写真引用元:ヌトミック 公式X(旧Twitter)
写真引用元:ヌトミック 公式X(旧Twitter)
公演タイトル:「彼方の島たちの話」
劇場:シアタートラム
劇団・企画:ヌトミック
作・演出:額田大志
出演:稲継美保、片桐はいり、金沢青児、東野良平、長沼航、原田つむぎ
演奏:細井徳太郎、石垣陽菜、渡健人
期間:11/22〜11/30(東京)
上演時間:約2時間(途中休憩なし)
作品キーワード:音楽劇、親子、身体表現、夢幻能、生演奏、難解
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆
世田谷パブリックシアターが実施している、劇場が新たな才能と出会うために、芸術監督の推薦するアーティストやカンパニーを招聘し、公演をサポートする「世田谷パブリックシアター フィーチャード・シアター」。
今年(2025年)の本プログラムには、演劇カンパニー「ヌトミック」と「劇団普通」が選出され、今回は額田大志さんが主宰する「ヌトミック」の新作音楽劇である『彼方の島たちの話』を観劇。
「ヌトミック」は、2016年に東京で演劇カンパニーとして結成され、公式HPには、”「上演とは何か」という問いをベースに、音楽のバックグラウンドを用いた脚本と演出で、パフォーミングアーツの枠組みを拡張していく作品を発表している”とある。
額田さんは、『ぼんやりブルース』で第66回岸田國士戯曲賞の最終候補作にノミネートされ、今年(2025年)の第33回読売演劇大賞では、『ガラスの動物園』の上演で演出家賞上半期ベスト5にも選出されている。
私自身、「ヌトミック」の作品を観劇すること自体初めてである。
物語は、15年前に父のショウイチ(金沢青児)が飛び降りて自殺した海岸に娘のアイラ(稲継美保)がやってくる所から始まる。
アイラは海岸にやってきて15年前のことを思い出しながらモノローグを語る。
父のショウイチはいつもアイラに電話をしてくるが、「元気か?」くらいの内容しかなくてアイラは相手にしていなかった。
とある男性と小豆のかき氷を食べている時に、またショウイチから電話があったが、きっと同じ内容であろうと無視をしてしまった。
しかし、その後ショウイチは命を絶ってしまった。
アイラはその時電話に出なかった後悔と共にこの海岸にやってきている。
15年前にアイラがこの海岸に来た時、エイコ(片桐はいり)という女性に出会っていた。
その女性には、イギリスに留学したカオル(原田つむぎ)という娘がいたが…という話である。
ステージ上は抽象舞台になっていて、大きな床面のようなものが何枚か敷かれていて、それぞれが段差のようになっていて海岸を表しているようだった。
非常に想像力を掻き立てられる戯曲で、今登場人物たちはどこにいるのか、海岸にいるのか、それとも海の中にいるのか、船の上にいるのか、抽象舞台であるからこそよく分からない解釈の余白の多い演劇に感じた。
そして、今舞台上で展開されている事象も、いつの時代の出来事なのか、誰かの妄想なのかすらよく分からない空間が広がっていて不思議な気持ちにさせられた。
さらに興味深く感じられたことは、一体誰が死んでいて誰が生きているのか分からないということである。
ショウイチは15年前に海に飛び降りて自殺しているので死んでいるはずである。
それなのにずっとステージ上の至るところに登場し、アイラもその存在に呼応するので、まるで二人とも死んでいるのか生きているのか分からなくなってくる。
また、ムー(東野良平)という1万年前にこの海岸を訪れた男性も現れるので、今存在しているこの空間の時間軸さえもよく分からないものになっている。
しかし、ギターとベースとドラムの奏者は、たしかに「死んでいない者」とテロップが表示されているので、彼らはずっと生きていて呼吸をする音が非常に生きていることを実感させる演出になっていて惹かれるものがあった。
音楽もメロディになっていない不協和音のようなセンスの優れたもので格好良くもあり引き込まれた。
