木竜麻生

木竜麻生

2025年10月、俳優・木竜麻生への注目が高まった。主要キャストとして出演した映画「秒速5センチメートル」と「見はらし世代」が同日に公開され、NHKの夜ドラ「いつか、無重力の宙で」では主演を務めた。

割り切れない、言葉にできない、曖昧で揺れ動く感情を表現し、観客に体感させることができる彼女の演技は、コンピューターでは決してプログラミングできない、俳優が演じることの醍醐味に溢れている。

この演技はどうやって生まれているのか? 「秒速5センチメートル」の水野理沙役を軸に質問を重ねた結果、彼女の演技が作り手と観客、どちらからも信頼される理由が分かるインタビューとなった。

「私にしか歩けない道を歩きたい」

木竜麻生

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——あるニュースメディアで配信されていた木竜さんのインタビューに、要約すると「自分は昔からいい役者さんだと知っていた。今頃注目するなんて遅い」というコメントがついていて、「その気持ち、分かるわー!」と思いました(笑)。

木竜麻生(以下、木竜):うれしいです!(笑)。

——初めて主演した映画「菊とギロチン」(2018)は、木竜さんが大学3年の時に撮影されて、24歳の時に公開されました。その後、作家性の強い監督の映画を中心に出演し、31歳の秋にいよいよ“注目の人”となったわけですが、同業者と自分を比べて焦ることはありましたか? 早い人は10代から華やかな場所で活躍するお仕事なので。

木竜:最初の頃はありました。(原宿でスカウトの)声をかけてくれた時からずっと横にいてくださっている事務所の方が、「俺にはもう道が見えている。何歳の時には◯◯をやってるから」と自信満々に言うんですけど、それを聞くたびに「えー! 遅っ! あと何年も先じゃないですか!」と言っていて。焦っていたんだと思います。その想定もどんどん先延ばしになっているんですけど(笑)、今はもう“何か”や“誰か”と比べて焦ることはだいぶなくなりました。多分私は、「誰かみたいになりたい」と思ったことが、人生で実はそこまでないんだなと思っていて。もちろん、好きな映画や俳優さんの素晴らしい表現に触れると、「どうしたらこんな顔ができるんだ!」と思うことはありますが、じゃあその人になりたいかというと、そうではなくて。私には、「私にしか歩けない道を歩きたい」という欲張りな願望がありまして(笑)。私の歩みは一般的に見るとすごくゆっくりだと思います。作品もちゃんと、“選ぶ”というと偉そうですが、自分がやりたいと思うものをやらせていただいています。瞬間的に「いいな」「それやりたかったな」と羨ましく思う気持ちになることもありますが、そういう時は「私は私にしかできないことをやってるんだ!」と自分を鼓舞したり、「こういうものを積み重ねて、こんなふうになって、いずれこんなことを自分はやりたくて」と、長い時間軸で物事を見たりする。そういうことが、前よりできるようになったかなと思います。

——作品をご自身でちゃんと選ばれているのだろうな、と思っていました。どうやって選んでいますか。

木竜:オーディションも、(指名で)役のお話をいただく時も、自分の中で「面白い」と思えたり、「この人と一緒にお芝居をしてみたい」「この役を自分がやってみたい」と思えるものを選ぶようにしています。変な言い方ですが、自分がちゃんと責任を持てる形で作品に関わる方が、自分が踏ん張れると思うんです。あとで誰かのせいにできる状況ができていると、自分の弱さから、心のどこかで「誰々が『やった方がいい』って言ってたしな」と、自分に言い訳をしてしまいそうで。それが性に合っていないんです。その上で、「この原作です」や「こういう形です」ということに惑わされず、脚本をちゃんと読んで、プロデューサーや監督など、その作品を作りたいと思っている人の話をちゃんと聞いて、自分で選んでいけるようになりたいなと、年々思うようになっています。

——作品の話題性や規模感などに惑わされず、作品の本質を見極めたいということですね。そうやってキャリアを重ねてきて、注目度が高まったことで、木竜さんの意識に変化はありますか?

木竜:作品への取り組み方は始めた頃からあまり変わらないので、たまたま作品が重なったことはありがたいなと思いつつ、だからといって特別盛り上がることはなく(笑)。作品それぞれを今までと同じ目線で見ることができているなと思います。

——カンヌ国際映画祭に参加しても浮かれることなく?

