『正体』(24)で第48回日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した藤井道人監督が、名キャメラマン・木村大作と初タッグを組んだ最新作『港のひかり』(公開中)。全編35mmのフィルムカメラで撮影された本作は、能登の海に生きる人々の姿と、北陸の厳しくも美しい自然を圧倒的スケールで映しだす。キャストには、7年ぶりの単独主演を務める舘ひろしを筆頭に、歌舞伎界の新星、尾上眞秀、眞栄田郷敦、黒島結菜、斎藤工、市村正親、笹野高史らベテランと次世代の実力派俳優たちが集結。

本稿では、藤井監督の現場を長年取材してきた物書きのSYOが、本作における“藤井監督の新たな挑戦”を分析し、映画番組「舘ひろしシネマラウンジ」で舘と共に映画をナビゲートする映画評論家の伊藤さとりは、“キャスト陣の演技と人間味”にフォーカス。そして、本作の現場に密着してきた映画ライターで文筆業の奈々村久生が作品の根本にある“普遍的なテーマ”を読み解く、三者三様の視点から本作の魅力を探るクロスレビューをお届けする。

過去を捨てた元ヤクザの漁師、三浦(舘)は、ある日、いじめを受ける目の見えない少年、幸太(尾上)と出会う。心に傷を抱える二人は、次第に互いの存在に救われていくが、三浦は幸太の治療費を稼ぐため、かつて敵対していたヤクザの取引を襲い、金を奪う決意をする。やがて12年の歳月を経て、刑事になった幸太(眞栄田)と“おじさん”として憧れていた三浦は再会を果たすが…。

知らない世代の心や魂をどう描くか…藤井道人監督が名優と名匠と共に超えた世代間の壁(物書き・SYO)

藤井道人監督との付き合いは6年ほどになるだろうか。肩書きや慣習に捉われないオープンで熱心な彼は、脚本執筆や撮影、編集作業といった映画が生み出される各フェーズで声をかけてくれてきた。敬愛する映画人であり、一人の作家として“推し”でもある彼が、撮影:木村大作×俳優:舘ひろしと組むと聞いたときは驚いた。『新聞記者』(19)から続くスターサンズの河村光庸プロデューサーが遺した企画であり、『ヤクザと家族 The Family』(21)で藤井監督の演出に感銘を受けたという舘が再タッグを熱望し、『最後まで行く』(23)以来の仲である岡田准一が藤井監督を木村と引き合わせたと聞けば納得感は漂うが、座組はもちろん、物語の内容やテイストがこれまでと全く違っていたからだ。

漁業組合の会長は三浦と幸太の交流を見守る漁業組合の会長は三浦と幸太の交流を見守る[c]2025「港のひかり」製作委員会

『港のひかり』は、能登の漁村を舞台に元ヤクザの漁師・三浦が盲目の少年・幸太と交流し、世代を超えた友情を築く物語。ネグレクト状態の幸太の手術費を稼ぎ、彼を光の当たる場所に連れて行こうと決意した三浦は、堅気の人生を投げうち――。クリント・イーストウッド監督の名作『グラン・トリノ』(08)が念頭に置かれたという本作は、「自己犠牲」をテーマにしたクラシックな香り漂う重厚な一作。藤井監督はヤクザものや時代劇に新風を持ち込んだ『新聞記者』「イクサガミ」など、これまでは作風的にも世代的にもアーバンでスタイリッシュな持ち味を活かして伝統をリビルドする作り手だったが、『港のひかり』は真逆となる。伝統を自分に引き寄せるのではなく、裸一貫で渦中に飛び込む決断――約10年にわたる監督生活で確固たるスタイルを築いた彼が、ある種のスクラップ&ビルドに身を投じたのには相当な覚悟が必要だっただろう。

筆者自身、オフィシャルライターとして『DIVOC-12』(21)から『パレード』(24)『正体』「イクサガミ」、新作映画『汝、星のごとく』(2026年公開)に至るまで様々な藤井組の現場に足を運んできたが、クランクイン初日に訪れた『港のひかり』の現場はイレギュラーの連続だった。モニターがない撮影環境、全編フィルム撮影、FIX(固定)がメインの画作り、昭和の時代に飛び込んだような空気感等々――30代の我々世代が知らない昔ながらの映画づくりが繰り広げられていたのだ。脚本段階でテイストは把握していたが、藤井監督は『ヴィレッジ』で古典芸能、『パレード』で学生闘争と河村Pとのタッグ作で「知らない」世界に挑んできたため、自分の中でなんとなく「こういう感じで臨むのかな」という先入観が出来上がってしまっていた。それが現場でぶっ壊され、編集段階で意見を求められて観賞して衝撃を受け、完成版を観てさらに驚かされた。これまで自分が抱いていた世代間の壁――知らない世代の心や魂はどうやっても描けないという“当たり前”が瓦解したからだ。三浦という昔気質な主人公を通して、変化に取り残されて消えゆく時代そのものが作品に宿っていた。『港のひかり』は藤井監督史上最高齢の主人公となり、恐らく親世代よりも少し上の「人生の倍以上を生きている」人物の心根をどうやってバイアスをかけずに描き切ったのか…眼前に広がる物語世界に慄いたことを、鮮烈に記憶している。その領域に達せたのは、間違いなく陣頭指揮をとっていた木村大作と発起人でもある舘ひろしの力によるものだろう。『港のひかり』は、2人が当世代のリアルな感覚を持ち込み、藤井監督が作品としてまとめ上げた対話の結晶ともいえるのではないか。そう考えると、本作が果たす重要な意義――異なる世代の融和が存在感を帯びてくる。

舘ひろしが演じる三浦は、藤井監督史上最高齢の主人公となる舘ひろしが演じる三浦は、藤井監督史上最高齢の主人公となる[c]2025「港のひかり」製作委員会

2020年代は過渡期の時代といわれるように、良きも悪しきも見直され、何を先の時代に受け継ぎ何を置いていくかの仕分け作業が社会全体で行われている。その過程では世代交代の必要性が叫ばれているが、超高齢化社会×超少子化問題の構造上スムーズには進まず、世代間の分断は広がるばかりだ。若者は年長者の感覚がわからないし、年長者は若者についていけない。そんな時代に、異なる世代のクリエイター同士が互いに歩み寄り、手をつないで同じ釜の飯を食い、共に生き、一つの作品を創り上げること。その実例としても、失われゆくなにかを遺した記録としても、『港のひかり』という映画の方舟は希望の光に満ちているのではないか。

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