公開日:2025/05/14
アーティスト:星野源
監督:岡本太玖斗
(前編より)
アンバランスだったり、ときに構築的でもある岡本の文字組は、明確な動きの方向性や奥行きを与えられることはなく、常に「前衛さと緩さを併せもつ★2」ような絶妙なレイアウトを構成する。そして、その素っ気ない定着感は、音声と連動しすぐに次の言葉に切りかわっていく。「Star」のMVには、このようにイメージの最前面に浮かべられるフローティング・タイポグラフィの諸相が表象されていると言えるだろう。
ところで、いま用いた「フローティング・タイポグラフィ」という概念は、グラフィック・デザイナーの秋山伸が自らの仕事の分類カテゴリーおよびデザインのスタイルとしても使用している。本稿ではさしあたって、岡本のMVにおける歌詞の扱いを、リリックビデオ一般から差別化する意図で仕様しているため、秋山のそれと直接的なつながりはない★3。しかし秋山がXの投稿で示すフローティング・タイポグラフィの具体例を見ると、あえて文頭を揃えず不規則にすることや、各要素の統辞が表面上希薄に見えることが特徴と言えそうだ。これらは岡本の仕事にも見出せる要素であり、こうした浮遊感は、羽良多平吉や戸田ツトムなどのデザインワークにも共通する。あくまでも仮説的な概念運用ではあるものの、そうした系譜から岡本の仕事を読解することも可能であるように思われる。
まさに水面に落ちた花や葉のような浮遊感を見せている表現は、2回目のサビ「いのちは輝いた」の「の」が3つ重ねられた形象がくるくると回るアニメーションに看取できるだろう。このMVは全編にわたり星野源が路上や建築内で歌い踊る情景を映像に収めており、背景に一点透視図的な奥行きを伴っている構図が多い。こうした空間の性質も、それと無関係にレイアウトされるタイポグラフィとの懸隔をより印象的なものにしている。

星野源 – Star [Official Video](1:27)より
このように「Star」のMVは、過去のグラフィックデザインをモーショングラフィックスに翻案したものとして位置づけることができる。確実に伝達しなければならない情報が必ずしもあるわけではないリリックビデオは、可読性に対して多様な挑戦が可能であり、そうした事情も関係してか、「Star」をはじめ岡本のMVには縦組みと横組みが混在している。
その自由な構成は近過去の先行者である服部らを飛び越えて、デザイナーの向井周太郎らが実践し、空間的、視覚的に展開されたコンクリート・ポエトリー(具体詩)の領域に近づいていると言えるだろう。例えば向井の詩と比較するならば、縦横の文字組としては《陰と影》があげられるし、「Star」MVの「胸が高鳴る」を反復させて強調する手法は《[ぽと]と[ぽと]》にも通ずる。言語のシーケンシャルな構造を解体された文字は、リリックビデオにおいて実際に歌われる歌詞と言葉本来の意味が重なり合い、多重化することによって、新たな〈形象〉として知覚されるのである。
岡本は「Star」MVの直後、6月に公開されたTele「硝子の線」MVにおいて、映像内にプリントされた歌詞を登場させることでその文字空間をより複雑化しているし、11月に発表された星野源「いきどまり」MVでは文字に対してかなりストイックな姿勢を示している。こうした表現の広がりを踏まえると、「Star」MVにおけるレイヤーの最前面で繰り広げられたタイポグラフィ実践は、まだキャリアを歩み始めたばかりの岡本にとって、その初期を画する重要な仕事だったと言えるだろう。
★2──ばるぼら「平成・令和の文字と表現 規範と逸脱のあいだで」「もじ イメージ graphic展」制作委員会編『もじ イメージ graphic:日本の文字からひろがるグラフィックの地平』グラフィック社、2023
★3──秋山はフローティング・タイポグラフィについて自身のワークショップで説明を行なっているが、残念ながら筆者はそれに参加しておらず、現状詳細を認識していない。ここであえてフローティング・タイポグラフィという言葉を使ったのは、このキーワードを通じた分析と議論の発展に期待するためでもある。筆者としても機会があれば秋山の仕事や理論も踏まえつつ、より具体的に検討してみたい。
参考資料
・向井周太郎『かたちの詩学』美術出版社、2003
・大橋史「リリックビデオに眠る記憶と連続性」『The Graphic Design Review』https://gdr.jagda.or.jp/articles/77/
・「【対談】鈴木健太 ✕ 岡本太玖斗|20代映像作家が語り合う、僕らが好きな映像とクリエイティブ」『CINEMAS+』https://cinema.ne.jp/article/detail/52053
執筆日:2025/11/14(金)