しかし、どうも演出面における情報量が多すぎて、イマイチ戯曲に没頭出来ずに心揺さぶられるような感動を覚えられなかったのは勿体なかった。
戯曲にも心揺さぶられる要素はあったのかもしれないが、どうしても音楽や異色な演出面に気を取られてしまうので台詞があまり頭に入ってこない感覚を抱いた。
それと、モニターに全台詞がテロップで表示されて、割とそちらに視線が行ってしまうので、役者をもう少しよく観たかったとも思った。
出演者陣は、演技もコンテンポラリーダンスも素晴らしかった。
まず、主人公のアイラ役を演じた稲継美保さんの素朴な感じと、序盤の父を想うモノローグが素晴らしかった。
そしてムー役を演じた東野良平さんの力強い演技も素晴らしく、凄く誠実で威勢のある演技に非常に好感を覚えた。
カオル役を演じた原田つむぎさんも素晴らしく、狂気に満ちた狂った感じの役がとても引き込まれるものがあった。
ここまで芸術性の高くて独特な世界観を音楽劇で描く新作はなかなかお目にかかれないので観劇出来て良かったと思う。
私が観劇した平日ソワレ回は空席も見受けられたので、多くの人に届いて欲しいと思った。
写真引用元:ステージナタリー ヌトミック 新作音楽劇「彼方の島たちの話」より。(撮影:山口雄太郎)
【鑑賞動機】
「ヌトミック」の演劇作品はずっと観てみたいと思っていた。そうしている最中、第33回読売演劇大賞では演出家賞で上半期ベスト5に選出され、勢いに乗る団体ということで新作音楽劇を観劇することにした。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
アイラ(稲継美保)がステージ上にやってくる。ここは、15年前に父親が飛び降りて死んだ海岸らしい。それ以来、アイラは海を見たくないと言う。父親であるショウイチ(金沢青児)も現れる。アイラは小学校の授業で人類は海から生まれたということを教わった。しかしそのことを父親に話すと、ビッグバンからではないかと言われた。
15年前、アイラはとある男性と小豆のかき氷を食べていた。いつも父からの電話は「元気か?」くらいしかなくて、それだけで電話をかけてくるのかとアイラは思っていた。そのため、小豆のかき氷を食べている時に、アイラの携帯電話に父親からの電話が入っても無視していた。
しかし、父親が海岸で飛び降りようとしていたと知っていたら、そんなことはせずすぐに父の元に会いに行っただろう。
ショウイチは海岸から飛び降りて海に落ちて死んだ。海に落ちた瞬間はまだ死んでいなくて、その後体から赤が沢山漏れた後に死んだ。海に落ちてから死ぬまでの間にショウイチは何を考えていたのだろうとアイラが呟く。
音楽が流れる。
15年前、アイラはこの海岸に来た時に一人の女性に出会った。その女性は富士宮エイコ(片桐はいり)と言う。エイコもまたこの海岸から海に飛び降りようとしていた。アイラはエイコに話しかけて、手に持っていたビールを渡して一緒に飲もうとした。
ショウイチはアイラに、見ず知らずの人にお供え物をしてはいけないと忠告する。ショウイチ、アイラ、エイコの三人で話を始める。エイコには娘がいて、その娘との関係が上手くいっていないようで腹を立てている様子であった。そして、ショウイチとアイラの親子関係を見て面倒は親子に捕まってしまったものだと言う。
そこへ今度は、ムー(東野良平)という1万年前の時代に生きた男性が現れる。ムーは、海の向こうに島が見えるから一緒に船に乗って行ってみようと誘う。エイコは、自分の娘がイギリスに留学しているので一緒に向こうの島まで行ってみたいと言う。
今度はカオル(原田つむぎ)が姿を現す。エイコとカオルは、一緒に船に乗って旅をするという話を昔していたことを思い出し二人で言い合っているが、エイコはその場を去ってしまう。
ギターによる不穏な汽笛の音が鳴り響き船は出航する。船には、ムーとカオルとアイラとショウイチが乗っている。
海のノイズがずっとしている。カオルはイギリスへの留学の話をする。母が飛び降りようとしている時の電話が来た時にはイギリスの地下鉄にいた。それ以来、海を見るたびに母のことを思い出すと言う。その話を聞いて、ムーは自分にも三人の弟がいたことを思い出す。
