ホーム > インタビュー&レポート > 「報復の連鎖が果てしない世界情勢に対する
不安な気持ちに寄り添うような映画を作りたい」
父を殺した敵への復讐を誓う王女・スカーレットの
“死者の国”での旅を描く復讐劇
映画『果てしなきスカーレット』細田守監督インタビュー

「報復の連鎖が果てしない世界情勢に対する
不安な気持ちに寄り添うような映画を作りたい」
父を殺した敵への復讐を誓う王女・スカーレットの
“死者の国”での旅を描く復讐劇
映画『果てしなきスカーレット』細田守監督インタビュー

第82回ヴェネチア国際映画祭“アウト・オブ・コンペティション部門”に選出された、細田守監督の最新アニメーション映画『果てしなきスカーレット』が、TOHOシネマズ梅田ほか全国にて上映中。

シェイクスピアの『ハムレット』をモチーフに、父の仇を討つことができなかった16世紀のデンマークの王女スカーレットが“死者の国”で、現代の日本からやって来た看護師・聖と出会い、衝突を繰り返しながら、父を殺した敵への復讐を果たすべく旅をする様を描く。

芦田愛菜、岡田将生、役所広司、市村正親、吉田鋼太郎、斉藤由貴、松重豊ら豪華キャストが顔を揃えた話題作だ。そんな本作の公開に先立ち、前作『竜とそばかすの姫』以来、4年ぶりの新作となる細田守監督が作品について語った。

──前半のある部分で、もしかしてこれは『ハムレット』では?と思いました。日本映画でシェイクスピアをモチーフにした作品というと、黒澤明監督の『リア王』を下敷きにした『乱』や、『マクベス』を下敷きにした『蜘蛛巣城』がありましたが、最近は…。

日本ではあまり作られた作品がないんですよね。黒澤映画の中では、『マクベス』をモチーフにした『蜘蛛巣城』は本当に素晴らしいと思っています。

──本作はシェイクスピアで、前作『竜とそばかすの姫』では『美女と野獣』がモチーフになっていました。監督の中にヨーロッパの古典に対する思いがあったのでしょうか。

『美女と野獣』は17世紀のフランスの話で、『ハムレット』は16世紀のデンマークの話なんですが、日本では珍しいというか、黒澤監督ぐらい巨匠じゃないと有名な古典に手を出しちゃいけないんじゃないのかな(笑)。巨匠でもない監督が、『ハムレット』をやっていいのかな?と(笑)。

──そんなことおっしゃらないでください。

そもそもは、復讐劇をやりたいと思ったのが始まりでした。世界のいろんな場所で戦争や紛争が起こっていて、報復の連鎖が止まらないわけですよね。改めて復讐劇を見直してみると、復讐劇の元祖と言えば『ハムレット』だと思って、そこから考え始めました。最近の日本映画では、いろんな題材を盛り込んだ作品があまりないので、そういった意味でもすごく面白くなるんじゃないかと思いました。

──復讐劇をやりたいという思いが先にあって、そこから『ハムレット』を思い描かれたんですね。

最初から『ハムレット』ということではなかったです。これだけ報復の連鎖が果てしなく続く世界情勢になってくると、きっと誰もが不安定な世の中を憂いて不安を感じているのではないかと思ったんです。特に若い人がそういう風に感じてるのではないかと考えて、不安な気持ちに寄り添い、未来を肯定的に捉えられるような映画を作るべきではないかと思いました。

──本作の舞台のほとんどが”死者の国”でした。

『ハムレット』の中で、亡霊になった父親のハムレットが息子のハムレットに向けて「私を殺した相手を許すな」と言うんですが、そこで”死者の国”が描かれているので、今回の舞台にしました。僕は、高校の時に初めて『ハムレット』を読みましたが、改めて読み返すと、父親が「許すな」と言うことに違和感があって。もし自分だったら「許せ」って言うんじゃないかと。そして、もし「許せ」と言ったら、ハムレットはどう考えるのか。もっと悩むんじゃないか?と思ったんです。

──すごく悩むと思います。

だから、本作でスカーレットは「許せ」という父の言葉を聞いて、むちゃくちゃ混乱しますよね。なんで許さなきゃいけないんだって。きっと、誰もがそう思いますよね。「許すな」と言われる方が自然というか。なぜ許さなきゃいけないんだと思うということは、逆に言えば、許すということがいかに難しくて、いかに大事なことなのかと。

