独自の世界観と作家性で世界中のファンを魅了し続ける映画監督・押井守が、Aだと思っていたら実はBやMやZだったという“映画の裏切り”を紐解いていく連載「裏切り映画の愉しみ方」。第4回は、日本を代表する巨匠・今村昌平監督によるドキュメンタリー映画『人間蒸発』(67)。どこまでが真実なのかわからない内容で50年以上語り継がれる名作を、押井監督がその製作過程から分析していく。
連載初の邦画作品で異色ドキュメンタリーの『人間蒸発』を語る!
「今回の“裏切り”は途中からドキュメンタリーではなくなったこと」
――今回は今村昌平の『人間蒸発』です。監督が警察の失踪者リストから選んだ新潟県出身のセールスマンの跡を、彼の婚約者に役者の露口茂をリポーターとして組ませて追いかけるドキュメンタリーなのですが、途中から様相がおかしくなる。映画のジャンルで言うとモキュメンタリーになるんでしょうか。公開時は“今村昌平のドキュメンタリー”という触れ込みだったんですか?
「今村昌平が撮る初めてのドキュメンタリーとして、当時の映画小僧たちは注目していたんだよ。きっと凄い映画、えげつない作品になるぞとみんな期待していた。私もその一人だったから」
――「えげつない」ですか。
「その言い方が一番ふさわしいんです。なぜなら今村昌平は人の心のなかに土足で踏み込むの大好きな監督。『えげつない』という表現が一番合っている。さんざんその辺を土足で歩き回り、蒸発した婚約者を引きずり出すような野心作というか問題作になるんじゃないかって期待したわけですよ。
このころの今村昌平は興信所に夢中だったと言われている。興信所をつかっていろいろと調べ上げて映画に使う。脚本を書きながらキャラクターをいじくりまわすよりも、はるかにそっちのほうがおもしろいだろうって。劇映画ではなくドキュメンタリーの手法で自分がやってきたテーマを追求できるんじゃないかと思ったんだよ、たぶん。まさに事実は小説よりも奇なり。実人生というのはこんなにもおもしろいんだという監督だったから、果たしてどんなドキュメンタリーになるのか、そりゃあ楽しみだったよね」
――でも、完成したのはドキュメンタリーじゃなかった…
「そう。途中からドキュメンタリーじゃなくなっちゃった。今回の“裏切り”はまさにそこ。おそらく、成り行きだったんだと私は思っている。最初は蒸発してしまった人間に興味があってこの企画を起ち上げたんじゃないかな。その蒸発人間を追いかければおもしろいドキュメンタリーになるだろうと思いスタートした。ところが、撮っているうちに興味の対象が蒸発した男より、彼を探す婚約者とその姉の関係のほうに移って行った。とりわけ、妹の婚約者である蒸発男とデキていたに違いないお姉さんがおもしろく、姉妹の間では疑心暗鬼の軋轢が始まり、監督もそっちのほうに興味が移っちゃった。
なぜ姉妹を撮ろうと思ったかというと、まさに今村昌平が考えている日本女性の典型だったからですよ。たとえ着飾り、知識をつけようとも深層心理のまた奥底のところでは近代化されていない土着の女。えげつないくらいの生命力の塊。袋叩きにしても死なないような女。要するにタフなんです。どんな証拠を突きつけられても平気で嘘をつける。彼の映画に登場する女性はそういうタイプばかり。『赤い殺意』(64)の春川ますみなんて、自分が写っている証拠写真を見せられても平気な顔して『私じゃない』と言い切れる――これが今村昌平の信じている日本の女性像なんです」
カンヌ国際映画祭で2度の最高賞を受賞した今村昌平監督(写真は1998年撮影)[c]EVERETT/AFLO
――そういう監督の大好きなタイプの女性とはからずも出会ってしまい、方向転換してしまったということですね?
「これからどうするのかという作戦会議をちゃんと映しているあたりから、これはちょっとおかしくないかという感じになり、露口茂がウソっぽい恋愛をやり始めてますますおかしくなる。フレームの外から声を掛けてるでしょ。あれは監督の演出であり、言ってみれば演技指導そのもの。おもしろそうなほうに誘導しようとしているんです。『でも、こういうふうに思わなかった?』みたいな感じで言葉巧みに誘導する。私もそういうことはよくやるけど、今村昌平はそれが本当に上手い。詐欺師になったら絶対に成功するタイプですよ(笑)。
そのお姉さんが出てきて映画がそっちにシフトして行くのがよーくわかるんだよ。婚約者に蒸発されてしまった女性もホンモノ、そのお姉さんもホンモノ、周囲の会社の同僚等もホンモノ。みんなリアル生活者だよ。そういうなかに露口茂を放り込むことでなにかが起きることを期待したからドキュメンタリーを止めちゃったんだと思う」