木竜:今回は「見はらし世代」チームの一員として行かせていただいて。世界にはこんなふうに映画があって、映画が好きな人たちがこんなふうにいて、映画を共通言語に街全体でお祭りをしていて。そういうものをチームの皆さんと感じる楽しさがありましたが、どちらかというと自分のことよりも、団塚(唯我)監督に、一番近くで「おめでとうございます」と言えたうれしさが大きかったです。だから意外と浮き足立つことなく、自分がこれからも映画に関わっていく上で、「映画が好きだ」という純粋な気持ちを忘れずにいたいなと改めて思いました。

ドラマの醍醐味を教えてくれたのは宮藤官九郎

木竜麻生

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——14歳の時にスカウトされた当時は「俳優になりたい」「お芝居をやりたい」とは思っていなかったとか。「映画が好きだ」という気持ちは、どのように育まれていったのでしょうか。

木竜:上京してお仕事を始めると、いろいろな方が「この映画面白いよ」「どこどこでやってるから見た方がいいよ」と教えてくれて、映画館に観に行くようになりました。映画の現場で、映画が好きで、映画を作ることに全力を注いでいる人たちに触れたからというのもあると思います。自分が映画を作る側に関わりながら、観客にもなっていって、徐々に好きになっていったのだと思います。

——「木竜さんが好きな映画は?」と聞かれたら?

木竜:好きなものを聞かれて答えるの、いつもちょっと恥ずかしいです。いろいろバレる感じがして。

——分かります。本棚を見られる、とかも。

木竜:本棚はめちゃくちゃ恥ずかしいです!(笑)。定期的に見返す映画は、ヤスミン・アフマド監督の「タレンタイム」です。すごく好きで、アンコール上映があると、その都度映画館に観に行きました。多民族国家のマレーシア映画で、いろいろなルーツを持つ学生たちのお話です。監督の優しい眼差しに感動して、映画館で1人でジンワリ泣いて、立てなくて。すごく優しいものを見せてもらって、「こんなことが映画でできるんだ!」と感動したのを覚えています。

——好きなドラマはありますか?

木竜:小中高とものすごいテレビっ子で、宮藤官九郎さんのドラマは全部見ました。次の週を楽しみに待つという、ドラマの醍醐味を教えてくれたのは宮藤さんの作品だと思います。「タイガー&ドラゴン」「流星の絆」「木更津キャッツアイ」「池袋ウエストゲートパーク」はDVD-BOXを持ってます! 宮藤さんの作品は、当時はただただ面白くて笑いながら見ていたのですが、年齢や経験を重ねてから見返してみると、「こんなに人のおかしみや哀しみ、人生の切なさを描いていたんだ……」と気付くようになりました。

役に対する疑問は
嘘がないところまで準備をする

木竜麻生

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——木竜さんの演技を見ていると、「このキャラクターは、今、本当にそう思っているんだろうな」と感じるんです。

木竜:うれしい! めちゃめちゃうれしいです!!

——木竜さんの動きや表情に作為がないから、そのキャラクターの気持ちがノイズなしに入ってきます。その瞬間の感情を既存の型や言葉にはめずに、人間の感情の曖昧さや揺れをそのまま表現しているというか。そういう演技ができるのはなぜなのでしょう。

木竜:うわー、鳥肌が立ちました。うれしいです。実際にどれだけできているかは分からないんですけど、役が話していることや、役が起こす行動に対して、嘘をつきたくないという感覚がすごくあります。私があまり器用ではないので、そう思っていない時は、そのまま思っていない顔になるんですよね(笑)。事務所の方に一回指摘されて、「あ! そうなんだ!」と。

——バレた、というか気付かされた。

木竜:はい。指摘されたことに対して、「確かにあそこは、自分の中で落ち切らないまま言葉を発してしまったかもしれない」と思い当たるところがあって。それもあって、「どうしてこれを伝えたんだろう」とか、逆に「どうしてこれを伝えなかったんだろう」という役に対する疑問は、嘘がないところまで準備をするようにしています。

——どんな準備をしますか? 「秒速5センチメートル」で演じた理沙でいうと、遠野(松村北斗)に謝られた理沙が「遅いよ」と突き放した後に、うれしそうに「でもありがとう」と言う。あの表情も台詞の言い方も素晴らしくて……! あれは、準備をした上で、現場で松村さんと演技を交わす中で、より生々しい感情が発露するのでしょうか。

木竜:そこまでちゃんと計算はできていないんですけど、その人の内側がどんなふうに動いているか、その人にどんなリズムが流れているか、なるべく丁寧に準備して、感情を、フラスコから水が溢れる寸前のような状態にしておかなければいけないと思っています。台本があるので、松村さんが演じる遠野から何を言われるかはどうしたって分かっているんですけど、やることを決めてはいかないです。何が起きても受け取れる余白を残しておきます。そして、現場では相手のお芝居をちゃんと聞いて、ちゃんと受けるようにしています。

——そこで生まれたものを観客に伝えるために、台詞の練習もものすごくしていますよね……?

