公開日時 2025年11月07日 05:00

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琉球新報朝刊

 今回は、前回同様、沖縄本島南部、南城市知念にある「仲風節」の歌碑である。
 くらさらぬ(クラサラヌ)
 忍で来やる(シヌディチャル)
 御門に出ぢめしやうれ(ウジョニンジミショ リ)
 思ひ語ら(ウムイカタラ)
 【現代語訳】暮らせない。忍んで来たのだ。御門に出てください、思いを語りましょう。
 本琉歌の「暮らさらぬ」は暮らせない、落ち着いていられないこと。3句目の「めしやうれ」は「召す」という語に「ある」「いる」の尊敬の補助動詞「おはる」の命令形「おはれ」の付いた形。「召す」も物や状態を身に受け入れる意の敬語である。琉歌では「めしおはして(ミショチ)」「め(ミ)しお(ショ)はる(ル)」「めしおはるな(ミショナ)」「めしおはれ(ミショリ)」と敬語表現としてよく用いられる。
 本歌は野村流「工工四」下巻に収録されている。『屋嘉比工工四』には未収録の節である。前回紹介した「述懐節」同様に、音曲には本調子と二揚げ調子の2種類、歌い出しも通常(上出し)と「下出し」の2種類ある。
 本歌の節名である「仲風」の詩形は上句に5音や7音といった和歌の韻律、下句は8音と6音で琉歌の韻律といった和琉折衷の琉歌形式である。上句は本歌のように5・5音以外に、5・7音、7・5音、7・7音の種類がある。
 本歌は組踊「手水の縁」で用いられる琉歌で、知念の歌碑は前回の「述懐節」と本歌の二つの歌碑が一つの作品と関わるものとして南城市知念山里に立てられている。もともと知念山里は琉球国時代、山口村・仲里村・鉢嶺村の3村に分かれており、明治になって合併された。歌碑の建立されている場所は道沿いで、旧仲里村の位置になるが、そこから山側に北~北東の方角を望むと作品に登場するヒロイン玉津の住む村とされた旧山口村が見える。
 組踊「手水の縁」では、再会を約束した山戸が、知念山口の「盛小屋」に行き、その門の前で玉津への思いを吐露する場面で歌われる。琉歌の上句よりも短く「くらさらぬ/忍で来やる」と表現される詞章に、「上げ出し」の「サー」と高らかに歌い出す歌唱は恋心の高まりを想起させ、二人の再会を素晴らしく演出している。その後、二人のこの日の別れは先月紹介した「述懐節」で表現していて、作者の音楽に対する知識の深さを感じずにはいられない。
 本歌は「述懐節」同様、沖縄芝居にも多く用いられ、「薬師堂」でも「手水の縁」の二人の出会い、そして別れの場面までが「引用」されるように用いられている。そしてそれだけでなく、琉球古典音楽の独唱の際にもよく歌唱されることから、演奏家にとっても人気が高いことがうかがえる。
 ちなみに、作者といわれる平敷屋朝敏は仲風の琉歌
 語て呉れ(カタティクリ)
 こぎ渡ら(クジワタラ)
 浮世鳥鳴かぬ(ウチユトゥイナカヌ)
 島のあらば(シマヌアラバ)
を詠んでいる。「手水の縁」の二人の世界を存分に表現している仲風形式の琉歌であると私は思う。
 (県立芸大芸術文化研究所准教授)
(第1金曜日掲載)

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