日本のホラー漫画は世界でも評価が高い。本年、漫画のアカデミー賞ともいえる米アイズナー賞の殿堂入り選ばれたホラー漫画家がいる。それが「富江」「うずまき」などの作品で唯一無二の世界を発信している伊藤潤二だ。彼が生み出す恐ろしくも美しい世界は、ホラー愛好家のみならず、ファッション業界も魅了している。株式会社ヨウジヤマモトの「サイト(S‘YTE)」や「ユニクロ(UNIQLO)」「ペイデフェ(PAYS DES FEES)」「ミキオサカベ(MIKIO SAKABE)」など、数多くのブランドがこの世界観を衣服に落とし込もうとしている。なぜ、彼の作り出す恐怖はかくも美しいのか。その世界にせまる。

ホラー漫画家、伊藤潤二ができるまで

WWD:漫画家になられた経緯を教えてください。

伊藤潤二(以下、伊藤):元々漫画は遊びで描いてはいたんですが、高校を卒業した当初は、歯科技工士になろうと決意していたので早々にその道に進みました。歯科技工士という仕事には非常にやりがいを感じていたのですが、体力的になかなか大変な面も多かった。そんな中で、朝日ソノラマの雑誌「月刊ハロウィン」でずっと愛読していた楳図(かずお)先生の名前を冠した新人賞が創設されたと知り、そこに応募したいと思い、漫画家を目指しました。結果佳作を受賞させていただき、兼業漫画家としてデビューしました。

WWD:歯科技工士だけでも忙しい中、大変な作業だったのでは?

伊藤:仕事をしながらアイデアを練って、休みの日に作画をするという毎日を3年ほど続けました。当時の社長がとても理解のある方で、仕事量も調節してくれていたのですが、それも心苦しくなり、いよいよ漫画一本で行く、となった次第です。

WWD:デビュー作が代表作として今も愛されている「富江」です。富江の前に完成させた作品はあるんですか?

伊藤:描いていたものはあるんですが、どれも鉛筆などで終わっていて作品として完成させたのは「富江」が初めてです(笑)。

朝日新聞出版「ー伊藤潤二傑作集1 富江ー<上>」

WWD:初めての作品が「富江」とはすさまじいですね。なぜホラー漫画でデビューしようと思われたのですか?

伊藤:最初に読んだ漫画が楳図先生の漫画で、その後基本的にホラー漫画にしか興味がなかったんですよ。古賀新一先生だったり日野日出志先生、つのだじろう先生の作品で育っていまして、自身の原体験はホラーに染まっています。私が子どもの頃はオカルトブームの時代で、ノストラダムスの大予言などが流行り、それにゾクゾクしていた世代でした。

WWD:まさに、純血のホラー漫画家ですね。ホラー・パニック映画からの影響も大きいように見受けられます。

伊藤:そうですね。「オーメン」のダミアンのようなキャラクターも描きましたし、「エクソシスト」はいまだに私のナンバーワン映画です。「エクソシスト」からはドキュメンタリーのような格調を感じ、そのリアリティーの出し方も参考にしています。自分がそういった環境で育ったので、ホラー作品がメインになるのは必然でした。

米アイズナー賞殿堂入りと海外の反応

WWD:ホラー映画をコミカライズした「フランケンシュタイン」が2019年、先生の初のアイズナー賞の受賞作品になりました。

朝日新聞出版「伊藤潤二傑作集10 フランケンシュタイン」

伊藤:はい。何度も映画化されている作品ですが当時、ケネス・ブラナー監督の同名映画が公開されることになり、それに合わせてコミックスを1冊描いてほしいというオファーがあったのです。原作のフランケンシュタインに出てくるクリーチャーは過去の映画作品に出てくるようなただの怪物ではなく、自身の意思があり悲しみを背負った存在です。そういった部分を意識して描きました。

WWD:そこから全部で四度のアイズナー賞受賞を経てから今年の殿堂入り、誠におめでとうございます。同じホラー漫画家の水木しげるさんとの同時殿堂入りとなりました。

伊藤:ありがとうございます。とても名誉なことです。ですが今まで四度も受賞させていただきましたが、また次も取れるのか、みたいなプレッシャーがずっとあったので、殿堂入りしたことでそこから解放されたのが嬉しかったです(笑)。ノミネートが決まってから受賞までは、そわそわしっぱなしでした。