木竜:はい。「練習している」と自分で言うのは恥ずかしいですけど(笑)。

——なぜそう思ったかというと、木竜さんが言う台詞は、自然なのに全てちゃんと入ってくるんです。聞き取れない言葉がない。その場しのぎではなく、独りよがりでもない。準備段階で自分に染み込ませているから、相手のお芝居にリアクションしながら微調整できるのではないかなと。

木竜:うわー、うれしいです。声に関しては、お芝居を始めたばかりの頃に、いろいろな方に注意していただいたきました。芝居をしているその空間で相手に聞こえていても、映画を見ているお客さんに聞こえなければ伝わらないので、普段の話し方とは違うんですよね。本当に話しているみたいなんだけど、あくまで作品の中での声の出し方、伝え方みたいなことを、今も絶賛修行中です。「見はらし世代」も「秒速5センチメートル」も、自分の身近な人との会話のトーンを作りたいという意図が作品にあったので、そこに合わせた話し方ですが、台詞がお客さんに聞こえないという状況にはしたくなくて。だから台詞に関しては、台本を開いて役の声を出した瞬間に、「あ、違う」「これも違う」という試行錯誤をめちゃめちゃやってます。家で、独りで(笑)。

——自分の声の録音はしますか?

木竜:していません。今後は聞こえ方も意識したいと思っていますが、今は、普段の自分がしゃべる感覚で、役としてもしゃべれるようになりたいという段階です。役の台詞を、自分が本当のことをしゃべっているように言いたいんです。だからいつも、「うーーー」「音がーーーー!」「声が見つからない!」と悶えています(笑)。それはまだ準備としては「0」か「1」くらいの段階なんですけど、そこをサボると土台がグラグラなので、そこから「2」「3」「4」とどれだけ足しても厚みのあるものにならない気がしていて。それが全部映画に直結することなので、「0」や「1」の準備こそきちんとやらなければいけないと、自分で自分のお尻を叩いています(笑)。

「秒速5センチメートル」の
理佐を演じて

木竜麻生

木竜麻生

——役へのアプローチとして、自分の経験値を役に注ぐ方法と、役を通して経験しながらリアクションしていく方法がざっくりあるとして、木竜さんはどのようにアプローチしていますか?

木竜:お仕事を始めたばかりの時は、自分の中から出す方法しかやれなかったですし、そういうものだと思っていました。でも、いろいろな役をやらせていただいたり、触れる機会が増えたりすると、「ん? その感情の経路は前にもやってないか?」という疑いを、自分に対して持つようになってきたんです。監督やプロデューサーに何か言われたわけでもなく、勝手に。

——自分の感情のパターンや癖、バリエーションを疑うようになった。

木竜:そう思い始めてからは、役と自分を重ねるというよりは、役の横を歩く感覚もありつつ、役を正面から見るようになっていきました。役へのアプローチの仕方を私は一つに絞れていませんが、毎回思っているのは、「自分が自分の役を誰よりも一番好きでいよう」ということ。作品全体のことを誰よりも分かっている監督と、自分の役についてだけは、対等に話せるところまでは必ずいきたいです。「秒速〜」の時は、奥山(由之)監督が、「皆さん、自分の役に、何か一つ個人的なものを持ち込んでください」とおっしゃったんです。奥山さんがみんなを信じようとしていることを感じてうれしかったですし、いつもと違うアプローチができることにワクワクしました。

——理紗に持ち込んだ木竜さんの“個人的なもの”とは。

木竜:多分それは理紗の性質のほとんどを占めているような気がするんですけど、人の思っていることや感じていることを肌感覚で分かってしまう瞬間があって。分かった上で、遠野を傷つけたいわけでも突き放したいわけでもなく、自分のことも大事にしようとしたから選んだ言動があった気がします。私も「この人は今こう感じているだろうな」ということに対して、基本的には自分をフィットさせてしまうタイプなんですけど、ある一定ラインからは、自分のことを完全に大事にしようと思っていて。理紗が最終的には自分のことを大事にできたところは、私がそういう自分でありたいという理想を、理紗ちゃんにやってもらったという感じです。それは、水野理沙という人間の内側に通せるものだと思いましたし、遠野との関係性的にも、自分で自分のことを肯定して自己受容するというのは、やっている子じゃないかなと思っていました。

——だからこその、「遅いよ」と「でもありがとう」ですよね。

木竜:理紗は、遠野が向き合ってくれて、死ぬほどうれしかったと思うんですよね。それと同時に、「今だったんだ……」という思いもあって。「でもありがとう」という言葉は、あの時の、何にも優った素直な気持ちだったような気がします。本音を忍ばせて遠野さんをチクチク刺すのではなく、理紗ちゃんが正面切って「遅いよ」と言えたのが良かったです。「笑いながら遠野さんに悪態つけたね」って。