ギターがある。カオルはギターを弾くことが出来るので船の上でギターを弾きながら歌う。島が見えてくる。しかしアイラは、今一緒にいるショウイチがだんだん父親ではないのではないか、人間ですらないのではないかと疑い恐怖する。
そして一緒に船に乗っていたエイコも突然途中でここで降りようとカオルに言い困惑させる。
死んでない者たち(細井徳太郎、石垣陽菜、渡健人)が呼吸をしながら近づいてくる。これはアイラの記憶の中なのか、ショウイチと母がイビキを立てながら眠っている。
エイコとカオルの二人はずっと口論している。カオルはエイコに死ぬなんて変だよと言っている。ここで死んでしまうなんて本当に都合の良いことじゃないかと。
音楽が激しく流れる。出演者たちが音楽に合わせて体を振動させる。エイコは海岸のふもとに座り込んで身体を揺らし、カオルはステージ後方で体を激しく揺らしながら狂ったような表現をする。
そこへ、トキサカ(長沼航)がやってくる。ムーにとってどうやらトキサカは父親であるようである。トキサカとムーの父と息子の関係についてお互い遠い昔の話をしながら呼応する。
アイラとカオルが残る。カオルは言う。急に母がいなくなるというのはどういうことなのか分かったかもしれないと。色々なことを教えてくれた存在は母であること、特別な存在であったことを知ったと。そして、今いなくなった母は星になったのかもしれないと言った。
エイコが黒い衣装を身に纏って登場する。エイコは星になったと告げる。星になってみんなを見守っていると。
ここで上演は終了する。
上演中は、演劇的な描き方や演出が強すぎて、ストーリーの内容を捉えることは出来なかった。アイラという女性が15年前に父であるショウイチを飛び降り自殺で亡くして、すぐに父の元に助けに行けなかったことを引きずっていることが伺え、それと同時にエイコという女性が飛び降り自殺した時も、娘のカオルはイギリスに留学中で母親を助けることができず、ずっと後悔していることが伺えた。
しかし、ムーとトキサカの存在が全く分からず、ムーが目指そうとした島というのが、時空を超えた場所で、生と死という概念を超越する理想郷なのか、単なるアイラの妄想なのか、はたまたアイラもカオルもその後、親の後を追って自殺したのか、色々な解釈が生まれうる作品だなと感じた。
そして、戯曲を読んだ上で改めて物語に向き合ってみたが、やはり内容を掴み取ることができなかった。むしろより分からなくなった。私が上演中に感じた感想は、甚だ間違いではなかったのだが、やはりムーとトキサカという存在を登場させる意図がどうしても汲み取りきれなかった。
おそらく親子の関係性というのは、遠い昔から続く普遍的なもので、きっと1万年前に生きた人類も同じように親に対する思いを抱いていたということを伝えたかったのだろうか。
親子関係という太古の昔から続く時空を超越したものであることを描きたかったのかなとも思ったが、それ以上のことが分からなかった。
そうであるが故に、物語に引き込まれるということはなかったのだが、とにかく摩訶不思議な演劇を観ている感覚で、神秘的な感じを抱いた。
写真引用元:ステージナタリー ヌトミック 新作音楽劇「彼方の島たちの話」より。(撮影:山口雄太郎)【世界観・演出】(※ネタバレあり)
「範宙遊泳」や「チェルフィッチュ」といったコンテンポラリーダンスと音楽を融合したような作劇のスタイルを彷彿されるクリエイションで、個人的には割と好みだった。そしてとにかく芸術性が強いので、演劇でしかできない表現や演出を多分に取り入れていて非常に興味深い世界観を形成していた。
舞台装置、映像、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置について。
ステージ上には、正方形の巨大な床面が複数設置されているシンプルなものだった。その高低差はさまざまで、ドラムやベースのいる下手側、上手側の床面はかなり高い位置に設置されている感じがした。
