うまく説明できないけど、いい映画だった。そういった感想を素朴に抱くことができるのは、いい映画の証なのかもしれない。
三宅唱監督の最新作『旅と日々』も間違いなくそういった類の映画と言えるのは、おそらく本作が劇的なドラマやセリフによって言語的に展開される作品ではないからでしょう。
そういう作品にこそ音楽を通じて向き合ってみたい——。音楽家の千葉広樹の連載「デイドリーム・サウンドトラックス」第3回は、音楽を切り口に『旅と日々』が描き出したものについて考えていきます。
寡黙なドラマ、鮮烈な「情景」、そこに身を置くシム・ウンギョン演じる主人公
三宅唱監督の最新作『旅と日々』は、3つのパートで形成されています。つげ義春の『海辺の叙景』『ほんやら洞のべんさん』をそれぞれ原作とした前半と後半、その中間部のオリジナルパートという構成です。
セリフも少なく、わかりやすく劇的なドラマが繰り広げられるわけではありませんが、それゆえに味わい深く豊かな作品となっています。
あらすじ:強い日差しが注ぎ込む夏の海。ビーチが似合わない夏男(髙田万作〈「高」は「はしご高」が正式表記〉)がひとりでたたずんでいると、陰のある女・渚(河合優実)に出会う。何を語るでもなく、なんとなく散策するふたり。翌日、ふたりはまた浜辺で会う。台風が近づき大雨が降りしきる中、ふたりは海で泳ぐのだった……。つげ義春の漫画を原作に李(シム・ウンギョン)が脚本を書いた映画を大学の授業の一環で上映していた。上映後、学生との質疑応答で映画の感想を問われ、「私には才能がないな、と思いました」と答える李。冬になり、李はひょんなことから訪れた雪荒ぶ旅先の山奥でおんぼろ宿に迷い込む。雪の重みで今にも落ちてしまいそうな屋根。やる気の感じられない宿主、べん造(堤真一)。暖房もない、まともな食事も出ない、布団も自分で敷く始末。ある夜、べん造は李を夜の雪の原へと連れ出すのだった……。
その中で強烈な印象を残すのは海辺の風景や雪景色といった「情景」、つまり映像そのものです。圧倒的なショットの数々は、原作を忠実にトレースしたものも含め、観客に多くのことを物語ります。本作はドラマやテーマ性で観客をリードするのではなく、映像そのもので感じさせる作品と言っていいかもしれません。
本作に向き合うにあたっては、情感豊かな映像(情景)と主人公・李(シム・ウンギョン)の視点、という構図を意識するといいかもしれません。では、両者はどのような関わりを持っているのか。
前半の夏パートでは、李は『海辺の叙景』を劇中映画化する脚本家としてメタ的な視点から作品に参加し、中間部で徐々にその存在が映画の中で前景化、後半の『ほんやら洞のべんさん』をもとにした冬パートでは中心人物として描かれていきます。
夏男(高田万作)と渚(河合優実)、夏パートより / ©2025『旅と日々』製作委員会
べん造(堤真一)と李(シム・ウンギョン)、冬パートより / ©2025『旅と日々』製作委員会
まず重要なのは、来日した韓国人脚本家の李の視点・主観が形を変えながらも、作品の主体として一貫して描かれていること。しかもその構図の見せ方が決してわかりやすいものではないのも興味深いです。
夏のパートでは鉛筆を走らせるを走らせる様子から李の視点をメタ的に描出し、中間部では「視点」を切り取るメタファーとしてフィルムカメラが持ち込まれ、その後の冬パートでの李の「主観」が徐々に際立っていく——。
こうした映画のありように、鮮烈な「情景」に溶け込む主人公・李の主体としての「主観」、という全体の構図を見ることができるわけです。
中間部のオリジナルパートでフィルムカメラを受け取る李 / ©2025『旅と日々』製作委員会
