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テクノロジーが世界の見え方を急速に書き換えているいま、わたしたちは、自然をどう捉え直すべきか──。

スポーツウェアメーカーのゴールドウインが2024年に掲げた新たなパーパス「人を挑戦に導き、人と自然の可能性をひろげる」は、自然を単なるリソースとしてではなく、生態系=ネットワークとして再定義する試みとして、注目を浴びた。

この思想の根を深めるべく、ゴールドウインは新たにPurpose R&Dプロジェクトを始動。その第一弾として、パーパスを社内外へと伝搬するべく、地球の運動を“リズム”として捉える書籍『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』を発刊する運びとなった。断片的な自然現象を、循環というひとつのスケールで読み直すビジュアルリサーチともいえる本書は、われわれの都市生活にまで続く恒常性/ホメオスタシスを映し出す一冊となっている。

『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』。本書は非売品です。会期中、選書した書籍を購入した方はお持ち帰りいただけます。

そして12月9日(火)から、本書で表現した思考の射程をさらに押し拡げる約800冊の書籍を集めた書店「Nature Observation Bookstore」が、ゴールドウイン東京本社に期間限定でオープンする。スポーツ、遊び、自然科学、哲学、環境倫理、アート、ものづくりなど、多様な叡智が交差するこのブックショップは、人と自然との関係性を再考するための知の森ともいえる場所だ。

今回はゴールドウインの掲げるパーパスに通底する自然と人間の関係性について、『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』の編集を手がけ、さらには「Nature Observation Bookstore」に並ぶ書籍の選書を担当したブックディレクターの山口博之と、『WIRED』日本版の編集長・松島倫明との対話を通して新たな視座を探る。

「自然のリズム」を可視化する

松島倫明(以下、松島) 改めて今回の書籍『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』を制作するに至った経緯をお伺いできますか?

山口博之(以下、山口) 24年に策定されたゴールドウインの新たなパーパスの本質を、社内外を問わずより解像度高く伝えていくために、国内外の多様な自然を撮り下ろし、写真集という形式で一冊にまとめることになったんです。本書のテーマは「自然のリズムを改めて考え直す」ことで、自然のリズム、つまりは大きな循環とひとつひとつの現象の複雑な関係性を示唆するビジュアルで構成することを心がけました。

山口 例えば雨が降ってそれが山に浸透し、地下を通って川に流れる……といった現象がありますが、ひとつあえて名指せることも、あらゆる現象は関係していて、自然界のなかで循環を繰り返しています。この循環はとても壮大で、その全体像を捉えることはなかなか難しい。

そこで『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』では、断片的な写真という表現ではあるけれども、それぞれをうまく組み合わせていくことで、現象の間を埋めるイメージをもって編集しました。読まれるみなさんの想像力や知識をもって、自然の循環や生態系のような部分と全体の観念をイメージしていただけるのではないかと。

ただし、抽象的なパーパスを写真集というかたちに落とし込むだけでは伝わらないことも当然あります。よりわかりやすく共有する方法を考えたときに、ときにアカデミックに、ときに詩的に、ときにユーモラスに自然の豊かさを教えてくれてきた書籍を併せて提供できたら、それぞれが自分の自然観と接続できるんじゃないかと思ったんです。

資料として数多くの書籍を読み、それを基に考えてきたことを書店という形式で提示することで、ゴールドウインが掲げる人と自然の可能性というパーパスをより理解してもらえるきっかけになると思っています。

松島 『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』には参考文献が載っていませんが、選書された約800冊が本当は参考文献として掲載されていてもおかしくないわけですね。

山口 直接的ではないものも含めて、無数の本から影響を受けています。パーパスやバリューに含まれているいくつかの概念のなかから、「自然のリズム」を取り出したのが『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』なんです。なので、今回「Nature Observation Bookstore」に並ぶ選書のラインナップを見てもらうことによって、『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』で表現したテーマだけではなく、ゴールドウインのパーパスの全体像をつかんでもらえればという意図があります。

松島 『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』に掲載されている写真は今回のために撮り下ろされたとのことですが、どのカットもとても素敵です。はじめは雪山や厳しい自然を切り取りながらも、どんどんと緑が増えていき、読み進めるごとに身近に感じられるのが印象的でした。先程のお話だと、山から街へと水が流れていくようなイメージが念頭にあったのでしょうか?