たしかにこの高低差を見ていると、ここは岩で出来た海岸なのではないかと思わせられる。海岸というのは足場が悪く至る所に段差があって飛び越えたりしなければならない箇所がある。そんな足場の悪さを彷彿させるような舞台装置で興味深かった。
そして、ここは船の上であると言ってしまうとそうも見えてくるから面白い。船のデッキの上のような面といっても説明がつきそうなので、抽象舞台であるからこその想像力を掻き立てられる舞台装置だったように思う。
また、この高低差のある床面が存在しないステージ手前の部分やステージ奥側の部分もあって、そこにショウイチがいたりすると、彼は海の中に身を投げてしまって、もう死んでしまって漂っている存在にも思えるのでとても上手い演劇の見せ方だとも思った。
次に映像について。
ステージ上部には2枚の巨大な電子モニターが設置されていた。そこに全台詞がテロップで表示される。1枚のモニターには話者と台詞が表示され、もう1枚のモニターには音楽の説明が文章で表示される。
耳の聞こえない方にとっては、このテロップを頼りに内容を理解することはできてバリアフリーだと感じると同時に、私はどうしてもテロップに目線が入ってしまって、あまり役者の演技を注力してみられなかった感じがあるのが勿体なかった。この演劇は、台詞を目で追いながら耳で聞こえてくる音楽などを意識すれば良い演劇なのだろうか。台詞に目線が入ってしまって、役者の表情や動きやそれ以外の舞台上で起こるあれこれを取りこぼしている感じもあって、その辺りにストレスを感じてしまうのが自分の観劇体験的にモヤモヤする部分があった。
また、役者が台詞を間違えると、普段なら気にならない間違いでもテロップと違うので観客に気付かれてしまうというデメリットもあるよなと思うし、実際私の観劇回でそういうことがあった。
台詞に「死んでいない者」という表現が使われるので、そうか奏者は死んでいないのかと途中で気付かされるプラスの要素もあった。だから奏者は呼吸しているのかとか、他の登場人物はどうなのかとか想像が広がる助けになるシーンもあった。
次に舞台照明について。
舞台照明については、かなり演出として凝っていたように思う。
まず全体的に暗く、その明暗の調整も色々工夫がなされているだろうなと思った。海の中なのか、夜なのか、それとも死の世界だからなのかずっと暗く青白い感じがした。
そして、奇抜な音楽がかかると赤くなったり緑色になったりと、音楽に呼応して照明も変化していくのが面白かった。
次に舞台音響について。
やはり生演奏で効果音やBGMを表現している点が格好良かった。汽笛の音をギターの不協和音で表現するのとか格好良かった。グオーンという響きが、どこか普通の船ではなく未知なる島へと連れていかれそうな、ちょっと不気味な汽笛をギターが上手く表現していて格好良かった。
海のノイズもずっと生演奏で披露するのが格好良かった。擬似的に楽器で効果音を表現することでしか表現できないものがあって、それが非常に演劇的で具象的に何かを指している訳ではないという解釈の余白を広げている感じがして素晴らしかった。これが「ヌトミック」の持ち味なのだなと思った。
原田つむぎさんが奏でるギターも良かった。他のシーンは割と尖った音楽に感じたが、このシーンだけは優しく感じられてとても印象に残っている。
最後にその他の演出について。
個人的には呼吸の使い方が好きだった。呼吸というのは生きている証拠だと思う。どんな生き物でも生きていれば呼吸をする。だからこそ、奏者である死んでいない者たちが呼吸をしているという表現が非常に印象深かった。
あとは、一つの事象に対して登場人物のそれぞれの観点から複数の解釈を与えられる構成になっている点も良いなと思った。例えば、ムーが乗ろうとしている船というのが、1万年前の人間であったら未知なる土地かもしれないし、アイラとショウイチにとっては家族の思い出かもしれないし、エイコとカオルにとってはイギリス行きの船だと解釈できる構成が興味深かった。
