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印象的に「黄色」と「藤色」が使われるスクリーンですよね。 タイトルバックの文字も、ポスターも。
この色合いは、優しい花畠の色です。
でもそれは「やわらかい補色」でもあって、つまり「うらはらの色」であり、衝動性とクールさの対峙も示している気がします。
この二色は リーと、ユージーンの色・パーソナルカラーであるかも知れません。
求めた男と、去って行った男の物語です。
予告編で「この鮮やかな色使い」に真っ先に目が奪われたゆえ、僕はぜひともこれ、鑑賞したいと願いました。
ウィリアム・バローズが原作者である事も、本作への興味が強烈であった理由。
(バロウズの映画はざっと50本もあるのです)。
本人登場のインタビュー・ドキュメンタリー「ウィリアム・S・バロウズ 路上の司祭」には僕は心底痺れたものです。
加えて「シェルタリング・スカイ」の作家ボール・ボールズ氏とこのバロウズ氏は《彼らは一緒に暮らしていた事があるらしい》から。
うーん。はいはい、なるほどなぁという感じ。
バロウズの自伝的小説がこの映画の原作となっています。
中南米や中東の砂漠地帯など、西欧人にとっては”辺境“と呼ばれる未知の世界が、彼らの「人間観察小説の舞台」になるようです。
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【俳優 ダニエル・クレイグ】
惹かれ惹かれてグダグダになり、
我慢出来ずにユージーンに恋い焦がれてゆくリー(第一部)。
メキシコの黄色い光がすべての場面を満たすけれど、意外とライトな雰囲気で物語が進行するのは、軽快な音楽を画面に重ねたゆえ。(サントラについては後述)。
この俳優ダニエル・クレイグさんがねぇ、
またホント良いんですわ。
「007」の6代目ジェームス・ボンドを彼は務め上げて、あのシリーズはその後しばらく途絶えている。5年もの空白期間に入っている。それだけ彼のキャラクターは大きかったと云う事だと思いますね。
孤児院育ち。内に秘めた陰と憂い。誰にも立ち入らせない過去のある男=ダニエル・クレイグの、あの人となりです。
この人が先代のピアース・ブロスナンからバトンを引き継いでの「新しいジェームス・ボンド」に抜擢だと発表されたときには、それまでとの毛色の違いに世界中が至極戸惑ったはずです。懸念しかなかったです。
こんなにも「暗い顔の男!」だったからです・・。
「歴代の 007」は
初代 : ショーン・コネリー
2代目 : ジョージ・レーゼンビー
3代目 : ロジャー・ムーア
4代目 : ティモシー・ダルトン
5代目 : 華やかなピアース・ブロスナン 、
そして
6代目が このダニエル・クレイグ( 〜2021)。彼は最終作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」で死亡している。
彼は、人物としての深みと、不可解さのオーラを合わせ持っている。
諜報部員として、シリーズに奥行きを与えた、群を抜いていい役者さんだったと思うのです。
で、映画ファンとしては、007そのものであった彼らが、シリーズ降板のあとで、それぞれどのような「転身」を遂げるのか ―?。それも我々の大きな関心事だった訳でね。
そして今作の「クィア」なのです。
「そうきたかーッ!」ww が正直な感想。
会心作です。アクションものでなくてもこの人はこれだけイケる。台詞無しでもこれだけの長いカットを強烈に演じられる人だった。
映画館での鑑賞を逸したので、ようやく配信での視聴となりました。
一番沁みたのは、ここかな?
「部屋に戻り、モルヒネを打って、紫煙を深く吸い込みながらユージーンを想っている」「あの長回し」。
これ、計ってみたら2:40秒のワンカットだった。
ダニエル・グレイグ、ちょっとこの人は凄いのではないか。
⇒バックにはニュー・オーダー(New Order英)の「Leave Me Alone」がBGMに流れる。
ここまでの「第1部」だけで映画が終わってしまっても構わないほどの、その画面の充実感と完成度があった。
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映画はその後「短い旅路の第二部」を経て〜そして「第三部からは麻薬性の植物『ヤへ』による幻覚の世界」へと急展開。
密林のサスペンスの様相。
CGを駆使してのあの二人の融合は「アンダー・ザ・スキン」を求め合うトランス状態かも知れない。
でも実感としては一瞬のサブリミナルで良かったのに、この第三部のジャングルのパートは長すぎて少々飽きた気が。
つまり、かつての007を匂わせるようなミステリーな第三部は ”無くても良かった蛇足のパート“ だったと僕は思うのだが、皆さんの感想はいかに?
