声や財産をすべて手に入れながら、本当に大切なものを持っていないスターのポートレイトであり、栄光と後悔の複雑な交錯を描いた泣き笑いの物語なのだ。

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