
高校時代、白紙答案を機に不良の道へ
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どちらかと言うと、学校の勉強は嫌いでしたが、成績は普通でした。親から「勉強しなさい」と言われたこともありません。国語が最も好きで、特に作文とか文章を書くことは得意でした。絵を描くのも好きで、それが今の仕事にもつながっています。ほかに得意だったのは、英語と世界史。母親のDNAを受け継いだのか、記憶力が良かったのです。ですから、テスト前に丸暗記するのが常でした。音楽の成績は普通でしたね。歌うのは好きで、自分で言うのも変ですが、上手でした。でも、譜面が読めなかったから、成績は特に良くありませんでしたね。
郷土のヒーロー、柳葉敏郎さんの母校でもある、地元の進学校の角館高校に進学希望でした。そのために親が家庭教師をつけてくれました。それまでは我流で丸暗記するだけでしたが、教わるようになって、成績が急激に伸びました。偏差値は角館高校に行けるレベルに達していましたが、担任の教師は「真奈美ちゃんは角館南高校に行った方が良い」という考えでした。ギリギリの成績で入学して角館高の下位にいるよりも、南高でのびのびとした方が良いと、私の両親を説得したのです。その後、2014年に角館高校と角館南高校は統合して、現在は角館高校になったそうですが、当時は女子校だった角館南高校に進学しました。
女子校は独特の雰囲気があります。4、5人の仲良しグループが自然発生的にできました。家もすぐ近くの加奈子ちゃんとは幼なじみで、ずっと一緒。いまだに仲良くしてもらっています。彼女と秋田市内の木内デパートに行き、誕生日のプレゼントに星の形をしたイヤリングを買ったり…。高校生になると行動範囲が急激に広がりました。部活動には入らず、もっぱら友達のグループで遊んでいました。
そして2学期。高校に入っても、テスト直前に教科書などを丸暗記して、付け焼き刃的な勉強法でテストに臨んでいました。古文のテストの時でした。一夜漬けで覚えてきた範囲でない部分から問題が出されていました。今思うと、どうしてそんなことをしたのか自分でも分かりません。中途半端に悪い点を取りたくないと思ったのでしょうか。あろうことか、白紙で答案用紙を提出してしまいました。
当然、ものすごい勢いで教師から怒られました。職員室に呼び出されて「(白紙解答は)学校が始まって以来、初めてのことです。あなたは、一体どういうつもりなのですか?」と徹底的に問い詰められました。その瞬間、何かプツンと糸が切れた感じがしました。それまで歩いていた優等生のラインから外れたなと感じました。いわゆる、不良の道をまっしぐらという感じです。一応、学校には行きますが、午前中にお弁当を食べたら勝手に帰ってしまう、自由な態度。スカートの丈も長くなりました。なぜかテストの点数だけは良く、硬派なお嬢様不良になりました。
◇藤 あや子(ふじ・あやこ)1961年(昭36)5月10日生まれ、秋田県角館町(現・仙北市)出身の64歳。民謡歌手として活動後、87年に村勢真奈美の芸名で「ふたり川」でデビュー。89年、藤あや子に芸名を変え「おんな」で再デビュー。92年「こころ酒」で日本有線大賞を受賞、第43回NHK紅白歌合戦に初出場、21回出場している。新曲「想い出づくり」など「小野彩(このさい)」のペンネームで作詞・作曲も行う。
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