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【映画のコンセプト】としては
・他作=お利口さんなハリー・ポッターのダニエル・ラドクリフくんに「スイスアーミーナイフ」の死体役をやらせちまったあれとか、
・クリストファー・プラマーに意表を突いてゲイ・カミングアウトをさせた「人生はビギナーズ」とかに通じるスタイル。
つまり、《まさかの役どころ》に登用と云う意味で。
笑えたのは
しつこくじゃれつくリーを「おやじ、おめーウザったいんだよ💢」と突き飛ばすユージーン。
で、床に無様に転がる中年の酔っ払いのリーなのだが
つい、昔とった杵柄ですかね。受け身のダニエル・グレイグは007 のそれだったこと。
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【癖が強い監督】
「君の名前で僕を呼んで」のルカ・グァダニーノ監督は、
その作風は、アカデミックさとプラトニックな愛をフルコースの”前菜“に供しながらも、
(しかし今作でも同様なのだが)、
後半では直截な性愛行為をぶち込んでくる作家だから、特異な作風ではあるが、
このセオリーに縛られず、いずれはもっと違う映画にもチャレンジしてもらいたい人だ。
つまりツギハギ感が否めない。
二作続けての同じレールなので。
ぜひダニエル・クレイグに習って監督も殻を破ってほしい。
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【総評】
無敵の英国諜報部員にメロメロの「クィア」を演らせた今回のアイデアは良かったけれど。僕としては大幅カットで第一部のプロローグと 巻末のエピローグだけでも十分だった。
原作味読ではあるが、ジャングルは要らない。レスリー・マンヴィルも要らなかった。
あとパンフレットやポスターに使われた「黄色いショールを肩に掛けた二人の笑い顔」が劇中には登場しなかったのは、とっても残念だったかな。
でも「薬草ヤヘを探し当てて、肉体だけでなくテレパシーでもステディの存在と繋がりたい」と無邪気に願うのは、ギャグではなくて
リーの、ユージーンに対するモノホンの愛だったのかも・・と
ここまで書いてみて
ようやく思った。
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付記、
【サントラについて】
検索オススメ
⇒[『クィア/QUEER』の挿入曲とサントラ ] 。
ご機嫌なラインナップでしたね。
ニルヴァーナ、プリンス、ニュー・オーダー、ベニー・グッドマンやコール・ポーターまで、
場面ごとに当てられた楽曲が、解説と動画付きで全曲紹介されています♪
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そして長くなったけれども、
そして書き落とすところだったけれど、
【自分の中の 《クィア》発見について】 ―こんな特別な体験があったのでメモを2点 ―
① 平日の昼間に、僕はスーパー銭湯に行ったところ、ほぼ貸し切りでした。脱衣室から広い浴室に入ったら、何となくあちらからずっとこちらを見ている気がするお兄さんがいて。
ん?知り合いかな? いや違うだろう。
で、目を閉じてゆっくり露天風呂に浸かっていたら 太ももに=誰かの太ももがそっと触れてきてびっくり。いつの間にか「あの彼」がピッタリ横にいるし!
驚いている僕の様子に、彼は静かにお湯の中を離れていきました。
「ハッテン場」だったらしいのです。
へぇ~、こんな事があるのかよ!と初めての、とっても不思議な体験でした。
だから、
リーがユージーンを見つめたカフェ「シップ・アホイ」での、あのシーンがね、なるほどなぁと思うのです。
(この映画を観たあとの今ならば、僕からも、せっかくの機会ですから何か話をしてみたかも知れない)。
② もう一つ。仕事場で起こった突然の心の動きについて。
いつも一緒に仕事をしている小柄な男の子を、なんだか突然抱きしめたい衝動に襲われて、自分自身の心の動きに驚愕した。胸が堪らなくギュッと締め付けられたのです。
後から冷静に自己分析をすれば「ホモ・セクシャル」と「ヘテロ・セクシュアル」は、同じ僕という人間の中にもグラデーションのように、シームレスに備わっていて、
たとえば光の陰影や、風に流れる雲の様相のように、感情も本能も元々混在して、そのようにふと現れてくるのだと知ったし、
「父性愛」も「母性愛」も僕たちは普通に両方を所有していて、ちっちゃい子に対しては抑えようのない「保護衝動」が湧き上がるのだと理解した。
これは知っておいて良かった稀有な体験であった。
この①と②があったからこそ、映画「クィア」が僕にとっては、より既視感もある、実のある物語、になっていたのだと思われる。
