「昭和の歌姫100人を歌う」No.086 麻丘めぐみ / 芽ばえ / わたしの彼は左きき / アルプスの少女 / 雪の中の二人 / cover:伸[nobu] With 仲間達
[音楽] もしもあの日に会わなければ [音楽] この私はどんな 女の子になっていたでしょう?足に豆起 町から待ち [音楽] 行くもないのに涙で歩いていたでしょう。 悪い 覚えていけないこと う 人に呼ばれて泣い たでしょう。 [音楽] 今も思い出すたび胸が痛む。う、もう あなたのそばを離れないわ。 れないわ。 [音楽] もあの日に会わなければ [音楽] この私はどんな 女の子になっていたでしょう?白いバの 匂いも鳥の声も まだ気づくことなくひっそり暮らしていた 誰か人に心を盗み取られ。ふむふ。神の さきを受けたでしょう。 今も思い出すたび怖くなるわ。ふ、もう あなたのそばを離れないわ。 離れないわ。 [音楽] [音楽] 小さく投げてすする 時もする時もこちらにおいでと。呼ぶ時も 呼ぶ時もいつでもいつでも彼は 左利き [音楽] 溢れる涙を脱ぐのも脱ぐのも優しく小指を 繋ぐのも繋ぐのもいつでもいつでもカレン は 左 あなたに合わせてみたいけど、 私は 効く連すれ違い 意地 悪 いじ悪 なの別れに片った手を振る時も振る時も 横目で時計を見る時も見る時も私の私の カレンは 左聞き [音楽] 背中にいたずら する時もする時もブラック 飲む時も飲む時もいつでもいつでも彼は 左利き あなたの真似して見るけれど 私の右き 直せない 意悪 [音楽] 悪なの短い手紙を書く時も書く時も誰かに 電話をする時もする時も私の私の彼は 左き 私の私の彼は 左聞き 私の私の彼は 左き 私の私のは 左く [音楽] [音楽] の場を吹く風にスカの裾が 昼がえる ダめよ。あの人に見られたら恥ずかしいわ 。恋してるアルプスの症状。 ちれグも見てたら足元の星草が膝を くすぐるの だめよ。あの人に知られたら照レ臭いは 恋してるアレクスの症状。 お昼になったら馬車が来る。馬車が来る。 私と話に彼が来る。 幸せになろうと取り替えた。お揃いの指は 薬指。 ダめよ。あの人の指出なきゃ外せないわ。 恋してるアレクスの症状。 [音楽] [拍手] だめよ。あの人に会えないと泣いてしまう 。恋してるアルプスの症状。 [音楽] ひぐれになったら馬車が来る。馬車が来る 。私を迎えに彼が来る。 幸せになろうと取り替えた。恐ろいの指は 薬指 だめよ。あの人の指出なきゃ外せないわ。 恋してるアルクスの症状。 [音楽] [音楽] うん。 [音楽] 体のぬくもりを奪い取る。 冷たい子が吹いてくる。 き語 を全て 白くめ尽くす [音楽] あなたの私への痛いっ なくてもわかるのよ。 首で遅れげそくる [音楽] の? あ、雨を閉じて息を止めて このまま2人 凍りき たい。 離れたくない。 離れたくない。 1つに結ばれて 愛されるままに 愛されるままに私はあなたを大切な 人にしたい。 [音楽] [音楽] 浮かんで消えていく白い息え た手のひを温める [音楽] 雪をかぶった枝を 鳥が震わせ 私をたましく 砕き上げて あなたはせらぎを飛び越えた。 甘く優しい 息が 顔に振りかかる 。 ああ、半段寒い。胸を合わせ 。このまま2人 孤りき たい。 許し合いたい。 許し合いたい。 1つに結ば れて 愛されるままに愛されるままに私はあなた を大切な 人にしたい。 [音楽]
皆様、こんばんは。「昭和の歌姫100人を歌う」No.086です。今回は「朝丘めぐみ」さんです。朝丘めぐみさんは1955年(昭和30年)10月11日 生れの現在70歳です。1970年代を代表するアイドルの一人で、清楚なルックスと優しい歌声で一時代を築きました。大分県速見郡日出町生まれ、生後半年から大阪市住吉区で育ちました。父方の先祖は日出藩の家老で、大阪に移るまでは祖父母とともに日出城址内の武家屋敷に住んでいました。「私の実家は、日出城の二の丸です」と麻丘はインタビューで語っています。