音楽も素晴らしかったけれど、コンテンポラリーダンスというか、特異的な身体表現という文脈でも素晴らしかった。ビートを刻む音楽に合わせて、まるで体が振動するような形でずっと小刻みに体を震えさせる身体表現が印象に残る。それが狂ってしまったような感じにも見えるし、音楽に合わせて人々が共鳴し合っている、つながっているようにも感じられる。親と子が、そして生きている者と死んでいる者が繋がっているという演劇でしか表現できない方法で描いている点が興味深かった。
ムーの衣装がとてもユニークで、最初天使のように思えた。白いフワフワしたような衣装に身を纏っていて、そこにはどこか可愛らしさもあった。設定上、おそらく原始人的な衣装をイメージしたのだと思うが、ただの原始人の服ではない、ちょっと神聖な存在に感じられた。
写真引用元:ステージナタリー ヌトミック 新作音楽劇「彼方の島たちの話」より。(撮影:山口雄太郎)【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
出演者は、「ヌトミック」所属の俳優とコンテンポラリーや小劇場で活躍中の実力俳優で、皆演技も身体表現も素晴らしかった。
特に印象に残った役者について記載する。
まずは、主人公のアイラ役を演じた稲継美保さん。稲継さんの演技は初めて拝見する。
15年前に父を亡くしていて、そうであるが故に良い意味で脱力感のある演技がハマっていたように思う。あの時父からの電話に出ていればという後悔、そして父が身を投げた海を見る度にその時のトラウマを思い出してしまう後悔が非常にモノローグで強く描かれていて良かった。
そしてショウイチとの関係性も非常にリアリティあって良かった。ビッグバンの話や父が酒で酔っ払ってアイラに絡んできた感じからして、おそらく普通の家庭だったのかなとさえ思う。特に父とアイラとの間に確執があった訳ではなく、ごく普通の父と娘でそうであるが故に、アイラは父との関係をなおざりにしていたのかもしれない。
15年後に再び、父が飛び降りたという海岸にやってきたが、その理由はなんだったのだろうか。海を見ること自体があの件があってから嫌になっていたアイラが、どうして海にやってきたのだろうか。きっと、自分のトラウマを克服したい、自分の時の止まった人生から一歩前に踏み出したいという思いもあったのかもしれない。
だからこそ、ラストはアイラとカオルで、親を亡くしたということについて何かしらの答えを見出したのかなとさえ思った。
稲継さんのナチュラルで素朴な感じに好感のもてる演技だった。
次に、カオル役を演じた「ヌトミック」所属の原田つむぎさん。原田さんの演技も初めて拝見する。
アイラとは対照的で、素朴な感じはなくどこか狂気的で尖った感じの印象を受ける女性であった。そして、ショウイチとアイラの親子関係とは違って、エイコとカオルの親子関係は拗れているような印象を受けた。それは、小さい頃からエイコはカオルのわがままを聞いてあげずに肩身の狭い思いをさせてしまったからかもしれない。イギリスに留学したのも、親から離れたかったという意志ももしかしたらあるのかもしれない。
しかし、いざ母が自死をしてしまうと、カオルの中でも母親に対する思いは変わった。何も知らない自分に色々と無条件に教えてくれた存在は母であったと。
終盤のシーンで、エイコとカオルが言い争うシーンがある。これはおそらくカオルの頭の中で生み出した妄想であるだろう、生者と死者がいるので現実では存在しない。きっとカオルはもっと母親のエイコと喧嘩して、自分の主張を言いたかったのかなとも思った。そんなコミュニケーションすら出来ないままエイコに先立たれてしまった後悔をカオルからは感じられた。
原田さんの本作での存在感は素晴らしいものだった。ちょっと嫌な感じの娘を上手く演じているのも素晴らしかったし、ギターを弾いて歌うシーンも素敵であった。そして音楽に合わせて狂う感じも見どころがあった。