山口 そうですね。ゴールドウインはスキー用スポーツウェアの製造・販売をルーツとしています。その点も当然意識しましたが、もっと根源的に「人間がかかわる自然」について思いをめぐらせてみたとき、動いている現象や時間を想像できるようなイメージを共有できたほうがいいと思ったんです。なので、雪が降ってくる景色や、水の流れが生まれ、雪の形に溶け込む瞬間をイメージとして写真で捉え、構成していきました。

選書が開く思考の地層

松島 先程『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』を拡張するようなイメージがあったと伺いましたが、今回「Nature Observation Bookstore」をオープンするにあたって、どのような指針で選書をされたのでしょうか?

山口 いくつか道筋はありました。そのなかでも重視していたのは、『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』のテーマでもある「自然のリズム」です。

「Nature Observation Bookstore」のイメージ。会期中はここに約800冊の書籍が並ぶ。

山口 今回、水について、山について、土について……といったように、自然をかたちづくる一つひとつの環境や現象などに着目し、そのテーマごとにレイアウトしています。並んだ本をめぐっていくなかで、それぞれの自然現象がリズムのように続いていく。そういうイメージで本の並びや関係性、見せ方、空間を構成しようと考えました。

会場BGMも同様に、自然現象が起きていく過程や流れを想起させられるように組み立てています。音文化、音響民族誌の研究者であり、フィールド録音作家でもある柳沢英輔さんが長年撮りためてきた環境音を繋ぎ合わせたもので、聴覚から広がる自然のリズム、音の風景も楽しんでいただければと。

松島 展示スペース全体で、ひとつの大陸や地球の自然・生態系を表現するような?

山口 そういう体験になったらうれしいですね。『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』のページをめくる感覚に近いと思います。

松島 選書って、それだけでひとつのアートともいえる行為だと思います。今回、流れをつくるにあたって山口さんがこだわった部分や、来店者に見ていただきたいジャンルはあるのでしょうか?

山口 アルド・レオポルドの『野生のうたが聞こえる』は、パーパスの策定や『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』をつくるときに側に置いていた本でもあるので、ぜひ手に取っていただきたいです。

山口 著者のレオポルドは、人と自然の関係を考える上でとても大切なテーマと考えている「土地倫理」という環境倫理学の概念を提唱した人でもあります。この土地倫理という考え方を通じてレオポルドは、自然を消費、征服すべき対象として捉えるのではなく、生態系のなかの共同体として捉えていくべきだと唱えました。

そしてそのためには、人間の倫理の対象を拡げ、「共同体」という概念を、人間社会から「土壌、水、植物、動物、つまりはこれらを総称した『土地』」にまで拡大していくべきだと訴えました。これは、改めて誰しもが共有すべきテーマだと思います。

松島 この本が、『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』から「Nature Observation Bookstore」をオープンするまでの流れをつくるきっかけのひとつだったということですね。

山口 はい。というのも、この本は長らく絶版状態だったのですが、24年にようやく復刊したんです。環境倫理の本を読んでいると、古典として必ず言及されるほどの本がこれまで読めなかったこと自体とても残念でしたし、世の環境保護のムードに対しても少し不自然に感じていたんです。それがやっと買えるようになったことは、人と自然をめぐる情報環境的にも次のステップに進めている証拠といえるのではないかと思います。

あとはエマ・マリスの『「自然」という幻想 多自然ガーデニングによる新しい自然保護』もとても重要な一冊だと考えています。この本は原生自然(ウィルダネス)を理想として、そこへ回帰するような自然保護ではなく、人と自然がかかわり合いながら手を入れ、運営してく自然の在り方を考える本ですが、『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』をつくるうえで大きな転換点にもなりました。

松島 手付かずの自然なんて存在しない、という話ですよね。

山口 そうです。ゴールドウインはアウトドアアパレルを製造・販売する企業ですし、2027年にオープン予定の、人と自然の新たな原体験を生み出すような大規模ネイチャーパーク「Play Earth Park Naturing Forest」も進行中です。

「人間と自然のかかわり方」というテーマは、当然切っても切り離せないわけです。だからこそ、『「自然」という幻想』で取り上げられているテーマは、みなさんと改めて共有すべき考え方だと思っています。

『Nature Observation Bookstore』についてもっと知る

都市の植物が示す新しい自然観

松島 『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』では、『植物の生の哲学』の著者であるイタリアの哲学者のエマヌエーレ・コッチャをはじめ、ガーデナーのダン・ピアソン、建築家のリナ・ゴットメの3名にインタビューされています。みなさんのインタビューを読むと、園芸のような生活に身近な植物の話がたくさん盛り込まれていますよね。その合間に自然に対する畏敬や畏怖を思わせるような写真が並び、もう一度ヒューマンスケールに立ち返るインタビューが入るという流れになっていて、とてもバランスのよい構成になっているなと思いました。

