「信頼できない語り手」によるモノローグ

 2008年から始まった京都国立近代美術館(以下京近美)のキュレトリアル・スタディズは、「研究対象を所蔵作品に限定せず、美術館活動を通じて研究員が抱いた問題意識をも対象と」する(*1)。今回、特定研究員の渡辺亜由美が抱いた問題意識は、美術館によって提示する「近代美術」の姿が大きく異なるという事実だ。具体的には、前任館の滋賀県立美術館では戦後アメリカ美術がコレクションの柱のひとつとして重視されていたのに対し、京近美ではその存在感が限りなく薄いことに疑問を持ったという。たしかに、京近美のコレクションで「アメリカ美術」に関係するのはモダニズム写真とデュシャンのレディメイドという、かなり限定的な分野である。渡辺はそこにもうひとつの「アメリカ美術」として日系移民作家の作品をかけ合わせてみることにした(*2)。

 そこで彼女がゲスト・アーティストとして迎えたのが荒木悠だ。彼は渡辺が事前に選んだ京近美の収蔵品に向き合いつつ、新たな映像作品を制作し、彼女と協働して展示デザインを手がけた。選ばれたのは国吉康雄、石垣栄太郎、野田英夫という日系画家たちの絵画・写真と、アルフレッド・スティーグリッツとドロシア・ラングによる写真である。荒木自身が日本とアメリカで育った作家であることを考えると、彼女が荒木に声をかけたのは順当な選択のように思える。だが意外にも、荒木が本展のために制作した《南蛮諜影録》(2025)はリスボンで撮影された。この映像作品は、第二次世界大戦中に中立を表明しつつ、連合国とも枢軸国とも取引していたポルトガルで繰り広げられていた諜報戦についてのスパイのモノローグという形式を取っている。

荒木悠《南蛮諜影録》2025 HDヴィデオ、カラー、サウンド 21 分 55 秒 作家蔵 撮影=守屋友樹

 じつは私は、この作品を出発点に、意図された動線のほぼ逆回りに展示を観てしまった。だがそのおかげで興味深い体験ができた。まず、「Reorienting」という展示タイトルに反して、この映像には「disorienting」な効果があった。映像の序盤で語り手は「祖国が戦争を始めたため、自分は敵性外国人となり、カメラまで取り上げられてしまった」という趣旨の話をする。これは国吉の実体験に基づくエピソードだ。だが映像は、表向きは映画監督として暮らしているという語り手の目線から撮られている。また1942年という時代設定にもかかわらず、「私」から「俺」へと一人称を変えた彼は、その眼(=カメラ)で現在のリスボンを捉えながら諜報活動について持論を語る。そもそも、アメリカで敵性外国人となった人物がリスボンに渡ってスパイをしているとすれば、それは本展の英題にある「Across the Pacific」とは逆の「Across the Atlantic」な展開だ。しかも彼は、作品の終盤で撃たれてからも何事もなかったかのように喋り続ける。つまりこの人物は、明らかに「信頼できない語り手」なのだ。

 しかしながら、「信頼できない」のは語り手だけではない。映像の冒頭で「本作品に登場する映像と物語は完全に独立したものであり(中略)関連や結びつきがあるように見える場合があってもそれは純粋に偶然であり意図されたものではありません」というテキストが流れるが、これは真顔で発せられたジョークのようなものだ。なぜなら、「二面性といえば “外交 (diplomacy)”」と語り手が言うとき、画面に映るのは「Le Monde diplomatique」を読む男性であり、彼がその紙面を読み、折りたたむシーンで語り手は「かつてそれは折りたたまれた文書。語源はギリシャ語の『ディプロマ』。『二つに折られたもの』を意味する」などと述べるのだから。つまり、「信頼できない」のはこの映像の語り手であり、つくり手(=映画監督)でもある荒木だ。語り手が作中で自らをそう呼ぶように、荒木自身が「欺術家(con artist)」として観客をだまし、裏切っているのだ。

 この映像による若干の混乱と不信は、ある種マジカルな効果を生んだ。同一壁面にある国吉の写真もまるでスパイが撮影したもののような、信用できないイメージに思え、《仮面舞踏会》(1951)のマスクというモチーフも加わって、展示室自体が欺し欺されるための演劇的な空間として立ち上がってくるかのように感じられたのだ。ほぼ真四角の部屋を仕切るように置かれたフェンスも、日系アメリカ人が戦時中に入れられた強制収容所を想起させるいっぽう、鑑賞者である私自身も監視の対象になったかのような緊張感を感じさせた。その寄る辺ない(disoriented)感覚を多少なりとも方向付けてくれた(reoriented)のが、中央の床に貼られた、方位磁針のステッカーだ。それは奥の壁面に向かって西を指し、そこに国吉の《鶏に餌をやる少年》(1923)があることから、「オリエント(東洋)」である日本から「オクシデント(西洋)」とされるアメリカへと渡った移民作家たちの軌跡を示しているように思われた(*3)。

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