松任谷由実が11月18日にリリースする40枚目のオリジナルアルバム『Wormhole/ワームホール』は、初めての“Yumi AraI”というアーティスト名義による作品でもある。
自身の旧姓である荒井のアルファベットつづりは「A」に始まり、「I」で結ばれる。日本のトップアーティストである“ユーミン”は、このアルバムを自身の最高傑作にすることのほかに「AIと人間との共生」をもうひとつの大きなテーマに掲げた。
40枚目のオリジナルアルバム『Wormhole/ワームホール』 ユーミンがテーマに掲げた「AIとの共生」
最近はテクノロジーの業界でも「AIが曲を作る」という話題を耳にする機会が増えた。しかし、ユーミンが本作で挑んだ「AIとの共生」は、それらとはまったく異なるアプローチである。AIという技術やツールを音楽制作の負担を軽くしたり、便利に活用することが、ユーミンと彼女を支えるクリエイターたちの目的ではなかった。その志は、アルバムに収録された12曲すべての音符に血が通い、休符の静けさにさえ感じる温もりから伝わってくる。AIと向き合うことを決めた理由を訊ねたら、ユーミンは穏やかに微笑みながら「目的はね、心に届けることだから」と語った。その言葉と表情が深く印象に残った。
では、具体的にどのような「AIとの共生」が実現したのだろうか。筆者が注目したのは、本作のボーカルトラックのために考案された「Chrono Recording System(クロノレコーディングシステム)」という独自の制作手法だ。
荒井由実、そして松任谷由実としての長きにわたるキャリアの中でユーミンが制作してきた音源は、膨大な数のマルチテープに残されている。その中からボーカル部分のトラックを抽出して、Dreamtonics社が開発する音声合成ソフト「Synthesizer V(シンセサイザー ブイ)」にラーニングさせて、荒井由実と松任谷由実の声を再構築・合成した。本稿ではこれを「第3の松任谷由実」の声と言い替えることにしよう。
なお、Synthesizer Vを開発するフア・カンル氏は、Forbes JAPANが世界を変える30歳未満の30人を選ぶ「30 UNDER 30」の2022年受賞者だ。
例えばアルバムの4曲目として収録された『岩礁のきらめき』では、松任谷由実による生の歌声がリードしながら、「第3の松任谷由実」との美しいハーモニーが随所に展開される。そして「第3の松任谷由実」によるコーラスが、バンドの演奏とともに楽曲の世界観に深みをもたらすことで、目の前に鮮やかな情景を浮かび上がらせる。そこには驚くほど“AIっぽさ”がない。