山口 話が大き過ぎるとわからない、ということはよくあると思うんです。例えば環境問題の解決を期待しながら些細なことを懸命に続けていると、壮大な地球環境にどれほどの効果があるのか時々不安にもなりますし、地球と自らの行動がどう関係しているのか具体的なイメージをもちにくいですよね。

今回「Nature Observation Bookstore」に並ぶ書籍のラインナップからは、雑草と呼ばれるさまざまな植物や家の庭、近所の公園のような些細なことが入り口でもいいんだと感じ取ってもらえると思うんです。ゴールドウインをご存じの方はアウトドアが好きな方も多いと思いますが、もちろん山に関する本も並んでいます。目の前の小さな草花から壮大な風景としての森や山まで、多様な本を読むことで、ご自身がこれまで経験してきた自然とはまた違った視点から改めて自然に接続できる、ということがあるかもしれません。抽象的な本も哲学的な本もあるのですが、入り口は広く用意されていて、奥行きも進めば深いものとして捉えてもらえたらと思っています。

松島 ぼくはよくトレイルランをするのですが、最近は鎌倉の街中を走って海まで行くことが増えています。そのなかで気づくのが、山中よりも街中のほうが植物の種類が明らかに多いことなんです。土着化した鎌倉の植生があり、鎌倉に暮らす方が育てる庭先園芸もある。そこにはアフリカやヨーロッパの植物やオージープランツが育てられていることもあります。つまり世界中の植物が多様にあり、順応している様子が見受けられるんです。

それはまさに自然に人間が介入している証左でもある。ただそうしたものを人間は自然として見つめられていないんじゃないかと思うときもあるんです。今回の山口さんの選書は、そういった「人間が介入した日常の自然」と「まったく手付かずの自然」を、華麗にブリッジしたものになっていますよね。

山口 今回選んでいる『スマートシティとキノコとブッダ 人間中心「ではない」デザインの思考法』という本には、著者である研究者3名と山内朋樹さんという美学研究者で庭師でもある方との対話が掲載されています。そこで展開される山内さんが福島の災害地で見かけた、「都市も自然も同様に萎縮しつつある場所にあって、かろうじて秩序だった風景をつくろうとする切実な意図」としてのパンジーを植えるという行為から展開されていく話がとても興味深いんです。

多くの環境が都市化され、同時にジル・クレマンがいう「第三風景」的な自然環境があるなかで、人はいかに自分たちの秩序をつくるのかということを考えるきっかけとして、植物を植える行為「パンジーネス」を取り上げているんです。ヒューマンスケールを超えた都市と、人間の思惑を超えて生きる自然の野生と、自分のコントロール可能性としての自然が、スケールの違いを超えていかに接続可能かを問うているともいえる。

山口 今回「Nature Observation Bookstore」に来られる方々は都市に住まれる方がほとんどだと思いますが、本を読む行為は自分たちの日常に立ち現れるその接続可能性について考えるひとつのきっかけになってくれたらとも思っています。またその先に続く人間の管理を超えた自然のリズムや時間の連続性をも想像する機会にもなるのではないかと考えています。

本は人間と自然の関係性を編み直せるのか

松島 壮大な自然と、眼前に拡がる人間に管理された自然との接続を考えるにあたって、本が果たす役割をどう捉えていますか?

山口 本というメディアのよさは、読むという行為に付随する、付き合わなきゃいけない時間が長いことだと思うんです。その時間は、読みながらずっと目の前のテキストから想起するさまざまなことを考え続けている時間で、それは継続的な時間という意味で省略不可能なものでもあります。いまの時代、タイムパフォーマンスを要求されますし、それを解決するメディアも多いですよね。「10分で解説!」のようなWeb記事や動画もあれば、楽しいショート映像も無限に流れてきてつい見てしまう。でもそれでは、常にやってくる情報に左右され続けて、考えが熟成されていかないんじゃないか。

山口 本の場合、書かれている事柄が、自身が抱えるぼんやりとした考えにくっきりとした輪郭を与えてくれることもありますし、逆に自分の具体的な経験が、本に書かれている抽象的な概念について新たな視点をもたらすこともある。本と自分が対話するようなフィードバックをし続けるためにも、ネットワークと接続していない閉じた状況が生まれるということに、紙の本のメリットを感じてもいます。