──なるほど。

つまり、報復の連鎖には連鎖があるので、どこかで誰かが「許せ」と言わないと、そのループが終わらないわけですから。普通は、それでも許せないものなんですよね。本作は、400年前の『ハムレット』をモチーフにしながら、映画を通して復讐について考えていくことで、新しい表現ができるんじゃないかと思ったんです。scarleti_sub2.jpg

──私も、国王であるスカーレットの父親が「許せ」と言っていたという描写を観て、「許せ」ってどういうこと!?と思いましたが、そこからさらに面白くなっていきました。

まさに、ハムレットというのは苦悩する主人公ですから。苦悩してこそハムレットなので。ある意味では、「生きるべきか死ぬべきか」と悩むシェイクスピアのハムレット以上に、本作のスカーレットは苦しんでるんですよね。それは、自分がどうやって生きればいいのかという苦悩でもあると思うんです。

──確かに、劇中でスカーレットは父の「許せ」という言葉を聞いて、さらに苦悩していました。

スカーレットは王女でありながら、ひとりの女性でもある。きっと、心の中ではもっと別の生き方があるんじゃないかと考えてると思うんです。ただでさえ王女なので、国や国民など、いろんなものを背負っている彼女が、違う生き方だったら自分はどうなっていただろう?と考えることにリアリティがあるんじゃないかと。王女ではなくても、きっと誰もがそういう風に考えたことがあると思うんです。違う生き方だったらどうなんだろうと思わない人はいないと思うので、この映画の中では誰しもが感じたことのある、そういう苦悩も表現したつもりです。

──芦田さんは、そんな苦悩するスカーレットの姿に重なる気がしました。

芦田さんは、そういう部分にすごくリアリティを持って演じてくれたと思います。きっと芦田さんも違う生き方だったらと考えたことはあると思いますし、自分に照らし合わせてスカーレットに共感してくださったんじゃないかと思います。

──スカーレットが苦悩して叫ぶところは、今までの芦田さんのイメージからはかけ離れていたと思います。声の激しさというか、強さというか。

そうですね。芦田さんは、すごく聡明で可愛らしい方というパブリックイメージがあるので、この映画を観ると驚かれる方は多いと思います。吉田鋼太郎さんも「スカーレットの声が芦田愛菜ちゃんに聞こえない」と言ってましたね。

──わかります。

きっと、芦田さんの内面には全く人に見せていない、大人の女性としての一面があるのに、誰もがパブリックイメージで可愛らしい姿ばかりを求めるんですよね。でも、彼女の中に違う一面があることが、今回、存分に発揮されたんじゃないかと思います。

──アニメーションだからこそ、見せることができた芦田さんの一面だったと思います。実写になるとパブリックイメージに引っ張られてしまったのではないかと…。

そうだと思います。アニメーションだからこそ、彼女の内面には何があるのかということを表現できたという点でも、本作を面白く感じてもらえると思います。これは芦田さんだけではなく、他の俳優の皆さんもパブリックイメージとは異なる人物を演じている方が多いと思います。

──そうですよね。日本人看護師の聖を演じた岡田さんも、今まで聞いたことのなかったような、包容力と優しさを前面に出した声だと思いました。

岡田くんは美男子なので、外見に引っ張られてクールに見えるかもしれませんが、実際はめちゃくちゃ優しい人なんです。役所広司さんも普段はいい人を演じることが多いと思いますが、今回はクローディアスという、思いっきり悪人であり敵役なので。それぐらい幅の広い役を演じられる俳優さんなんですよね。scarleti_sub3.jpg

──役所さんは、『バケモノの子』以来、4作品連続で監督の作品に出演していますが、それは監督の中に役所さんへの信頼感があるからなのでしょうか。

信頼感があるのはもちろんですが、役所さんを素晴らしいと感じるのが、全然別の役をやってるのに、どれもその人の声に聞こえることなんです。『竜とそばかすの姫』は、主人公のお父さん役で、『未来のミライ』はじいじの役、その前の『バケモノの子』は熊のバケモノの役ですから(笑)。『バケモノの子』の熊徹の声を聞いてると、もう熊徹にしか聞こえないし、『未来のミライ』のじいじは、じいじにしか聞こえない。それがすごく不思議なんです。