WWD:水木さんも伊藤さんもホラー作家ですが、お二人が殿堂入りした、ということはやはり日本のホラー漫画のおもしろさや芸術性が海外でも評価されたということでしょうか。

伊藤:ストーリーはもちろん、水木先生や楳図先生の作品は非常に芸術性が高いですからね。そういった部分が海外でも人気になるのはわかります。

WWD:作品を描くとき、海外でどう読まれるかを意識していますか?

伊藤:いえいえ。基本的に、掲載される雑誌の読者の顔を想像しながら描いています。デビューした「月刊ハロウィン」は少女向けホラー雑誌なので、少女の恋心をテーマに持ってきたり、大人向けである「ビッグコミック」に掲載される時は原作をつけてもらったりと、そのように描き分けています。

WWD:ご自身では、海外でも人気になった理由をどのように感じていますか?

伊藤:意識的にインパクトのある一枚絵を描こうと考えていますので、そういった部分が受けたのかな。ある種、ネットミームのようにパロディされて人気になったのではないでしょうか。

SNSでコスプレをする人も多かった富江のイラスト ©ジェイアイ/朝日新聞出版

伊藤潤二が恐れる「恐怖」とは

WWD:別メディアで、最も怖いのは「死」と仰っていました。有史以来人類の永遠の恐怖だとは思いますが、先生はどのような部分が怖いですか?

伊藤:はい。まずは死に方の恐怖。死ぬ瞬間にどんな痛い思いをするのか、苦しい思いをするのか。まずはそこに恐怖があります。

WWD:伊藤さんの漫画のキャラクターは悍ましい死を迎えることも多いような(笑)。

伊藤:はい(笑)。ぺっちゃんこに潰されてしまったり、サメや猛獣に食われてしまったり、ぐちゃぐちゃになったり。僕はそういうものが怖いので、それが人を恐怖させると知っているので描けているのかなと思います。もう一つ、死んだ後も怖いですね。天国や地獄はあるのか、それとも完全な無になるのか。どっちにしても怖いです。

WWD:自身の作品で、これは恐ろしく描けたと思う死の表現はありますか?

伊藤:自身の意志と関係なく、死へ進んでしまう話を描けた時は恐ろしいものが描けたなと思います。狭いところに入らなければならずどんどん進んでいく話や、自殺を勧めてくるキャラクターと話すうちに死ななければいけないと思い込むようになったりなど……。

WWD:死以外で、先生が怖いと思うものは?

伊藤:例えば、宇宙空間に一人で放り出されて永遠の孤独をさまよったり、辺境の気味の悪い土地に飛ばされてしまいそこに怪物がいたり。あとは単純に大きいものも怖いです。狭いところにずっと閉じ込められたりするのも怖いですね。

WWD:自身は、怖がりだと思いますか?

伊藤:だと思いますね。小さい頃に友達と怪談を語り合ったりして、自らホラーへ近づいていくんですが、その結果本当にトイレに行けない時期が続いたりしました。それでも、不思議と離れていくことはありませんでしたが。

WWD:怖さを紛らわすために、明るい漫画を読んだり。

伊藤:それはなかったですね(笑)。ホラーだけでなくUFOなどの超常現象もそうですが、ミステリアスなものに楽しみを感じていたので、明るい漫画を読もう、と思ったことがなかった気がします。漫画は最初に言ったようにホラーばかりでしたし、それ以外のものでも実話怪談の元祖のような心霊写真の本を読んだりしていました。

WWD:心霊写真といえば、作品の中には意外なほど「幽霊」を題材にしたものがないような。

伊藤:ええ、確かに。意識的に避けてあまり描かないようにしています。非常に人気のあるホラージャンルだと思うんですが、それゆえに普通に幽霊が出てきて怖い!では面白みがないように感じてしまって、もう一味欲しいなと感じます。別ストーリーを大事にした結果必然性がある場合には、幽霊が登場することもありますが。

WWD:幽霊が怖くないのかと思いました。

伊藤:いやいや怖いですよ(笑)。「リング」や「呪怨」も怖いし、特に先に挙げた心霊写真のような実録系のものは本当に怖い。憎しみが全面に出ている顔だったり、本当に怖いですね。

伊藤潤二とファッション

WWD:先生ご自身はファッションへのご興味は?