エイコ役を演じた片桐はいりさんも素晴らしかった。片桐さんの演技は、『未練の幽霊と怪物ー「挫波」「敦賀」ー』(2021年6月)で一度演技を拝見したことがある。
エイコもショウイチと同様に、自分の子供に相手にされず孤独を感じたのも一因で海に飛び降りて死んだ。もちろん、もっと子供が自分の身近にいてくれたら自死することもなかっただろうと思う。
エイコ自身、かなり気が強い女性であったのだろうなというのが演技から見てとれた。だからこそカオルも母親に反発してしまったのだろうと思う。しかし、いざ娘から見放されると辛かったのかもしれない。
序盤で、エイコはアイラに助けられて二人でビールを飲むシーンが印象に残っている。きっとエイコはアイラのようなことを自分の娘にして欲しかったのだろうなと思った。
片桐さんの演技は、本当に迫力もあったしコンテンポラリーな身体表現も狂気的で良かった。音楽に合わせて振動するように体を揺らす身体表現に、狂気を感じながらも引き込まれるものを感じた。
最後に、ムー役を演じた劇団「地蔵中毒」の東野良平さんも素晴らしかった。東野さんの演技は、東京にこにこちゃん『ドント・ルック・バック・イン・マイ・ボイス』(2025年10月)、はえぎわ『幸子というんだほんとはね』(2025年3月)、爍綽と『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・バルコニー!!』(2025年1月)で演技を拝見している。
東野さんのこのような真面目で力強い演技は初めて観たかもしれない。凄く力んでいるように感じられた。しかしそれは、1万年前の原始時代の男性だからこそ大声で生きることに必死だったからそうなのかなと合点もいった。
1万年前の男性の設定が個人的には謎だった。これは東野さんの演技が悪いとかではなく、なぜこのような設定の人物を登場させたのかは腑に落ちていない。きっと親子関係の普遍性と太古の昔から存在していたことを描きたかったのだと思うが。
力強い存在なのだけれど、白い衣装を身に纏っていて、どこか天使のようで可愛げもあって神聖なイメージもあって面白いキャラクターだった。
写真引用元:ステージナタリー ヌトミック 新作音楽劇「彼方の島たちの話」より。(撮影:山口雄太郎)【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは、本作の脚本について思ったことやよくわからなかったことについて記載していこうと思う。
観劇中においてはこの作品について、脚本の詳細までは掴めなかったが、アイラとショウイチの親子関係と、エイコとカオルの親子関係と、ムーとトキサカの親子関係が出てくるところは分かって、それぞれが親が自死によって先立たれてしまったので、その後悔から子供たちが親のあとを追って船に乗って海に向かうという構成になっているというのはぼんやり掴めた。
そして戯曲を買ったので、そちらを読み進めればもう少し脚本について理解を深められるだろうと思っていたが、思った以上に難解で結局読んでもよく分からなかった。
物語を整理しておくと、アイラはショウイチの娘でごく一般的な家庭で生まれ育ったと思われる。ショウイチは酒好きでアイラはそんな父をどうしようもないと思っていて、ぶっきらぼうな父からの連絡にもあまり相手にしていなかったが、そんな中ショウイチは自死してしまい、その後アイラはすぐに父の元を訪れたが遅かった。
そうであるが故に、もっと父のことを大事にしておけば良かったという後悔と同時に、海という存在に対してトラウマを抱えてしまった。
一方で、エイコとカオルの関係は割と拗れた母と娘の関係であった。カオルはエイコから厳しい仕打ちを受けていて、そんな母親から離れたくてイギリスに留学した。エイコは自死してしまった時にはカオルはイギリスにいて、おそらくしばらく会ってなかったのではないかと思う。
もっと母のことを大事にしておけば良かったという後悔だけが残り、アイラと同じく海を見るたびにそんな後悔が思い出されてしまう。