今回ネイチャーライティングに関する本もさまざま置く予定なのですが、まさに読み飛ばすと意味がない本の代表ともいえるジャンルですよね。例えば「あの柳の木に鳥が止まって鳴いている。風が吹き、葉が揺れ、鳥は周りを見渡しながら飛び立った」といった自然を見たときの描写が続いていきます。著者はその時々に五感で感じ、得た感覚や情報を表現に落とし込んでいるわけですが、その描写とそれを読む時間そのものが大切で、自分が体験した自然やイメージも想起しながら、書かれた自然を想像するジャンルでもあります。

松島 ネイチャーライティングは、AIに要約されにくいジャンルともいえますよね。

山口 その通りです。山や海での経験や、断続的もしくは連続的な時間、断片的に残った記憶といったものをつなぎ直す役割を、ネイチャーライティングは果たすことができる。つまり自然体験と本を読むことの連続性があると思うんです。

松島 ネイチャーライティングのよさはいまお話にもあった通り、ひとつは自然と対峙したときの「ままならなさ」が表現されていることだと思います。そしてもうひとつは、いわゆるマルチスピーシーズ的な気づきを与えてくれること。今回トーマス・トウェイツの『人間をお休みしてヤギになってみた結果』のような本も選書されていますよね。ネイチャーライティング自体、自然讃歌のような話に終始してしまうこともありますが、現代に求められているのは、そういうマルチスピーシーズ的な視点がちゃんと提示されているもののような気もします。

山口 文化人類学者の奥野克巳さんをはじめ、日本人と親和性のあるアニミズム的な視点が改めて取り上げられる機会も増えてきましたよね。レオポルドも全体性を捉えることが大事だとしているなかで、部分ではなく流れや関係性、全体像をつかむという考え方は、東洋的なアニミズムやマルチスピーシーズ的な視点と非常に親和性があると思います。選書している最中も、その点はすごく意識していました。

人・自然・AIが同じアクターになるとき

松島 『WIRED』は今回選書されている『ホール・アース・カタログ』の流れをくんでいるのですが、マルチスピーシーズ的な視点をAIのようなテクノロジーも込みで語ることが多いんです。要するにAIエージェントもスピーシーズの一種ではないかと。

山口 ブリュノ・ラトゥールが提唱したアクターネットワーク理論でいうアクターの一員ということですね。

松島 そうなんです。自然発生的なオーガニックな知性とテクノロジー上のシリコンの知性を同じアクター、同じスピーシーズとして捉えているわけです。この考え方を取り入れられたら、AIを恐怖の対象として捉える欧米的な感性よりも、もっと豊かな捉え方ができるし、豊かな文脈を紡げるんじゃないかと思うんです。そういう意味では、AI研究者やイノベーションを起こす人こそが、マルチスピーシーズ的な考えを教養として学んでおく必要があるんじゃないかと。そういう人たちにとっても、今回の『A STUDY OF THE RHYTHM OF NATURE』は重要だと思いました。

山口 アニミズム的な視点が大事なのは、奥野さん流にいうなら「人間だけが地球の主人/マスターではない」ということを改めて認識できるからではないでしょうか。自分たちが見ているからには、対象からも見られている。それが自然のなかであることだと思います。AIに関しても、人間が生み出した情報を収集して、それを逆照射してくる感覚がありますよね。われわれがAIを使い見ているんだけれども同時に見られているような。そんな感覚はアニミズム的な捉え方に近いといえるのかもしれません。それを監視し合う脅威として捉えるか、あるいは全体のなかでの互恵的なものと捉えるか。いろいろな目線があるのだと思います。

松島 おっしゃったように、AIに意識があるかどうかという議論はよく取り沙汰されています。この議論で鍵になるのは、見る/見られるという関係が続く無限のインタラクションのなかにしか意識的なものは生まれないという捉え方です。そう考えたときに、庭先のパンジーの鉢ひとつでもいいし、雪山の頂上を登ったときの荘厳な景色やその場の気温でもいい。そうした自然とのインタラクションのなかから立ち現れてくるものを感じることこそが、パーパスで伝えたいメッセージなのかなと思いました。

山口 人と自然、どちらの可能性も開く。それがゴールドウインのパーパスなので、人間だけでもなければ、自然だけでもないんです。互いにかかわり合いがあるなかでその可能性を開いていくことがパーパスだと考えると、まさにおっしゃっていただいた通り、自然と人とのインタラクションのなかでこそ生まれるものが、「人と自然の可能性をひろげる」ことなのかもしれません。そしてそもそも、人と自然の可能性とは何なのか。アミニズム的視点で見たとき、人と自然はどのように作用しあっているのか。その解像度を高め、これからの社会を想像するための場として、『Nature Observation Bookstore』にお越しいただけると幸いです。

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