伊藤:「WWDJAPAN」の取材を受けているのに申し訳ないんですが、ファッションに疎くて。服を選ぶ基準は、街のおじさんとして溶け込める、目立たない服装になることです(笑)。もちろん格好いい洋服を見てすごいな、と思ったりはするんですが、自身が着る時にはそういったものを選びはしないですね。清潔であることは大事にしていますが。

WWD:絵を描く際にファッション誌を参考にされたりは?

伊藤:それはやっています。キャラクターに着させる洋服はおしゃれにしてあげたいですしね。本当は柄や模様のある洋服を着させてあげたいんですが、いかんせん私がそれを描くセンスがなくて無地の服装のキャラクターが増えています(笑)。

WWD:ですが、そんな伊藤さんの描くキャラクターが、アパレルブランドに選ばれています。

伊藤:ありがたいことです。富江も自分を世界で一番美しいと言っているので、そのように選んでもらえて喜んでいると思います。

WWD:コラボアイテムにはどのように関わられていますか?

伊藤:監修させていただいたり、描き下ろしをさせていただいたりさまざまです。こちらは株式会社ヨウジヤマモトの「サイト」でのコラボアイテムですね。

「サイト」コラボアイテム、11月13日まで渋谷パルコにてポップアップストアを開催中

「サイト」コラボアイテム、11月13日まで渋谷パルコにてポップアップストアを開催中

「サイト」コラボアイテム、11月13日まで渋谷パルコにてポップアップストアを開催中

実際にコレクションの服の写真を見させていただいて、それを桐絵などのキャラクターに着させる絵を描き下ろしました。洋服のドレープ感をキャラクターで表現するのが非常に難しかったですね。ですが、とてもやりがいがありました。

WWD:こちらは、「ペイデフェ」のアイテム。

「ペイデフェ」コラボアイテム

「ペイデフェ」コラボアイテム

「ペイデフェ」コラボアイテム

伊藤:「ペイデフェ」では監修という形で関わらせていただきました。非常に作品愛を感じるコラージュなどをしていただき、監修するのも楽しかったです。洋服もこちらの指輪も細部までこだわられていて。コラボする作品選びも独特で、普段は「富江」や「うずまき」など人気作品が選ばれることが多いのですが、「アイスクリーム・バス」や「煙草会」などマイナーな作品からも選ばれるのは「ペイデフェ」ならではですよね。

WWD:最近では、アニメや漫画作品とアパレルが協業するケースも増えていますが、特に伊藤さんのコラボアイテムではデザインにこだわったものが多く見受けられる気がします。

伊藤:それは、ブランドさんのお力ですね(笑)。作品をより洗練されたものとして、そのブランドの個性と合わせて落とし込んでいただくことが多いと思います。

WWD:やはりコラボ作品は「富江」が一番多いですよね。

伊藤:そうですね。最近、アニメを作っている関係でアジアや欧米でグッズ化されることが多いんですが、キービジュアルなどで選ばれるものは一番「富江」が多いです。韓国でも21年ごろからアイドルの方がやってくれて富江メイクが流行ったこともあって、そこから「富江」のポップアップが行われるなど、他の作品とは別の捉え方をされているとは思います。

WWD:「富江」は伊藤さんにとっても人気になるだろう、と思った作品ですか?

伊藤:実は自分自身では、あまり手応えのあった漫画ではないんですよ。私は舞台設定だったり、物語の奇妙な展開を重視して物語を作ることが多いんですが、「富江」はキャラクターありきなので、手応えという意味では一話で完結している短編、中編の方が感じています。自分としては、得意な作り方をしていない。だからおもしろいのかどうかわからないんです(笑)。

WWD:他にブランドとコラボしたいと思う作品はありますか?