──確かに、そうですね。

声色を変えているわけでもないのに別人に聞こえるんですよね。声優さんは、声色を変えられるからすごいんですが、役所さんは声色を変えてないのに、こんなにも多彩な人物を演じることができる。声色を変えてないから自然ですし、それでいてそうとしか見えない。収録の時に役所さんに「なぜ別の人に聞こえるんですか」って聞いたんです。役所さんは「いや、一生懸命やってるだけです」とか、「監督の言われた通りやってるんです」としか仰らないんですけど。不思議ですよね。

──不思議ですよね。熊徹とクローディアスは同じように聞こえないですから。

かつての日本映画は、そういうことが多かったんですよね。黒澤明監督の作品で言うと志村喬さんという俳優さんが、『七人の侍』では島田勘兵衛という、すごく立派な侍大将を演じたかと思えば、『生きる』では、渡邊勘治という、無気力に日々を過ごす公務員のおじさんを演じていて。全く同じ人だと思えないんですよね。その感覚に近いと思います。往年の映画は、俳優自体が少ないから大体同じ俳優が出ていたので、黒澤映画も三船敏郎さんをはじめ、同じ俳優さんが出てることが多いんですよね。

──確かにそうですね。三船敏郎さんは黒澤明監督の作品に何度も出演されて、毎回違う役を演じて、違う印象を残しています。

当然、作品のお話が別ですから、毎回違う役を違うように演じなきゃいけないんですが、それが面白いというか。驚かされますよね。同じ俳優さんなのに全く同じに見えないので。役所さんには日本映画の文脈としてそういう血が流れているんだと思うんです。役所さんもそうですし、染谷将太くんも今回4回目なんですが、染谷くんにも同じようなものを感じていて。全部違う役柄だけど、ちゃんと違う人になってるんですよね。そういうところが俳優さんの演技の面白いところだと思います。

──役所さんや染谷さんに、そういう魅力を感じてらっしゃるんですね。

宮野真守くんもそうですね。もちろん、同じ人ばかりではなく、新しい方にもお願いしたいと思っていますが、すごく素晴らしい俳優さんだと感じると、またお願いしたいと思ってしまいますね。役所さんや染谷くんも、引き続き作品に出てくださって嬉しく思っています。

──今まで監督の作品は夏に公開されることが多くて、3年ごとぐらいのタームでしたが、今回は前作から4年後の冬の公開になりました。時間がかかった理由というのは何だったのでしょうか。

3年おきだったら、去年の夏に公開するべきなんですが、そうじゃなかったのは、新しい技術、新しいアニメーションの表現、見せ方を模索していたからです。日本のアニメーションと言えば、手書きアニメーションですが、そういうものでもなく、かといってピクサーやディズニーのような3Dでもなく、もっと新しい表現、2Dと3Dのいいところを合わせたようないい表現はないかと思って開発していたら4年半かかってしまいました。

──『竜とそばかすの姫』も新たな表現が見られたと思いますが、それを経たからこそ、新しいことに挑戦したいと思われたのでしょうか。

『竜とそばかすの姫』は、物語の舞台の約半分がインターネットの世界なので、CGでやることに必然性がありました。それで手応えを感じたので、それを発展させて、インターネットの世界というエクスキューズをしなくても見せられるように発展させられたらと思って、ずっと試行錯誤していたんですが、なかなか難しくて。時間もお金もかかってしまって、夏も通り越して秋冬になってしまったんです。でも、生と死がテーマの作品なので、どちらかといえば秋冬に向いた映画なのかな、と思ってます。scarleti_sub4.jpg

──確かにそうですよね。例えば、『未来のミライ』は夏のイメージがありますもんね。

『未来のミライ』は、家族の中の命のループがなければ今の自分は…という物語でしたが、実は本作とも連続性はあるんですよね。ある意味では、今回の方がよりはっきりしたかもしれません。

──そうですね。監督の作品を見ていると、どんどん世界に目を向けてらっしゃるように感じています。それは、監督が数多くの世界の映画祭に出てこられた経験も影響しているのででしょうか。

