売れ筋の新書や文庫を並べた雑誌棚脇の平台に平積みで展示する(紀伊国屋書店大手町ビル店)

売れ筋の新書や文庫を並べた雑誌棚脇の平台に平積みで展示する(紀伊国屋書店大手町ビル店)

本はリスキリングの手がかりになる。NIKKEIリスキリングでは、ビジネス街の書店をめぐりながら、その時々のその街の売れ筋本をウオッチし、本探し・本選びの材料を提供していく。

今回は、定点観測している紀伊国屋書店大手町ビル店だ。ビジネス書の売れゆきは、前年が休業期間中で比較はできないものの、好調に推移しているという。そんな中、書店員が注目するのは、直木賞作家が小説を書くときに考えていることを、タイトルに「言語化」という言葉を入れて可能な限り言葉にした本だった。

小説が生まれる瞬間の思考の動きとは

その本は小川哲『言語化するための小説思考』(講談社)。新書判の本だが、講談社現代新書といった新書シリーズの一冊ではない。著者の小川氏は2023年に『地図と拳』で直木賞を受賞した作家だ。しかも書かれているのはひたすら小説を書くことをめぐる思考だ。それなのにビジネス街に立地するこの書店でよく売れているという。

売れている理由はタイトルにある「言語化」の一言がビジネス街の読者に刺さったためだろう。「言語化」は最近とみに関心の高いビジネススキルだ。シンプルで文字だけをデザインした装丁には、派手なピンク色の帯が巻かれ、作家らの推薦の言葉が並ぶとともに〈「伝わる」言葉を生み出す”革命的”思考法!〉〈「技術」ではない、「考え方」の解体新書。〉といったコピーがさりげなく目に入る。

それにしても「言語化」という言葉がタイトルに入っているからといって、作家の創作術からビジネスパーソンは何を読み取ろうとしているのだろう? あるいは「小説が生まれる瞬間の思考の動き」を捉えようとする試みから何が読み取れるのだろう?

まえがきで著者は最初から断っている。「本書は最初から最後まで『小説』について書かれている」。だが、「とはいえ」と続けて「小説に興味のない人にも読んでもらいたい。小説家が小説について考えてきたことを人生にどう活かすか、あなた自身で見つけてくれれば言うことはない」とも言う。

アイデアは「見つけるもの」

例えば「アイデアの見つけ方」という章がある。「アイデアは生み出すものではなく、見つけるもの――すなわち『視力』である」。こんな考え方が披露されている。とりあえず書き始め、執筆中に「書いてしまったこと」から「新しい視点」を見つけていく、そんな思考法だ。

アイデアを出すことに課題感があるビジネスパーソンなら、こんな箇所がちょっとしたヒントになるかもしれない。

「なぜ僕の友人は小説が書けないのか」という章では、最初に考えるべきなのは、主張や設定ではなく、「書いてみたいこと」や「考えてみたいこと」だと言う。「言い換えれば、大事なのは『答え』ではなく『問い』だ」と言って、「七十人の翻訳者たち」という短編を書いた経緯を振り返っていく。こんなくだりもビジネスパーソンは参考にできるかもしれない。

市場や組織能力など様々な条件の中でビジネスアイデアを生み出し、事業に落とし込むことも一つの創作だと言える。企画書だって言葉で書かれるのだから、小説家が言葉やアイデアをめぐって考えていることは、「思考の体験談」としてビジネスパーソンにもくみ取ることのできる部分は少なくないだろう。論理的思考に染まりきって発想が行き詰まっているようなら、読んでみるのも悪くない。

著者は本書の執筆中、ずっと人工知能(AI)の存在を念頭に置いていた、とあとがきに書いている。AIが強くなると、正解がわかってしまう。囲碁や将棋はすでにそうなっている。だが、小説は「勝利条件」がわかっていない。本書はまさに答えのない問いについて考え続けた試みなのだ。ビジネス課題も答えのない問いの世界になりつつある。著者の示した考え続ける姿勢こそ、本書から学べる一番大きなことかもしれない。

「ビジネス書の売れ行きが目立つこの書店で、小説ではない文芸ジャンルの本が売れるのは珍しい」と店長の瓜生春子さんは話す。

5位にJAL再生のノンフィクション

それでは先週のビジネス書のランキングを見ていこう。

(1)マンガでわかる「だまされない」お金の増やし方鳥海翔著(KADOKAWA)(2)ビジネスパーソンに必要な3つの力山本哲郎著(中央経済社)(3)科学的に証明された すごい習慣大百科堀田秀吾著(SBクリエイティブ)(4)人生100年時代を生き抜くための億万長者のコミュニティ資本論嶋村吉洋著(プレジデント社)(5)修羅場の王大西康之著(ダイヤモンド社)

(紀伊国屋書店大手町ビル店、2025年11月24~30日)

1位は元保険会社勤務の金融系ユーチューバーによる投資術の本。初心者向けの分かりやすい入門書だ。2〜4位には、これまで本欄で紹介した本が並んだ。2位は〈ビジネスパーソンに必要な3つの力とは やらされ感とは無縁で人生を生きる方法論〉の記事で紹介した24年4月刊の本。3位は〈「すごい習慣」で仕事や人生を変える 科学的根拠に基づく小さなメソッドの大百科〉の記事で紹介した習慣化の本、4位は前回の記事〈「億万長者のコミュニティ資本論」 仲間づくりから始める会社に頼らない生き方示す〉で紹介した自己啓発本だ。

5位は日本航空(JAL)が会社更生法申請に至るプロセスを、法的整理のプロと言われた弁護士に焦点を当てて描いた企業ノンフィクションだった。今回紹介した『言語化するための小説思考』は文芸書ランキングで3位だった。

(水柿武志)

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