2025年11月11日更新
2025年11月14日より丸の内ピカデリー、新宿バルト9ほかにてロードショー
押井守、若き時代の静謐なる黙示録
初公開から40年。当時、一介の学生にすぎなかった自分に「天使のたまご」(1985)は、監督・押井守が果たせなかった劇場版「ルパン三世」の落穂拾いや雪辱戦といった印象を抱かせ、やがてデジタル・バックロット(※)による実写作「アヴァロン」(2001)そして「ガルム・ウォーズ」(2016)へと連なる異世界イメージの原型として位置づけるようになった。ゆえに今回の最新レストアによる劇場復活は、押井神話の源流に立ち戻り、本作を前述した文脈から解き放って再検証するための好機といえる。
沈みゆく都市を舞台に、謎に満ちた卵を抱いて生きる少女(声:兵藤まこ)と、夢の中で見た鳥を追う少年(声:根津甚八)。二人の間に芽生えた絆は、卵の破壊とともに潰え、世界を支えていた希望も崩壊していく――。商業娯楽主義のただ中にあった1980年代の日本アニメ界において、本作は極めて高邁なアート性のもと、哲学的かつ聖書的象徴に満ちた世界観を提示した。信仰と虚無、そして幻夢と現実の関係性を問いかけ、能動よりも受動に訴える映画であり、今回の高画質・高音質化は長い歳月を経てようやく辿り着いた必然、あるいは遅すぎた恩寵と言うべきものかもしれない。

(C)押井守・天野喜孝・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ
この4K修復版では、35mmフィルムを高精度にスキャンし、絵画のように緻密なプロダクションデザインや光彩の質感が本来の姿でよみがえった。モノラル音源をDolby Atmosへ再構成したサウンドは空間の奥行きを拡張させ、音と映像の融合が沈んだ都市に不気味な生々しさを与えている。天野喜孝ならではのゴシックな退廃美は時を経ても色褪せず、現代の観客に当時と変わらぬ衝撃をもたらすことだろう。
シンボリックな機械じかけの太陽のもと、滅びゆく文明の廃墟を彷徨う主要キャラの姿を通し、本作はそれら存在のうつろいと儚さを観る者の内に共有させる。もっとも、視覚面や音響面での解像度が高まるに併せ、思索を促す物語展開の抽象性もいっそう研ぎ澄まされ、我々を容赦なく翻弄する。だが、それこそが「天使のたまご」という作品の本質であり、全体像を理解するためではなく、沈黙とイメージの流れに身を浸すための映画なのだ。
近年「紅い眼鏡」(1987)や「機動警察パトレイバー the Movie」正続(1989・1993)など、押井守作品の4Kレストア上映が相次いでいるが、本作こそがそうした潮流の真打ちといえる。アニメーションという表現形態が、いかに形而上的でポエティックな領域に到達し得るかを、これほど明確に示した作品を自分は他に知らない。あとは鑑賞する己れ自身が、この向上した映画の質感に見合う感受力を、経年相応に磨けていることを願うばかりだ。
(※)実際のロケーションやスタジオセットを使わず、俳優をグリーンorブルーバックの前で撮影し、背景をすべてCGで合成する制作手法を指す。発展形式として、LEDウォールに3D背景を投影し、リアルタイムで撮影を行なう「ヴァーチャル・プロダクション」が挙げられる。
(尾﨑一男)