今は、世界中で日本のアニメーションが見られています。ヒットしている作品もありますが、映画の質としても世界の映画祭の中で日本のアニメーションが存在感を発揮する必要があると思うんです。『未来のミライ』や『竜とそばかすの姫』ではカンヌ国際映画祭に呼んでいただいて、今回はヴェネチア国際映画祭に呼んでいただきました。

──ヴェネチア国際映画祭はいかがでしたか。

実写映画ばかりのラインナップの中、ポツンと1作だけアニメーション映画で、しかも日本の作品。今回のヴェネチアのラインナップは有名監督ばかりだったんです。ジム・ジャームッシュやキャスリン・ビグロー、ギレルモ・デル・トロとか。そんな中に『果てしなきスカーレット』があって。それは、ヴェネチア国際映画祭に相応しい作品だと見られてるということなので、映画芸術作品としてちゃんとアピールしたいと思いました。それに加えて今回は、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントというアメリカの映画会社と東宝の共同配給ということも大きな影響があったと思います。

──ソニー・ピクチャーズと東宝さんの共同配給ということは、世界で公開されるんですね。

日本で公開しながら、世界でも配給して公開するので、広がりがあると思います。それに合わせて内容がこのようになったわけではなく、この内容で作ろうとしたら、ソニー・ピクチャーズの方が乗ってくださったんです。

──海外の映画祭を訪れる中で、新たな発見はあったのでしょうか。

映画の需要が世界中で変化していると思います。今は配信があるので、日本のアニメーションに馴染みのある方がすごく増えてますし、今は吹き替えなし、要するに字幕で見る方が増えているんですよね。どちらかと言うと字幕の方がいいという方が。そういう意味では、アニメーション作品を見せるハードルというか、壁がすごく低くなったように感じています。一種のリテラシーが世界中に広がりつつあるんだと思います。そういう意味では、アニメーションを世界に向けて作りやすくなっているんじゃないでしょうか。以前でしたら、大々的に「世界進出」と謳われていたと思うんです。

──ありましたね。

そういうものではなく、海外で見られることがごく普通のことに変わっていくんじゃないかと思っています。以前は、アメリカや世界に進出しようと思ったら、世界の内容に見合った作品を作らなきゃいけないという意識があったと思うんです。でも、今はそうではなく、普通に日本の観客に向けて作ったものを、そのまま海外の皆さんも楽しむようになってきましたよね。3、40年前の海外に向けた作品は、いかにもアメリカのアニメのように作っていましたから。

──そうだったんですね。

『リトル・ニモ』という日米合作の映画があったんですが、それはアメリカのアニメーションのスタイルなんです。でも、その当時はそれが正解だと思われていたんです。それから40年ぐらい経って、日本と世界の壁がなくなって、誰もが楽しめるようになって、新しい世界に踏み込んでいると思うので、その中で新しい作品、より未来に開かれた作品を作るべきなんじゃないかなと思っています。

──世界の映画祭に参加したからこそ、そのように考えるようになったのでしょうか。

本作は生と死をテーマにした、すごくスケールの大きな作品になりました。ある取材で「『アラビアのロレンス』みたいでした」と言われて、僕は『アラビアのロレンス』を目指したつもりはないんですが(笑)。日本のアニメーション映画の可能性が開かれているからこそ、より内容も世界にふさわしいものを作っていかないといけないと思います。でも、それは決して世界中の人のためにと気負って作るのではなく、日本の映画である以上、日本の人に向けて作るものですから。だからこそ、今回の映画にも聖という日本人の看護師が出てきますが、僕らは日本人なので日本映画に日本人の聖が出てくるのは普通のことじゃないですか。

──そうですね。

でも、外国の方からは、これは東西の融合だとか、東西の相互理解を深めるために、スカーレットと聖はいるんですかと聞かれて。いや、全然違いますよ、と。聖については、日本で作った映画だからですよって(笑)。

──本当にスケールの大きな作品でした。生と死をテーマにするというのもある種のチャレンジだったのではないでしょうか。

僕にとっても、まさかという感じがしています。こういう大きなテーマにたどり着くなんて、映画って面白いですよね。scarleti_sub.jpg

取材・文/華崎陽子

(2025年11月21日更新)

Tweet
Check

Leave A Reply