4歳上の姉に付き添う形で劇団に入り、1歳8か月でCMに出演、3歳で子役として芸能界デビューしました。
初舞台は梅田コマ劇場で、花菱アチャコや森光子らとの共演でした。
中学時代には、当時創刊間もない少女雑誌『週刊セブンティーン』等でモデルとして活動していました。
モデル業の合間に、歌手となった姉の仕事現場に雑用係として度々顔を出していたところ、
その場にいたレコード会社のスタッフから幾度となく歌手デビューを持ちかけられました。
しかし、頑張りつつもヒットに恵まれない姉の姿を間近に見ていたことから自分に歌手は無理だと、しばらくは誘いを断り続けていました。
最終的に説得を受け入れた理由は、このままヒットが出ないと姉がレコード会社から契約を切られるのではないかと危惧し、
そうならないためには自分が会社の言うことを聞けばいいのではないかと考えた上でのことでした。
姉をサポートしたいがための、不本意な決断でしたた。
ちなみに、実姉(花里あけみ→藤井明美[注釈 2]→立木久美子と芸名を変えている)も歌手で、
現在は、実姉の娘である姪が立木久美子の芸名で歌手活動を行っています。
芸名は、所属レコード会社のビクターが「丘めぐみ」という名を用意したが、本人は「何か一つ足りない」と思い、国語辞典を開いて「あ」の頁に「朝」「浅」「麻」のそれぞれの文字を見てピンと来たといいます。
朝だと朝丘雪路、浅だと浅丘ルリ子と名字が同じになるので、麻の字を足して自らの芸名としました。
1972年、「芽ばえ」でアイドル歌手デビュー。”演歌のビクター”からのポップス系歌手第一号でした。
40万枚を超えるヒットとなり、第14回日本レコード大賞では最優秀新人賞を受賞しました。
1973年、「わたしの彼は左きき」がオリコンチャート週間1位も記録する大ヒット。
第15回日本レコード大賞・大衆賞や第4回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞し、同年の『第24回NHK紅白歌合戦』にも出場、自身の代表曲にもなりました。
麻丘自身は右利きだが、この曲がヒットしていた時には、左手でサインを書いて見せたり、左手で箸を使って見せたりしていました。
また、彼女のトレードマークでもあった姫カットが、同世代の女性の間でブームとなりました。
1977年、当時フジテレビ社員のディレクターであった渡辺光男と結婚。
6月27日に行われた婚約発表の模様は、当日の『ヒットスタジオ』番組内で紹介されました。
麻丘は結婚を機に自分の人生を一旦リセットしたい気持ちもあり、周囲の反対を押し切って芸能界を引退しました。
長女・ひとみをもうけました。娘のひとみは水彩画家で、2020年現在、パリの美術館で研究員をしています。
1983年に離婚と同時に芸能界へ復帰。以後、俳優業をメインに活動を続けています。
2008年頃から自らコンサートを企画・開催するなど、歌手活動を本格的に再開しました。
元々、歌手デビュー時から「歌う」ことを楽しいとはあまり感じておらず、芸能界復帰後も積極的に歌に関わる機会は少なかったが、
それにもかかわらずファンを始めとした周囲からの好評に
「本当に申し訳ないことをしたなぁ、何で歌って来なかったんだろう」「そういう方々に恩返しのつもりで歌っていかなきゃって、すごく感じました」と語っています。
2009年、33年ぶりにファンクラブが発足。
2020年1月、29年ぶりの新曲となる「フォーエバー・スマイル」が配信リリースされました。
2024年11月24日、15年ぶりとなる単独ライブ『めぐみのジューク★ボックス2024』を開催しました。
また、南沙織と浅田美代子はアイドル時代からの親友で、スカウトでこの世界に入っているのは私と南沙織ちゃんと1年後輩の浅田美代子ちゃんぐらい。