——松村さんの演技を受けてそうなったのでしょうか。

木竜:脚本を読んでいる時も、実際に松村さんのお芝居を見ても、怒りや悲しみの感情で言うのはあまりイメージできなかったんです。あそこはある種の“希望”が詰まっているシーンだなと私は勝手に思っていたので。忘れられないものがある人が、忘れられない自分自身に向き合って、心情が変化して、また人と関わるという希望。そういうふうに2人を見てもらえたらいいな、観ている人にも光が差したように感じてもらえたらいいなと思っていました。

これまでのキャリアを振り返って

木竜麻生

木竜麻生

——木竜さんのこれまでのキャリアを振り返って、一番うれしかったことと、悔しかったことを教えてください。

木竜:家族が作品を映画館で見てくれて、感想を話してくれるのは毎回うれしいです。もちろん観客の方に見ていただくのはどれもすべからくうれしいんですけど、やはり両親や兄から「見た」と言われると、毎回心の底から「ありがとう」という気持ちが湧きます。両親は、演技をしている私を娘として見ないんです。役として、作品として見て、すごく素直な感想をくれるのが毎回うれしいです。「鈴木家の嘘」(18)のキネマ旬報の授賞式に、プロデューサーの方が家族を招待してくれて、両親と兄から私へのお祝いコメントをこっそり撮って、それを編集してくださったんです。自分が東京で働き始めてから出会った人と、自分が生まれた時からずっとそばにいてくれた人たちが、うれしすぎる交わり方をしていて、愛でしかないなって……。「一生宝物にするぞこれは」と思いながら、動画をいただいた覚えがあります。

——見返しますか?

木竜:たまにします! なんでもない時にも見ますし、「鈴木家の嘘」の話題になって、当時のあれこれがわーっと蘇った時にも見ます。それとはまた別に、プロデューサーの方が打ち上げで上映するために作ってくれた、撮影当時のメイキング集もあって。そういう映像を見返すと、パワーがチャージされる感覚があります。

——では、悔しかったことは? あの悔しさがあるから、今がある、というような。

木竜:今はあまり思っていませんが、「菊とギロチン」が終わって数年間は、悔しいと感じる時がありました。その日その日にいっぱいいっぱいで、「もっとやれたんじゃないだろうか」、「あの時にああできていたら」と。撮影直後は事務所の方に「もう映画には出られないと思う」とお話しするほど落ち込んでいましたが、今思うと、あれ以上でもあれ以下でもなく、あれがあの時の私の花菊(※役名)だったと思いますし、出来上がった「菊とギロチン」というものを私はちゃんと愛せています。瀬々(敬久)監督やスタッフの皆さんがどれだけ支えてくれていたのかも、年々分かるようになってきています。瀬々さんが違う作品(「とんび」)に呼んでくれた時は、背筋がキュッと伸びながらも沸々と、死ぬほどうれしい気持ちが湧いてきて。どの作品もそうですが、自分が映画に関われているということを、毎回ちゃんと喜べていないといけないなって思います。

——木竜さんが仕事をする上での軸や目標、大切にしていることはありますか?

木竜:このお仕事を始めていなかったら、こんなにも自分のことを見つめることも、自分についてちゃんと考えることもなかったと思うんです。自分のことを拒否しながら、拒否している自分が嫌で、ちゃんと受け入れたいと思ったりもして。そういうことって、他のお仕事でもあるかもしれないんですけど、早い段階からそういうことを続けることができているのは、この仕事をしているからだなと思っていて。私、この仕事を始めるまで、自分が自分のことを嫌っていることに気付いてなくて。

——おお…! 自分のことを嫌いな人は珍しくないですが、自分を嫌っていることに気付いていなかった自分に気付いた人は珍しい気がします。

木竜:はい(笑)。お芝居に触れたことで、「私、自分のこと全然好きになれてないんだな」と気付いたところがあって。このままでは他の人のことを好きになれないし、他の人を愛せないし、他の人と優しくし合うことができないんだなということも感じて。自分を見つめることで、ただ落ち込んでネガティブになるのではなく、反省を学びに変えていくというマインドセットは前よりできるようになってきたので、それは変わらず続けていきたいです。私は自分にも人にも優しくありたいという気持ちがすごくあって。映画も、いろいろな作品がありますが、自分が「面白い」「好き」と感じる映画には、私は優しさを感じている気がしていて。だから、人にも、起きている出来事にも、自分の手を伸ばせる範囲の人たちには、私のできる限りで優しくしたいし、そのために嘘をつきたくないし。特にお芝居をする時は、いつもありのままの自分からスタートできるようにしておきたいなと思っています。それはもしかしたら作品だけでなく、どんなお仕事でも大事に持っているところかもしれません。

PHOTOS:MASASHI URA
STYLING:TAKAFUMI KAWASAKI
HAIR & MAKEUP:RYO

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