昭和41年(1966年)の開場以来、伝統芸能の上演だけでなく、演劇・芸能関連の資料の収集と活用に努めてきた国立劇場。美術的に優れた名品から歴史的に貴重な資料まで、多岐にわたる所蔵資料から、担当者が「これを見て!」という一押しを紹介するのが、毎月末日に公開する美術展ナビ×国立劇場コラボ連載【芸能資料定期便】です。

第24回の芸能資料定期便は、大正~昭和初期の演芸速記本『娯ご楽らく世せ界かい』とそれに収録された鰭ひれ崎ざき英えい朋ほう(1880~1968年)の口絵を取り上げます。

第2回「本を彩る木版口絵―浮世絵のその後―」(2024年1月)では、国立劇場所蔵の演芸速記本(以下「速記本」)に収録された木版口絵をご紹介しました。
速記本とは、講談や落語などの口演を筆録し、刊行した本で、明治17年(1884年)刊行の三さん遊ゆう亭てい円えん朝ちょうの『怪かい談だん牡ぼ丹たん燈どう籠ろう』が最初といわれています。口絵とは、速記本や小説、文芸雑誌等の巻頭に挿入されたフルカラーの版画で、明治20年代より多く見られるようになりました。口絵は物語の一場面や登場人物を絵画化し、読者に伝える役割を担っていました。

第2回の記事で紹介したもの以外にも、国立劇場は多くの口絵付き速記本を所蔵しており、今回取り上げる『娯楽世界』は28冊あります。『娯楽世界』は全部で約160冊刊行されていると考えられるので、国立劇場所蔵分は全体の17.5%ほどですが、現在、本誌を所蔵している機関は少なく、古書店にもあまり出回っていません。全巻ではないものの、本誌をこれだけ所蔵していることは国立劇場の特色の一つといえるでしょう。

『娯楽世界』(大正8年7月)の表紙(国立劇場所蔵)。表紙の絵は鰭崎英朋による。

『娯楽世界』の口絵を最も多く描いていたのは、鰭崎英朋です。英朋はこの数年で多くの展覧会に取り上げられるようになったので、美術展ナビ読者の方はご存知の方が多いことと思います。2023年に国立演芸場演芸資料展示室で開催した企画展「口絵・挿絵でたどる演芸速記本」でも、英朋の作品を数点展示し、チラシのメインビジュアルには英朋が描いた『娯楽世界』の口絵を用いました。

企画展「口絵・挿絵でたどる演芸速記本」チラシ(2023年)

今回の芸能資料定期便は、企画展「口絵・挿絵でたどる演芸速記本」のチラシで使用したこの口絵について、『娯楽世界』内の本文とともにご紹介します。

まずは英朋がどのような画家だったのか見ていきましょう。

画家・鰭崎英朋
近代以降の歌川派の系譜(筆者作成)

英朋は明治後期から昭和にかけて活動した画家で、主に書籍の口絵や挿絵を手掛けていました。第5回「月岡芳年の門下四天王「右田年英」の実力!」(2024年4月)で紹介した右みぎ田た年とし英ひで(1863~1925年/系譜図内青下線)の門人で、その系譜を遡れば歌うた川がわ国くに芳よしや月つき岡おか芳よし年としに行きつきます。
英朋は美人画を得意とし、『娯楽世界』のほか、『新しん小しょう説せつ』『文ぶん芸げい倶く楽ら部ぶ』『新しん婦ふ人じん』『新しん演えん芸げい』『講こう談だん雑ざっ誌し』『演えん芸げい画が報ほう』など、さまざまな雑誌の口絵を描いていました。また、泉いずみ鏡きょう花かや柳やな川がわ春しゅん葉ようらの小説にも口絵を描き、その世界観を絵によって読者に印象付けました。

『娯楽世界』とその口絵

『娯楽世界』は、大正2年(1913年)~昭和2年(1927年)頃にかけて、毎月1日に鈴木書店から出版されていた演芸速記雑誌です。終刊の詳細は不明ですが、昭和2年4月よりあとの出版が確認できず、4月号が実質最後だったと考えられています。1号につき、15本程度の講談や落語の速記、怪談などの読み物が掲載されていました。口絵には講談や落語に登場する人物が描かれています。

「野木の怪談」『娯楽世界』第5年第1号口絵(大正6年1月、国立劇場所蔵)

展示チラシに使用したのは、大正6年(1917年)1月に出版された『娯楽世界』第5年第1号の口絵です。口元に手を当てうつむく女性と、彼女を見る男性が描かれています。

左上には「野木の怪談参照」とあります。

目次で「野木の怪談」を探してみると、45ページから始まっています。

ここからは「野木の怪談」の内容を、補足を交えて引用しつつ、かいつまんで紹介し、この口絵に描かれた人物・場面を紐解いていきます。

「野木の怪談」を読む

小田原の藩士で美男子の飯いい泉ずみ霧きり太た郎ろうは、奥州への旅の途中。野木宿(現・栃木県下都賀郡)で長なが脇わき差ざし甚じん太た郎ろうに声を掛けられ、宿外れの家に招かれます。