この3人は楽屋でも浮いていました」と述懐しています。
坂口良子とは「週刊セブンティーン」のモデル仲間であり歌手デビュー以前からの友人。また堀越高校時代の同級生でもありました。
ディスコグラフティーと共に、お聴き頂ければ幸いです。
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現在、僕や歌のパートナーの新二郎さんの大切な歌仲間であり大先輩でもある女性が癌と闘っています。
僕達は医師ではないので、彼女に対して出来る事に限りがあります。
そこで新二郎さんと相談して、お百度参りの代わりに、
「昭和の歌姫100人を歌う」と題して僕はPOPSと歌謡曲、新二郎さんは演歌を中心に、
昭和デビューの女性ボーカリストの歌を100人カヴァーし、彼女の完治を願いたいと思います。
癌の治療はとても辛いですが、現在の医療はかなり進歩しています。
どうか一日も早く完治しますように。
昭和の歌姫たちの懐かしいディスコグラフティーと共に、お聴き頂ければ幸いです。
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初めて聴いてくださった方へ。
改めまして、はじめまして。伸(nobu)と言います。
私のページに来て下さり、有難う御座います。
僕はもう10年以上前になりますが「喉頭癌(声帯にできる癌)」を患い、声を失いかけました。
その1年前に初めての癌を患い、再発からの転移でした。
定期健診を欠かさなかったお陰で、初期の段階で見つかり、
すぐに処置をして頂き助けて頂きました。
しかし、暫くの間、歌うどころか喋る事すらままならない状況になりました。
当時の私は、喋る事も仕事の一つだったため、
それはとても辛く悲しかったです。
もしかしたら、もう「声」と言うものには頼れないのでは?
そんな思いを持ちました。
声が出せなくたって目だって見える。耳だって聞こえる。
体だって自由に動く。
何だって出来るじゃないか!そんな風に自分に言い聞かせた時もありました。
医師の「ある程度までは声は戻るよ」と言う言葉を信じ
喉を使っても良いと言われてからは、リハビリをして
毎日、家の近所の日の落ちた船着き場に車を止めて
大好きな中島みゆきさんの曲や、徳永英明さんの曲を聴きながら声を出す練習をしました。
思うように声が出なくて悔しくて泣いて車を叩いた日もありました。
誰にも聞かれたく見られたくなかった。
だから車の中は僕のリハビリ室でした。
その甲斐あって、医師も驚くほど回復し、
現在では喋るだけでなく歌う事も出来るまでになりました。
確かに、以前の自分の声ではなくなりましたし
今でも1曲全てを声もかすれずに歌う事は難しい時もあります。
でも、大好きな歌が歌えます。
友人の医師達や支えてくれた周りの人達に心から感謝をしています。
そして無理だと言う僕に、何度ももう一度歌おうと強く勧めてくれた大親友にも!
そして2013年7月にまた、新たに疾患が見つかりました。
とても症例の少ない難病だと告げられ、同年10月には障害者となりました。その為、定期的に入院生活を強いられています。
明日はどうなるか解りません。
「負けたら終わり ではなく あきらめたら終わり」
「笑って生きるも一日、泣いて生きるも一日、どうせなら笑顔で」
この二つは私の座右の銘です。
世の中には、色んな病や悩みなどと闘っている人達が沢山いると思います。どうか諦めないで下さい。
私は大好きな歌を笑顔で歌ってここに載せて行きます。
ここには沢山の歌の上手な方々が掲載されています。
私の歌はその方々には程遠いものです。
でも、歌えるようになりました。
良かったら聴いてみて下さい。
そして何かの切っ掛けにして頂けたら嬉しいです。
ありがとうございました。
nobu
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