アイラは船に乗って島に向かうことで、ショウイチとの家族のあったのかなかったのか分からない記憶に触れた。エイコとカオルは船に乗ることでイギリスを目指し、お互いにエイコとカオルが母と娘という関係の中で言いたいことを言い合うことを実現していた。
アイラもカオルも、親が先立たれてしまってできなかったこと、後悔していることをムーが用意した船に乗ることで実現したように思えた。
アイラとショウイチ、エイコとカオルの関係性とストーリー展開は以上と理解したのだが、合っている自信が無く、戯曲を読んでもよく分からない。それは、演劇として今描いている世界が果たして現実の世界の光景なのか、妄想なのか、死者の世界なのか、過去の記憶なのか分からないからこそ起こりうるのだと思った。
そして一番理解しがたかったのは、ムーとトキサカの存在である。どうやらムーは1万年前に存在した男性で三人の弟がいたようである。そしてその父にトキサカがいるということは朧げに分かった。
しかし、どうしてムーとトキサカが登場したのかはよく分からない。どうして1万年前の親子がここに登場する必然性があったのか。もちろん、アイラもショウイチもエイコもカオルも、ムーとトキサカを知る由もない。ただ1万年前に同じ場所にいたというだけである。
私の個人的解釈では、親子関係の普遍性を描きたかったのかなと思った。はるか遠くの1万年前の世界でも、こうやって亡くしてしまった親を子供が追いかけるという構図があり、親を求める子どもの姿は普遍的なものであるということを示したかったのかなと思った。
本作は非常にスケールの大きな話でもある。人間はどこから生まれたのかという問いに対して、海からという台詞があった。そして死んだ後は星になるという表現もあった。子供が海に向かうということは自分たちを生み出した親に会いに行くために向かうということなのかもしれない。親と海が繋がっているのかと感じ取った。
とある方の本作の感想に夢幻能を取り上げていらっしゃる方が複数いた。私はあまり能に関して詳しくはないのだが、夢幻能とは霊的存在が登場して過去を回想する形で物語が展開する能のことのようである。
能には、主人公となるシテと脇役であるワキ、そして物語の間に入って解説をするアイがいる。夢幻能というのは、ワキである旅行者がその場にやってきたことによって、シテがワキの夢の中で神や霊といった存在となって登場するという形式をとっている。
本作でいくと、ワキに当たるのがアイラであり、海にやってきたことでショウイチというシテが夢の中に登場するという構図に当て嵌めることができるのだろうか。そしてそんなアイラとショウイチを繋ぐアイの存在が、死んでいない者たちなのかなと解釈した。アイは現実世界に存在するものでないといけないため、「死んでいない者」とわざわざ書かれた奏者が該当するのかなと感じた。
そう捉えると、ショウイチだけでなくエイコもカオルもムーもトキサカも全てシテになるのかなとも思う。アイラを主人公に据えて考えると、エイコという人物が15年前にいて、そのエイコにはきっとこんなカオルという娘がいたのだあろうというアイラの中での幻想とも捉えることが出来るよなと思った。
アイラはアイラ自身の夢の中で、自分と同じように親に先立たれてしまったイギリスに留学しているカオルという存在を作り出し、親を亡くして後悔しているのは自分だけではないと思いたかったのかもしれないとも思えた。実際にカオルがエイコという母に先立たれてどうしているかは分からないのである。
また、ムーとトキサカという存在を登場させたのも、アイラの願望なのかもしれない。きっと太古の昔からこうやって親を追いかけて海に向かってやってくる者はいたに違いないという妄想なのかもしれない。
解釈の自由度が広すぎていかようにでも解釈できてしまう本作であったが、なかなかそんな深読みできる演劇作品にも出会えないので観劇できて良かった。
写真引用元:ステージナタリー ヌトミック 新作音楽劇「彼方の島たちの話」より。(撮影:山口雄太郎)
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