10日ほど経ったころ、甚太郎の家に作助という男がやって来て「野木新田の名主・定右衛門さだえもんの娘が病気なので来てほしい」と訴えます。この話を聞いていた霧太郎は甚太郎に詳細を尋ねました。

甚太郎「〈中略〉此の野木の宿外れに明神様があるだ、其処に法印で観山といふ奴が住んで居ります、四十五六になるまで女房も持ず独身で居るだ〈中略〉今貴下あなたが聞いた病人は定右衛門さんの一人娘でおはまさんと云つて今年明けて十七で洵まことにはア美いい容貌きりょうさの、それには一人娘ではあるし名主様も大事に育て居たゞ〈中略〉観山といふ法印奴めおはまさんにおッ惚れやがつて、来る度毎に手を引ッ張つたり尻を抓つねッたりするだ」

定右衛門の娘である17歳のおはまに惚れた40代半ばの法印(僧)の観山かんざんは、彼女にひどいいたずらをして困らせているようです。

定右衛門は観山の出入りを禁止すると、おはまの体調が悪くなります。医者に診せても原因は分かりません。

毎晩八ッ(※午前1時~3時)の鐘が鳴ると、法印の観山が枕頭もとへ来て熟じっとお嬢さんの顔を見て居る〈中略〉
霧太郎「娘子が彼の姿を見るといふ其の時刻に観山は自宅に居りますかそれとも他出いたしますか、其の辺へんをお調べなされたか」
甚太郎「それだね野や郎ろう奴め密そっと締りを開けて入つて来るに違えねえと斯こう思つて其の時刻に見せに遣つたが」〈中略〉
霧太郎「居りましたか」
甚太郎「居るだね」
霧太郎「フーン合点のゆかぬこと」
甚太郎「居る処から考へると娘子の眼に観山と見(めゝ)えるのは幻であらう」

おはまが枕元で見た観山は幻なのではないか、という話をする霧太郎と甚太郎。霧太郎はさっそくおはまの元に向かい、定右衛門におはまの様子を詳しく聞きます。


定右衛門「夜分になると兎角他人様に会ふことを厭がりまして、それに九ッ(※午後11時~午前1時)過になると燈火あかりを消してしまひまして泣いてばかり居ります」
霧太郎「成程」
定右衛門「八ッ頃になりますと観山が見えたと云つては狂ひます」
霧太郎「貴下方の眼に観山が見えましたか」
定右衛門「ハイ両三度見たことがございます、それも煙けむのやうで」
霧太郎「偖さても不思議、次第によつては狐狸の所業であらうかとも存じまする、何にいたせ拙者が正体を見届けまする」

霧太郎は彼女が寝ている隣の部屋に案内されます。

内に次第々々に夜は更渡り八ッの鐘が鳴ると、何処から入つて来たか一疋の鼠が霧太郎の後の方からチョロチョロと襖の方へ走かけて行く、〈中略〉次の室まに入つたと見えてカタリといふ音がした、同時に娘がウーン
はま「助けて下さい助けて下さい、妾わたしが悪いのだ助けて下さい、観山さん勘忍かんにんして下さい、ウーン」
悲鳴を揚げる、霧太郎是を聞いて偖こそ妖怪と、膝元に引付けて置いた和泉守兼定の一刀、ブツリ鯉口を切て襖を細目に開け娘の病室びょうまを差覗くと、流石大胆不敵の霧太郎がアッと驚きましたが、此の中には何が居りましたか、それは次号に申し上げることゝ致します。

なんとここで終わってしまいました。結局おはまの部屋には何がいたのでしょう。気になる方は次号(『娯楽世界』第5年第2号)を調べてみてください。(残念ながら国立劇場に所蔵はありません…)

展示チラシに使用したこの口絵は、おはまと彼女に執心の観山を描いたものです。もみあげや襟足がやや乱れ、口に手を当てうつむくおはま。本文にも17歳とありましたが、前髪に手て柄がらという布製の髪飾りをつけており、まだ少女であることが絵からもわかります。この口絵ではおはまは美しく描かれていますが、夜な夜な現れる観山のせいで相当疲弊しているはず。その観山は、不敵な笑みを浮かべながらおはまを見つめています。

冒頭でも記した通り、口絵は物語の一場面や登場人物の様子、容貌を読者に伝える役割があります。この口絵は、速記本の読者が、おはまと観山がどのような人物なのか想像する一助となっているのです。
今回は一例のみの紹介となりましたが、国立劇場には数多くの速記本と口絵が所蔵されています。その中には読者の皆様もご存じの演目の速記、画家の口絵があることと思います。この記事をきっかけに、国立劇場所蔵の速記本や口絵に関心を持ってくださる方が増えると幸いです。
この記事で紹介した企画展「口絵・挿絵でたどる演芸速記本」は、ジャパンサーチのギャラリーでどなたでも無料でご覧いただけます。
(国立劇場調査資料課 中澤麻衣)
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