伊藤:最近の作品だと、「エーテルの村」はまだコラボがないのでできたらうれしいですね。アニメ化もしていないので、他の作品が選ばれる機会が多いと思いますが。新しいコラボレーションが生まれることを楽しみにしています。

朝日新聞出版「幻界地帯Season2 エーテルの村」

「恐怖」と「美」、そして「富江」

WWD:恐怖と美しさの関係についてお聞きします。「富江」に代表されるように、美しくも恐ろしい絵を描かれていますが、何かその関係性について考えていることはありますか?

伊藤:実は、僕はあまりその関係性を考えたことがないんですよ。例えばホラー漫画で、お化けと美少女という組み合わせは新しいものではなく、楳図先生も古賀先生もやられていたことで僕はそれを踏襲しているだけ、というか。美しいものが怖い感覚もわかりますが、まだそこまでのものは描けていないかな。ただ、私は美しい女性の絵を描くのも、グロテスクなモンスターを描くのも好きなんです。どちらも描いていて楽しいし、美女と野獣のような意外な取り合わせだからこそおもしろい物語が生まれると考えています。

WWD:美しいものを描くこととグロテスクなものを描くことは近しいですか?

伊藤:描いていて楽しい、という意味では近しいです。見た目は全然違いますが、人の興味をひくという点でも近いかな。

WWD:「富江」もそのような、美しい女性とグロテスクなものの融合で生まれたんですか?

伊藤:それもあるんですが、私の原体験もあります。私が中学生の頃、クラスメイトが亡くなったんです。昨日まで元気だったクラスメイトが、今はもういないということに非常に不思議な感覚を覚えました。ある日、ひょっこりと帰ってくるんじゃないか、と思えるような。そんな体験に加えて、「月刊ハロウィン」読者向けに美少女を主人公にして生まれたのが「富江」です。富江が死んだはずなのに生きて帰ってくる。それがキャラクターの原点です。

富江が死んでしまうところから物語は始まる ©ジェイアイ/朝日新聞出版

WWD:「富江」は連作になっていて、色々な時期に描かれていますが、その時代ごとに顔が少しずつ違いますよね。

伊藤:描いた時期によって顔立ちが変わっていますね。初期は面長だったり、下膨れ気味な時期もあったり、唇が厚い富江もいましたし、描いているときにはそれがベストだと思って描いている。

時代によって変わる富江の顔 ©ジェイアイ/朝日新聞出版

時代によって変わる富江の顔 ©ジェイアイ/朝日新聞出版

時代によって変わる富江の顔 「AERA」2025年2月24日号より

WWD:美しいと思うものはなんですか?

伊藤:風景が一つの色に染まっていく瞬間を美しいと思います。また、完璧なバランスや調和が取れているもの、人間の顔だと黄金比と言われたりするものもありますが、そういったものも美しいと感じます。

WWD:逆に、気持ち悪いと思うものはどう描くのですか?

伊藤:自分自身の嫌な気持ちになった体験などです。専門学校時代にお寺に泊まった時の布団が脂ぎっていた体験とか、そういった不快感を読者の皆様にお裾分けしています(笑)。強烈な思い出は過去のものでも覚えているもので、嫌だった体験や気持ちをネタにできるのはホラー漫画家のいいところですね(笑)。逆に、あまり想像では描けないので私は連載作品より読み切り漫画が多いのだと思います。

WWD:そういった気持ち悪いものの中に、「美」を見出すことはありますか?

伊藤:あえて黄金比のバランスを少し崩す不安定さを美しいと思う気持ちはあります。これは、風景を美しいと思う気持ちとは別物なんですが、例えば映画「エイリアン」の姿や画は本当に地獄のようですが、そこに美しさを見出します。あえて醜いものを描くにしても、やり過ぎないように気をつけているんですが、ついやり過ぎていることも(笑)。

WWD:美しいものを標榜するファッションブランドがコラボするのは、作品のそういった部分に同じく美しさを見出しているのかもしれません。

伊藤:センサーが合う、という感覚で選んでいただけているのかもしれません。私はファッションに詳しくないですが、同じ服でも人によって捉え方が違うように、人それぞれの感度で私の作品を選んでいただければそれはとても嬉しいことです。

PHOTOS:TOSHIYUKI TANAKA

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